奈良市登大路(のぼりおおじ)町の興福寺旧境内から、平安時代の将棋の駒「酔象(すいぞう)」が見つかった。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が24日、発表した。一緒に出土した木簡に「承徳二年」(1098年)とあり、1976年に京都市の集落跡(14世紀)から出土した例を約250年さかのぼり、酔象では国内最古となる。橿考研は「将棋の起源や歴史的変遷を考える上で極めて重要な発見」としている。【矢追健介】
【アップ写真】「酔象」としっかり読めます
「酔象」は現代の本将棋(駒数40枚)にはないが、駒数がもっと多い大将棋や中将棋で用いられた駒。真後ろ以外の7方向に進み、敵陣で成ると王将と同じ動きをする。
発掘現場は奈良県庁東側の観光駐車場で、平安時代から興福寺の子院・観禅院があった。役目を終えた後にごみを埋めたらしい井戸跡(深さ約3.7メートル)から、土器や瓦、木簡とともに将棋の駒4点が見つかった。「酔象」「桂馬」「歩兵」各1点と不明の駒1点で、「酔象」は現代の将棋の駒に近い五角形だった。木製で一部破損しているが、縦25ミリ、横15ミリ、厚さ2ミリ、裏面に墨の跡はなかった。「桂馬」「歩兵」の裏面には「金」と書かれていた。
1993年に今回の出土地点の西約200メートルの旧境内で、「天喜六年」(1058年)と記された木簡や、「玉将」「金将」などの駒15点、「酔像」と練習書きをした木簡が出土。鎌倉時代に出現したとされる酔象が、平安時代にはあった可能性が指摘されていた。
◇伝播もっと早い?
将棋の起源は古代インドのゲーム「チャトランガ」とされる。日本に伝わった時期は6~11世紀と諸説あるが、文献に現れるのは11世紀末ごろ。駒の最古の発見例も11世紀中ごろだ。現在の本将棋は駒数40枚で取った駒を再利用できるが、それ以前はさらに駒の種類が多いなど、多様な将棋があったとされる。
13世紀初めの文献「二中歴(にちゅうれき)」には、本将棋から飛車(ひしゃ)と角行(かくこう)を除いた「将棋」と、駒数の多い「大将棋」が解説されている。14世紀中ごろから見られ、現在も指される「中将棋」(駒数92枚)には「酔象」がある。
今回の発見について、遊戯史学会の増川宏一会長は「漢字が読める層が限られた時代から新しい駒が考えられるなど、改良が図られたことになる。将棋の伝播(でんぱ)や中将棋の発明を、もっと早い時期と考える必要が出てくるかもしれない」と話す。
また、大阪商業大アミューズメント産業研究所の古作(こさく)登・主任研究員は「仏典に『酔象』が登場するものがあり、影響を受けた可能性がある。引き分けが多かったと思われる当時の将棋の改良を図るため、新しい駒を導入しようとした走りではないか」と推察する。【最上聡】