「一流」と「二流以下の人」を見分ける唯一の方法

サラリーマンものの漫画を読むと、社内で高い地位にいる人が高圧的かつエラソーにしている描写がよく出てくる。たとえば、豪華な椅子にふんぞり返って部下の報告をにらみながら聞いていたり、お連れの者が後ろをついてくる中で自分は葉巻を吸っていたりと。

かなりデフォルメされているものの、1980年代の東海林さだお氏の4コマ漫画や『美味しんぼ』、最近だと『半沢直樹』でもそう描かれているため、「高い地位にいる人=エラソー」なイメージを持つ人がそれなりにいると考えていいだろう。

しかし、筆者がこれまで見てきた地位の高い人の中にはこうしたゴーマンな態度を取る人は滅多にいなかった。むしろ、普通の人よりも「低姿勢」であることが多かったのだ。

若造にも誠実に対応してくれた「読売新聞のドン」

いきなりだが、誰もが知る大物を例に挙げたい。読売新聞の主筆の渡邉恒雄氏だ。


2004年にライターとして取材した渡邉恒雄氏(写真:Tatsuyuki TAYAMA/Getty)

2004年、渡邉氏はプロ野球の選手会が10球団まで削減することに反対し12球団制を維持するよう要求した際、「たかが選手が」と言い放った。この発言により一気に古田敦也会長及び選手会側への同情が集まり、12球団制が維持されることとなった事件は野球ファンなら有名な話だ。そうした歯に衣着せぬ態度や、政界とも太いパイプを持つことから、氏は「メディア界のドン」とも畏怖されている。

そんな氏を一度だけ取材をしたことがある。それは2001年9月12日のことだ。アメリカ同時多発テロの翌日だが、取材テーマは「若者は新聞といかに接していくべきか」というなんとも呑気なもの。

当時28歳の私は読売新聞のライバルで朝日新聞に雇われたライターとして、たまたま渡邉氏に取材アポを取っていた。今思うと、いくら下請けとはいえ、朝日新聞の人間がライバルの読売新聞の親分に聞きに行くというトンデモない企画だった。

取材場所はもちろん大手町にある読売新聞東京本社。皇居を見下ろせる広大で縦長の部屋に入ると、渡邉氏は部屋の中央部に置かれた机の前で鎮座していた。広報担当者がうやうやしく私と朝日新聞社の編集者を紹介した時、氏は葉巻を吸っていた。

まず「本日はお忙しい中、どうもありがとうございます」と編集者が頭を下げると、「おぉ、おぉ」と言う。そして、いきなり「世界が大変な時になんでこんな呑気なテーマの取材をするんだ!」とキレ始めた。

開始早々からこんな調子では取材が破綻するのではないかとビビったが、その後、当時75歳の渡邉氏は極めて丁寧に応対し続けてくれた。敬語も交えるし、ライバルである朝日の社員を前にしても「新聞が果たすべき役割」について懇切丁寧にしてくれた。当初の取材予定時間である1時間を過ぎても喋ってくれ、最後には「まぁ、いい記事にしてくださいね」とまで言ってくれた。

正直、「ドン」「フィクサー」「帝王」「独裁者」などと称されてきた人物なだけにどれだけ高圧的で恐ろしい人物なのかと思ったが、50歳ほど年少の私にも丁寧に接してくれて驚いた。

ただし、一度だけ渡邉氏が不快感を露わにした場面があった。

「ナベツネさんは……」と私が質問しようとした時、「そのさ、『ナベツネ』というのはやめてもらえませんかね? 私はまだ『ワタツネ』の方が好きだ!」と言われたのは今も忘れられない。

Amazon創業者の無茶ぶり

渡邉氏と同様に、Amazonの創業者でCEOのジェフ・ベゾス氏とのやりとりも印象的だった。


筆者は2000年、Amazonの記者会見のスタッフとしてジェフ・ベゾス氏をもてなした(写真: Paul Morigi/Getty)

Amazon.co.jpが立ち上がる2000年11月1日。当時、私は博報堂の社員で、Amazonの日本進出を広めるための記者会見の運営スタッフとして働いていた。

日本のメディアといかに接するかを決めるため、ベゾス氏と同社の広報担当者らと一緒に打ち合わせをしていた。氏は日本とアメリカのメディアとの違いに驚きながらも、終始ジョークを交えながら「分かったよ。君たちの言うとおりにする」などと言い続けていた。

会議も無事終了し、ようやく一息つけそうになった23時ごろ。広報担当者から電話がきた。

「あのぉ~、ジェフが朝から寿司を食べたいと言っているのですが、さすがにそんな時間にお寿司屋さんは開いていないですよね……」

広告代理店社員たるもの、クライアントの要求には応えなくてはならない。翌日朝4時30分、私は築地市場へ向かった。人気店の「寿司大」でおまかせ寿司を桶で12個ほど頼み、タクシーでベゾス氏の宿泊先まで運んだのだ。

届けた寿司を食べ満足したベゾス氏。最後には「あなたが買ってきてくれたのですね、ありがとう! こんなに朝早くから食べられるとは」と丁寧に感謝してくれた。

渡邉氏にしろ、ベゾス氏にしろ凡人からすると、無茶苦茶な要求もしてくるかもしれない。それでも一緒にいて不快な思いは一切しなかったし、誠意を持って対応すれば、2人ともそれに応えてくれた。

「一流」と「二流以下の人」を分けるもの

さて、正確に数えたことはないが、私はライター・編集者・作家として、経済人だけでなく有名芸能人や政治家などさまざまな一流とされる人と会ってきた。

組織のトップなら、サイバーエージェント代表の藤田晋氏や、マガジンハウスのライフスタイル誌「BRUTUS」編集長の西田善太氏。芸能人や政治家なら、関根勤氏やうつみ宮土理氏、馬淵澄夫氏、細野豪志氏など、どの方も本当に物腰柔らかい、丁寧な人ばかり。また、自身が編集として担当したラーメンズの片桐仁氏や光浦靖子氏、格闘家の青木真也氏も低姿勢だった。

一方で、これまで私が不快な思いを強いられたり、無礼な対応をされた相手は、今回紹介したような人よりもむしろ格下の人が多かった。要するに、「中途半端な地位にもかかわらず、調子に乗ってしまった連中」だ。

たとえば一時期、編集者として頻繁に仕事を発注していたライターがいる。彼は仕事ぶりも悪くなかったし、こちらの要望にもしっかりと応えてくれる信頼できる相手だった。だが途中、書いた本がヒットしたせいか、次第に態度が尊大になっていった。最終的には私に対してもあからさまに偉そうな態度を見せるようになり、仕事も頼みづらくなった(というか、したくなくなった)。

会社員の中にも、昇進をきっかけに態度が豹変する人間がいる。それがきっかけで仕事ぶりに磨きがかかったり、より頼りがいのある存在になるのならいいのだが、やたらとマウンティングするようになったり、部下や取引先の人間をぞんざいに扱うようになったケースも見てきた。

残念ながら、彼らがその後、より高い地位に着けたという話は聞かない。結局、自分を評価するのは他人だ。それまでは低姿勢であったがゆえにうまくいっていたが、その謙虚さを失ってしまった結果、出世の道が閉ざされたのかもしれない。

とうわけで、どんな時も低姿勢であったほうが人に好かれるものだし、大物になった後も低姿勢であり続ければ、それだけで見る人は評価してくれるのが世の中だ。出世には己のスキルを磨くことも大事だが、低姿勢であることも必要なスキルだろう。

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