2016年は「大衆車50周年」
今から半世紀前の1966年。日産自動車の「サニー」とトヨタ自動車の「カローラ」が相次いで登場し、「大衆車元年」と呼ばれてから今年は「大衆車50周年」といってもいい節目に当たる。
カローラ50周年記念特別仕様車
カ ローラは1969年から2001年まで国内の車名別販売台数(軽自動車を除く)で33年連続トップ。近年は「プリウス」「アクア」といったトヨタのハイブ リッド専用車の大ヒットに押されているものの、ハイブリッド仕様の設定や安全装備の充実、デザインの洗練などによって魅力を保ち、軽自動車を除く車名別新 車販売ランキングでは上位の常連となっている。先月には50周年記念特別仕様車を発売した。
一方のサニーは、12年前の2004年に日本 市場からは消滅。そのコンセプトはタイで生産し日本に逆輸入してきた「ラティオ」が引き継いできたものの、すでに輸入は中止。日本国内は在庫販売のみに なっている。今年中にもラティオの日本販売は終了する見込みだ。サニーから続いた日産の小型セダンの系譜が50年目という節目で途切れる。
カローラとサニーの明暗はどこで分かれてしまったのか。歴史を振り返りつつ検証したい。
第2次世界大戦直後は原動機付き自転車だった国民の足は、その後の高度経済成長に合わせてオート3輪を経て、4輪車へと移行していく。といっても サラリーマンにとってクルマは高嶺の花であり、自営業者が仕事で使う車両を休日にレジャーに使うパターンが多く、売り上げの主力はライトバンと呼ばれる小 型商用車だった。
700ccの空冷水平対向エンジンを積んだ小型車「パブリカ」
1960 年を迎える頃になると転機が訪れる。それまで「ダットサン」の名前で小型車を販売してきた日産は、1959年のモデルチェンジを機に新たに「ブルーバー ド」という名称を与えた。トヨタは2年前にダットサンのライバルとなる「コロナ」を誕生させると、1961年にはその下に、700ccの空冷水平対向エン ジンを積んだ革新的な小型車「パブリカ」を用意した。
しかしコロナやブルーバードは、多くの大衆にはまだ手が届かなかった。一方パブリカ は、空冷2気筒エンジンやシンプルな仕立てが、経済成長が始まった当時の日本ではあまり支持されなかった。そこで日産はブルーバードよりひとクラス下、ト ヨタはパブリカよりひとクラス上の開発に取り掛かる。これが同じ1966年に発表されたサニーとカローラだった。
サニーvs.カローラ
初代サニー
デ ビューはサニーがひと足早く4月だった。当時日産では、トヨタが同じクラスの新型車を開発しているとは思わなかったらしい。しかしトヨタは逆だった。しか もサニーのエンジンが排気量1リットルで登場するという情報を掴むと、エンジンの排気量を1.1リットルに拡大することを決断する。そして10月。カロー ラは「プラス100ccの余裕」という、サニーをライバル視したキャッチコピーとともに発表された。
初代カローラ
それまでの自動車業界のライバル関係と言えば、ブルーバードとコロナが有名で、「BC戦争」とまで言われた。
そこにサニーvs.カローラという対決の図式が加わった。メディアはいち早く「大衆車元年」という新しい言葉を作り出し、それが一般的になった。
当時、他にも同じクラスの国産車はあった。1963年には三菱自動車工業(当時は新三菱重工業)の「コルト1000」、1964年にはマツダの 「ファミリア800」、 1966年には富士重工業(スバル)の「スバル1000」が生まれている。しかしこの3メーカーは、いずれも軽自動車を生産していた。日産とトヨタはそう ではない。2社が大衆車を送り出したことは、特別な出来事だったのだ。
筆者は取材で初代のサニーとカローラに乗ったことがある。走りは対 照的だった。625kgという軽量ボディと56馬力を発生する1000ccエンジンを生かして軽快にキビキビ走るサニーに対し、710kgのカローラは 1100ccで60馬力エンジンがもたらす余裕の加速感と落ち着いたハンドリングが特徴だった。
デザインも、シンプルなラインを用いた正統派3ボックスのサニーに対し、スロープしたトランクや立体感のあるボディサイドなどにより豊かさを演出していた。トヨタとしてはパブリカでの反省からこうした造形を与えたのだろう。
1969年にはカローラが年間最多販売車種に
それが経済成長真っただ中にあった日本国民の望む姿であり、プラス100ccの余裕とともに、販売競争を優位に進める要因になった。それまで国産乗用車の年間最多販売車種はコロナだったが、1969年にはカローラがその座に就いた。
サ ニーとて頂点の座を諦めたわけではなく、1971年に発表された2代目では排気量1.2リットルエンジンを搭載し、ボディサイズも拡大して、「隣りのクル マが小さく見えます」というキャッチコピーとともに、対抗する姿勢を見せていた。しかし数カ月後に登場した2代目カローラは1.4リットルや1.6リット ルも用意して、引き離しにかかった。
1979年発表のサニー・カリフォルニア
ボディはどちらも初代からセダンとクーペがあったが、カローラは3代目でハードトップを追加するなど、バリエーションの数でもつねに優勢だった。ただしワゴンについては1979年発表のサニー・カリフォルニアが先行した。前輪駆動やターボの採用もサニーが先駆けていた。
ソニー損保では1986年から昨年までの乗用車年間販売台数ランキングを発表している。
2代目マーチ
そ れによれば、1986年は1位がカローラ、2位がサニーとライバル関係にあったが、翌年になると、トヨタのマークIIやクラウンなどが間に割って入るよう になる。バブル景気の影響だろう。さらにバブルが崩壊した1993年以降は、日産の稼ぎ頭はサニーから、より小型のハッチバックボディを持つ「マーチ」や 「キューブ」に切り替わっていく。
バブル景気の影響
その間サニーは、1990年に発表された7代目でクーペを別車種 としてラインナップから切り離し、ワゴンのカリフォルニアも6年後に「ウイングロード」という名前で独立させ、セダンだけになっていた。そのセダンも 2004年に登場した新型セダン、「ティーダ・ラティオ」と入れ替わるように販売を終了した。
カローラも2000年登場の9代目でクーペ が消滅し、ワゴンは「カローラ・フィールダー」と名乗ることで、カローラのイメージを薄めていた。2年後には年間販売台数トップの座をホンダ「フィット」 に奪われた。それでもトヨタはその後もカローラの名前は残した。しかも2006年のモデルチェンジでは、国内向け5ナンバーと海外向け3ナンバーの、2種 類のカローラを作り分けている。
一方のラティオもまた、ベースとなったハッチバックのティーダ同様5ナンバーだが、当初からグローバルモデルとして企画された。
1999 年にルノーとアライアンスを組んだ日産は、カルロス・ゴーンCEOの指揮のもと、グローバル重視の姿勢を強調していく。サニーもその中に組み込まれ、 ティーダ・ラティオとして再出発したのだった。その傾向が、2012年に行われた2台のモデルチェンジで、いっそう顕著になった。
セダン タイプの「カローラ」は海外向けとの作り分けがいっそう進み、プラットフォームを格下のヴィッツと共通とした。ボディサイズも歴史上初めて全長が短くなっ た。しかし1.3リットルから1.8リットルまで3種類の直列4気筒エンジンを用意し、マニュアルトランスミッション(MT)や4WDを残すなど、ワイド バリエーションは維持していた。
一方の日産は、ティーダの日本での販売を終了し、ラティオのみを残した。こちらも旧型より全長がやや短く なったが、それ以上のニュースはマーチに続き、タイで生産される輸入車となったことだ。しかも発表はサニーの名を復活させた中国が最初で、東日本大震災の 影響もあり、日本でのデビューは北米や豪州の後となった。パワートレインは1.2リットルの3気筒とCVTの組み合わせに絞り込まれ、4WDの設定はなく なってしまった。
乗用車の年間販売台数では、すでに2009年からハイブリッド車のプリウスがトップの座にあり、ガソリンエンジンを積んだセダンがベストセラー争 いをする時代は終わっていた。それでもカローラはベスト10圏内に留まっており、ベスト30にすら入らないラティオとの差は大きく広がっていた。
2車種ともユーザーの平均年齢は60歳代と、かなり高い。その中でカローラが日本専用車として作り続けられ、落ち着いた水平基調のデザインを採用し、慣れ親しんだ4気筒エンジンを積み、MTや4WDが選べるところが、根強い支持につながっているのかもしれない。
時代の変化にも巧みに対応
カローラHVユニット
さ らにカローラは、時代の変化にも巧みに対応した。2013年にはハイブリッド車を追加し、2015年には運転支援システムを装備するなど、時流に沿った進 化を続けたのだ。その結果、2012年の年間販売台数では8位だったのが、2015年には4位と、むしろ順位を上げている。
一方のラティ オは2014年にマイナーチェンジを実施しているが、フェイスリフトと安全装備の充実が主であり、力不足という声が多かったパワートレインに手は入らな かった。安全装備に運転支援システムは含まれず、後席ヘッドレストは2席分のみであるなど、水準に達していない部分もある。
そして今、ラティオのウェブカタログには、「一部、仕様・グレード・カラーについては、生産上の都合でご用意できない場合がございます」という注釈があり、7色あったボディカラーはすべて無彩色系の3色に減っている。販売終了は間近に見える。
日本で買える同クラスのセダンとしては、他にホンダ「グレイス」、マツダ「アクセラ」、スバル「インプレッサ」がある。すべてグローバル展開を前提とした車種となっており、アクセラとインプレッサは3ナンバーボディとなっている。
こ うして見てくると、カローラの日本市場へのこだわりが、並々ならぬレベルであることが分かる。なにしろカローラ店という、車名を冠した販売店すらあるのだ から。世界一の自動車会社の余裕と言えばそれまでだが、その余裕の一部をおひざ元の日本市場に振り分けているトヨタと、外資のもとでグローバル戦略を志向 する日産との違いを象徴しているようでもある。