「おいおい、まさか本人が辞めるとは……」
思わぬ形で会社を辞めた課長がいる。20年以上も会社を支えてきた課長だったが、突如として退職を決断したのだ。
「若者に強く言えない、辞められると困るから」
いつもそう口にしていた彼。しかし、まさか当の本人が辞めるとは、誰が予想しただろうか。
どうやら若手との接し方に頭を悩ませ、疲弊していったのが退職の原因のようだ。
課長の部下2人は20代前半。2人ともZ世代で、礼儀正しく、客観的に見ていると一所懸命に働いているように見えた。
では、いったい何が問題だったのだろうか?
上司を悩ます若者たちの新感覚
「自分なりに頑張っている」
退職した課長を悩ませていたのは、若者たちがよく使うこのフレーズだったという。コレと同じような表現がコチラ。
「できる範囲でやっている」
上司に対して、若者たちがこう言い返すのには理由がある。頑張ってやっているのだから、小言を言うのはやめてもらいたい。努力を認めてほしいという気持ちがあるからだ。
ただ、上司にも言い分がある。
頑張っていることはわかるし、一所懸命にやろうとしているのも認める。しかし成果が出ていないのだから仕方がない。
ただ、10年ぐらい前なら、この言い分は通じただろう。だが最近は違う。
「そこまでやる必要があるんですか?」
と遠慮なく言い返されてしまう。このフレーズも、課長を相当に悩ませた。「そこまでやる必要があるんですか?」と言われるたびに、耐えられない気持ちになった。
料理でたとえると、わかりやすいかもしれない。
「お客様の期待に応えられるような、そんな料理を作ってほしい」
上司が部下にそう伝えるのは、当然だ。もし期待を下回る料理しか作ることができなければ、上司はその姿勢に「ダメ出し」をするだろう。
なのに、
「自分なりに頑張ってます」
「そこまでやる必要があるんですか?」
と反論されたら、上司はお手上げだ。店長に申し出て、「もう店を辞めさせてください」と言いたくなる気持ちも、わからないでもない。
「厳しさと優しさの配分」をどうすればいいのか?
筆者が講演をしていると、経営者やマネジャーの方々から次のような質問をよく受ける。
「厳しさと優しさの配分はどうしたらいいですか?」
厳しくすれば辞めてしまうかもしれないし、優しくすると期待した成果を出してもらえない。厳しさも優しさもどちらも大事だと思うが、どう配分したらいいのか。悩ましいというのだ。
この課長も同じだった。
彼の頭を駆け巡ったのは、過去に厳しく指導した結果、辞めてしまった若者たちの顔だ。その教訓から、厳しく指導することへの恐怖心が生まれた。
そこで彼が選んだ道は、コーチングだった。
自費で合宿研修やオンランのコミュニティに参加して、情報交換を繰り返した。
上司が部下によく使う効果的な質問も、何度も試した。
「今の仕事に対して、何がいちばん難しいと感じているか?」
「君の強みは何だと思うか? それを今の仕事にどう活かせるのか?」
「君が決断を下すとき、何をいちばん重視するか?」
これらの質問は、部下の自己解決力をアップするのに効果的だと教えられた。しかし、その通りにやったのだが、効果はなかった。
「よくわかりません」
「課長はどう思ってるんですか?」
「この質問って、何のためにやってるんですか?」
と言われる始末。部下2人に対して、しっかり時間をとり「1on1ミーティング」を繰り返した。それでも関係はギクシャクした。
「Z世代にはコーチングが効かない」
課長は、そう決めつけてしまった。
「頭ごなしに叱りつけてもいけないし、だからといってコーチングもダメなら、どうしたらいいかわからない」
と頭を抱えていたという。
上司たちに根本的に足りないもの
この課長の元上司に話を聞いたとき、私はすぐにこう問いかけた。
「その課長さんは、自分が期待していた基準を部下たちに伝えていたのでしょうか?」
と。
元上司の部長は、「よくわからない」と言った。苦虫を嚙み潰したような表情だった。
今度は、陸上競技の練習でたとえてみたい。
「400メートルトラックを走れ」
と言われ、10周走ったら、
「誰が10周でいいと言った? もっと走れ」
と言われたらどうだろうか? 誰だってイラつくのではないか。最初から
「20周走れ」
と言われたら問題がなかったに違いない。
なぜ、こうなるのか?
理由は簡単だ。この課長も、そのように教えられなかったからだ。だから、元上司の部長も、「期待した基準を伝えていたのか?」という私の質問に対し、怪訝な表情をしていた。
仕事には「あり方」と「やり方」がある。あり方は目標だ。ゴールである。例えば売り上げ目標や利益目標、時間外労働の上限時間だったらわかりやすいだろう。
数字で表現するのが、容易だからだ。
一方、「料理の美味しさ」や、「部長が満足するような企画書」「お客様がその気になってくれる提案書」といったものは曖昧だ。
どこが「あるべき姿」なのか、基準がハッキリしない。こういう場合は、レシピのような「やり方」を言語化する必要がある。
その「やり方」をしっかり守ってもらい、「あり方」に近付くまでフィードバックを繰り返す。
このように、まず前提として「あり方」も「やり方」もしっかりと、丁寧に伝えるべきなのだ。それをしてもいないのに、厳しいも優しいもない。
さらに言えば、何も教えられてもいないのに、コーチングで習った質問を投げかけても、部下たちは困るいっぽうなのだ。
大事なことは、前提を揃えることだ。仕事を依頼する「前」に、もっと意識を向ける必要がある。
どこまでの仕事をしたらOKなのか。そのための仕事のやり方はどんなものがあるのか。それを言葉にして、事前に伝えておくこと。
「とりあえず、やってくれないか」という曖昧な指示はやめよう。私はこれを昔から「とりあえず依頼」と名付けている。
「とりあえずビール!」
というような感覚で、部下に仕事を投げると、部下も「とりあえず、やってみます」と口ぐせのように応える。こういう悪癖が根付くと、会話効率はドンドン悪くなる。
「とりあえず依頼」して、部下が期待通りの仕事をすることは少ないからだ。だから上司は部下にダメだしを繰り返すことになる。
上司たちが、優しくしたらいいのか、厳しくしたらいいのかばかりを気にするのは、「ダメだし」ばかりしているからだ。
では具体的にどうしたらいいのか?
目安として、「見通し」と「気付き」の配分を「5:5」にしていくことだ。事前に見通しを立てずに仕事をはじめれば、どうなるか?
例えば上司から「とりあえず分析しておいて」と言われてやったとしよう。すると、仕事をしているうちに、いろいろ気付くことがあるはずだ。
・もう少し細かく確認して取り掛かればよかった(★)
・データについてはHさんに調べてもらったらよかった(★)
・そういえば分析のやり方がわからない(★)
・どこまで分析すればよいのか?(★)
・意外とデータって、いろいろな種類があるんだな(☆)
・分析を任せてもらえて、新たな視点が手に入った(☆)
・もっとこの分野の勉強したいという気持ちになった(☆)
これらの気付きには、大きく分けると2種類ある。それは、
・反省の気付き(★)
・発見の気付き(☆)
この2つである。
はじめて仕事をするなら「反省の気付き(★)」が多くなって当然だ。しかし仕事をこなして学習していけば、反省の気付き(★)は減って、発見の気付き(☆)のほうが増えていく。
なぜなら、経験を積むと「見通し」を立てるようになるからだ。
ところが主体的に「見通し」を立てられるようになるには、しばらく「ダメだし」をされ続けなければならない。
「こんなやり方をしていたら、うまくできないに決まってるだろ」
「誰に教えてもらったんだ。こうやるんだよ」
このように先輩や上司に叱られながら、仕事を覚えていく。これが昭和時代から続く日本企業の習わしだ。しかしタイパの時代に、このような指導の仕方は合わない。
昔ならガマンしただろうが、デジタルネイティブの若者には通じない。
「それなら、仕事をやる前に教えてくれよ」
「後から指摘するなんてズルい」
そう受け止められても仕方がない。
だから、「とりあえずやってみろ」ではなく、見通しを立ててから仕事をしてもらう。そうすれば、反省の気付き(★)は減って、発見の気付き(☆)が増えていく。ふだん気付けなかったことに、気付けるようになって、やりがいを覚えるようになるのだ。
「ダメだし文化」からは決別
「辞められると困るので、若者には強く言えない」
そう言う上司はとても多い。ここ数年、急増している。しかし、ふだんから見通しを立てて行動していないから、そのような極論を上司は抱くのだ。
「もっと厳しく言ってほしかったです」
部下にそう言われて、はじめて気付くのでは遅い。
上司も、部下も、「とりあえず」やるクセをなくすのだ。いったん「見通し」を立てて仕事をするクセをつける。それだけで、スムーズな意思疎通が図れるはずだ。
「ダメだし文化」とは決別しよう。
著者:横山 信弘