兵庫県西宮市の市立広田小学校は今年、阪神大震災の後、初めてミーちゃんのいない1月17日を迎える。震災直後の混乱のさなか、学校にすみついた1匹のメスネコ。震災の生き証人として、その存在を通じて子どもたちに命の尊さを伝えてきた。そんなミーちゃんが昨年4月、突然姿を消してしまったのだ。
【写真】みんなにかわいがられたミーちゃん=2010年12月撮影
1995年1月17日。古くからの住宅街が広がる広田地区では1700軒以上の家屋が全壊し、広田小は6年の男児と4年の女児が亡くなった。学校は避難所となり、体育館や教室に約1300人の住民が身を寄せた。
上月啓史(こうづき・けいじ)校長(59)が前任者らから聞いた話によると、ミーちゃんは震災翌日の18日、校内の渡り廊下をヨチヨチ歩いていた。親ネコとはぐれたのか、避難してきた人が連れてきたのか定かではない。
ライフラインが回復すると、避難者は順次自宅に戻り、親類宅か仮設住宅に移った。そしてミーちゃんだけが残った。「ミャーミャー」とよく鳴くので、「ミーちゃん」と名付けられたらしい。いつの間にか広田小の飼いネコになり、動物好きの先生や児童らにかわいがられた。
「なんでネコが学校におるん?」。のんびりと校内を歩き回るミーちゃんの姿を見て、児童らから問いかけられる度に、先生たちは応え続けた。地震のこと、ミーちゃんが学校にやってきた日のこと、2人の先輩が亡くなったこと、周辺で大きな被害が出たこと……。時が過ぎ、震災の記憶がない児童が増え、やがて震災後に生まれた世代に変わる中、ミーちゃんの存在が震災を学ぶきっかけになった。
3年前の東日本大震災後、広田小は、被災した岩手県陸前高田市にある同名の広田小学校を支援した。卒業間近だった6年生たちの発案で寄付金を募り、段ボール15箱分の文具や問題集を集めて送った。「ミーちゃんを通じて震災を学んだ児童らが、いま苦しんでいる東北の子どもたちに寄り添ってくれた」と上月校長は感じた。
しかし、そのミーちゃんが昨年4月13日、いつものように朝ご飯をもらった後、姿を消した。上月校長や児童が校内と周辺をくまなく捜し、学校のホームページで情報を募ったが、行方は分からなかった。ペットのネコの寿命は十数年と言われており、ミーちゃんはかなり高齢だった。
今月17日、広田小では防災訓練の後、全校児童で震災犠牲者に黙とうをささげる。上月校長は命の大切さを語る予定だが、ミーちゃんには触れないつもりだ。ミーちゃんから学んだことは子どもたちの心の中に受け継がれていると信じているからだ。【幾島健太郎】