バッグからスマートフォンを取り出し、見せてくれた画像は、青空を背にした満身創痍(そうい)の校舎だった。
東日本大震災の津波で被災した仙台市若林区の旧荒浜小。女優の岩田華怜(かれん)さん(18)は昨年11月、写真共有アプリ「インスタグラム」で古里の「今」を公開した。番組収録などで被災地を訪れた際、撮影した写真を随時更新する。
◎ずっとそばに(4)女優 (元AKB48メンバー)岩田華怜さん=仙台市出身
「自分が発信しないと、震災のことが忘れ去られるような気がして」
昨年3月、人気アイドルグループAKB48を「卒業」した。被災地と共に駆け抜けた5年間。どこへ行っても喜ばれ、注目を集めた分、被災地と向き合い続ける使命感が増してきた。
2011年3月11日の震災発生時は小学6年生。太白区の自宅にいた。大きな揺れに驚き、はだしで外に出た。家族で避難所や親類宅に身を寄せた。AKBのオーディションを直後に控え、何度も「諦めようか」と弱気になった。
でも、「AKBはみんなの憧れの的。メンバーになって、多くの人を笑顔にしたい」。幼いなりに、希望や勇気を抱いた。
翌月のオーディションに無事合格。その年からAKBメンバーとして、被災地を訪れる活動が始まった。
最も印象に残るのは11年11月、最初に訪問した陸前高田市の風景だ。街はニュースで見る戦場のよう。そんな中、津波に耐えた「奇跡の一本松」が、ひときわ目を引いた。
「私はAKBのセンターにはなれないかもしれないけど、いつまでも被災地に寄り添う一本松のような存在になりたい」
震災をじかに知るメンバーは自分以外にいない。「被災地を励ましたい」。思いは強くなった。
その後、「被災地出身のアイドル」は多くの番組に出演した。復興支援ソング「花は咲く」の収録にも参加。地元菓子メーカーのCMにイメージキャラクターとして起用されるなど、活動の幅を広げた。「結果を出さないと古里に帰れない」。がむしゃらだった。
これまでの被災地訪問は80回を超える。北は久慈市から南はいわき市まで。津波で被災した街はほとんど足を運んだ。
AKBを卒業後、芸能プロダクションに所属し、子どもの頃からの目標だった女優として歩み始めた。不安はある。「AKBの看板なしで、被災地で何ができるか」。自問が続く。
震災からもうすぐ6年。活動拠点の東京で暮らしていると、震災が遠い過去の出来事として語られる言葉をよく耳にする。
風化にあらがい、被災地の情報を発信し続けるうちに気付いたのが写真の力。「まだ復興に至らないありのままの被災地を伝えられる」。新たな目標が見えた。今春、大学に進学するのを機に、本格的に写真を学びたいと考えている。
「被災地の今を伝えよう。発信力を高めるには、古里に愛される女優にならなきゃ」。出発点は常に被災した古里にある。(報道部・武田俊郎)