「仕事がデキない東大卒」が陥るただ1つの失敗

東大を卒業しても「社会ではあまり活躍できない人」の特徴とは? (写真:テラ/PIXTA)

「東大卒には優秀な人が多い」というイメージを抱く人は多いだろう。ただ、中には成功欲だけは人一倍強いのに、社会人になってからはあまり活躍できない東大卒もいる。そんな「東大までの人」の特徴とは? 東大卒でライターの池田渓氏による『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』より一部抜粋・再構成してお届けする。

受験生のころに頭のなかに思い描いていた理想の自分と、東大に入ってから突きつけられる現実――そのギャップを認識したうえで、「自分は決して特別な人間なんかじゃない」と開き直ることができれば気は楽になる。さらに「せめて、いまの自分にできることを一生懸命にやろう」とまで考えが至れば、前向きに生きていける。

僕にかぎらず、大半の凡庸な東大卒業生は、そういう気持ちの折り合いをつけて自らの人生を生きているはずだ。しかし、ごく一部に、現実を受け止められず、かといって努力で現実を克服しようともせず、東大以外の大学とその学生・卒業生を見下すことで、精神の安定を保とうとするものたちもいる。

それが、「プライド肥大型」の東大卒だ。彼らのものの見方は、「平家にあらずんば人にあらず」ならぬ「東大卒にあらずんば人にあらず」である。

なぜプライドが肥大してしまうのか?

このような特権意識が形成されるのに理由がないわけではない。事の起こりは、彼らが東大受験生だった時期だ。

一般的に東大を受験しようとするとき、高校の授業や独学では情報量が足りない。そのため受験生の多くは現役・浪人を問わず予備校に通うことになるのだが、志望校を東大1本に絞って専用の試験対策をとることで勉強の効率は大幅にあがるため、たいていは各予備校に設置された「東大受験コース」を受講する。

営利企業である予備校は受験生に最大の成果を与えるためにカンニング以外のことはなんでも指導する。そのなかには、「自己暗示」のようなメンタルのトレーニングもある。

これは、スポーツ選手がよく行っている訓練で、試合前に「自分は絶対に勝てる」「勝って当たり前」といったポジティブな思考を脳に徹底的に刷り込んでおくというものだ。この暗示によって、試合本番に緊張や不安によってパフォーマンスが低下することを防ぐ。

受験生も競い合いという点ではスポーツ選手と同じなので、予備校ではスポーツ選手さながらの暗示が施される。具体的には、「東大なんて受かって当たり前」という意識を受験生の脳に刷り込み、受験本番でも一切動じない「東大受験マシン」に仕立て上げるのだ。

実際、僕が受験生のときに通っていたある予備校の東大受験コースでは、人気講師の1人がお題目のように「東大京大、当たり前。早慶上智は滑り止め。関関同立、試験慣れ。明青立法中は受ける価値なし」という文言を繰り返していた。

東京大学や京都大学は受かって当たり前の大学だ。早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学は滑り止めで受けるような大学で、第1志望とするに値しない。関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学は、大学入試の雰囲気に慣れるために受けてみてもいいが、それ以上の価値はない。明治大学や青山学院大学、立教大学、法政大学、中央大学に至っては、受験するだけ時間と受験料の無駄である」そんな意味だ。

この手の暗示は受験本番で非常に有効なので、どこの予備校でも多かれ少なかれ受験生に対してこのようなメンタルトレーニングを行っている。

「学歴カースト」を脳に刷り込まれた東大生たち

インドにはカースト制度という身分制度があるが、先に挙げたようなことは、いわば学歴におけるカーストである。僕が現役の受験生だったころから大学の偏差値ランキングも多少は変動しているが、いずれにしても、この学歴カーストを脳に刷り込まれた後、晴れて受験戦争を勝ち抜いた東大生のなかには、「当たり前」以外の大学を見下すものが出てくる。

恥ずべきことに、僕も入学した当初は、この学歴カーストに影響されて、駒場キャンパスのなかを根拠のない自己肯定感とともに闊歩していた(一応の弁解をしておくと、1年生の5月ごろまでの話だ)。

ただ、少しは世間を知れば、「学歴など無数にあるパラメーターのひとつでしかない」という至極まっとうな事実に気づき、先に書いたような歪んだ価値観は正されていくものだ。普通の人なら、それくらいの修正力はある。

ところが、東大に入った時点で人間的成長が止まり、卒業して社会の荒波にもまれてさえ考え方を変えられないものもごくまれにだがいる。

そういう人は仕事にしても人間関係にしても、自分の考えに固執し、誤りを決して認めず、いつだって他人をバカにしていて話を聞かない。それでいて、たいていは仕事のセンスも悪いものだから、「あの人は東大を出ているのに使えないよね」なんて陰口をたたかれることになる。

あなたの職場にも、このような東大卒の人間はいないだろうか。

僕は大学院の博士課程をドロップアウトして街をぶらぶらしていたときに、かつて著者として本を書いたことのある出版社から「編集者をやらないか」とスカウトされ、そのままあまり深く考えずに社会人となった。

その出版社で4年ほど編集者として働いた後、退職して、今はフリーランスの書籍ライターという仕事で生活している。就職活動を経験していないので僕自身は学生の就活事情にそれほど詳しくはないのだが、幸い月末になると卓を囲む麻雀仲間に、東大経済学部の卒業生であり、大手人材情報会社勤務を経て独立、現在も名だたる企業の採用活動をサポートする人事コンサルタント会社の代表・小林倫太郎さん(41歳)がいた。

ある麻雀日、小林さんには集合時間の1時間ほど前に雀荘の近くの喫茶店に来てもらい、取材料としては格安のコーヒー1杯を約束して、東大生の就活事情について話を聞いた。

「就職活動ってのは、学生の全方位的な資質が試される初めての戦いなんですよ」

注文したコーヒーが届くと、小林さんはそう切り出した。

「自分の能力・志向に合わせた志望業界の選び方から、かぎられた時間内での活動時間の配分の判断、活動時間の絶対量を生む体力と気力、文章で己を売り込むエントリーシートの書き方や面接での立ち居振る舞いまでね」

どこをゴールと定義するかは学生次第だが、就職活動で「成功した」といえる結果を残すためには、多方面にわたる広く浅い能力とそれらをうまく統合して発揮する高い自己管理能力が必要となるのだという。

「多い会社では4次、5次と選考を重ねますし、世間で言われるほどごまかしは利きませんよ。入社難度の高い企業の採用担当者をごまかし通せるなら、それはそれで立派な能力と言っていいでしょう」

東大生をめぐる「奇妙な現象」

大学の就職課の指導のあり方などにより多少の誤差はあるが、一般的に大学のランクと学生の就職活動の質は驚くほどに一致するものなのだそうだ。

それは単に筆記試験の点数が高いであるとか学生時代に取得している資格が多いといったことだけでなく、単純な行動量の多さや無難な服装・髪型、面接でのソツのない受け答えといった面でも、「学歴はやはり正直」というのがいまだに採用担当者たちの共通認識であるとのことだった。

ところが、われらが東大生に関しては、各企業の採用担当者たちが口をそろえる奇妙な現象があるという。

「僕らは『東大までの人』と呼んでいますね。『あの子は「東大までの人」だよねー』って」と小林さんはなにやら小ばかにした口調で言った。

学歴社会の頂点である東大生にかぎって、就職活動の場での評価が極端にお粗末なものがいるのだそうだ。

「エントリーの数は少ないし、行動量も少ない。小手先の訓練で伸ばせるSPIを伸ばす努力もしない。面接でも熱意がないし、最低限の業界研究もしてこない。ちょっと突っ込んだ話をするとまるでFランク(底辺)大学で遊びほうけていた学生のようにトンチンカンな応答に終始して話がまったくかみ合わない。『東大までの人』の就職活動は、こんな調子なんですよ」

「大学別に企業説明会の日程が用意されているし、書類選考も悪名高い『学歴フィルター』で素通りしちゃうから、必死になる必要がないのでは?」

僕がそう尋ねると、小林さんは「問題の根はもっと深いんですよ」とかぶりを振った。

「東大までの人」が抱える問題点

「東大までの人たちは、社会に興味がないんです。正確に言えば、興味がないわけではないんですが、社会で成功したいという欲求は人一倍強いのに、その過程をまったくイメージできていないんです。

『30歳までに年収1000万円欲しい』だとか『将来は経営者になりたい』といった願望だけは強いのですが、それをかなえるためにはどんな仕事に就いて、どういうふうに成功するかという具体的なビジョンがまったくもって貧困なんです。

それなのに、なぜか自信だけは満々なので、そういう子がクライアントだと本当に困りますね」

耳の痛い話だった。大学院の博士課程まで進学し、人より長く大学にいた僕も実社会に対するイメージはずっと希薄だった。社会にたいして興味もなかった。ようやく「物心」がついたのは、就職してしばらくたった30手前のころだったように思う。

「これまでどおり一生懸命勉強してれば、誰かが評価してくれると思っているんでしょう。甘えですよ。まあ、困るのは志望者が殺到するような大手優良企業にかぎって、そういう東大生を期待値込みで採用していくことなんですが」

「でも、基本的に期待どおりの活躍はするんでしょう?」

東大卒社員のパフォーマンスが低いという話は、週刊誌の特集などではしばしば見かけるが、僕のまわりでは聞かない。

「まぁ、そうですね。大手は大手で露骨な幹部養成コースみたいなキャリアパスが整っていることも多いですし、敷かれたレールの上を走るのは得意な子たちですから。アベレージとして、東大生は優秀ですよ。ここで問題としているのは、『東大までの人』ですね。正直、仕事ではあまり使えません」

近年、大学卒業時点で最も社会人として即戦力に近い実力を備えており、出世頭を務めるのは、東大でも早慶でもなく、明治大学出身で飲食店アルバイトかインターンの経験のある学生だ――そう、小林さんは断言した。

業種にもよるのだろうが、ただ頭がいいだけの人間よりも、変なプライドもなくコミュニケーション能力に優れた人材のほうが多くの企業では役に立つということなのだろう。

「東大卒の中途採用」は要注意

「これは余談ですが、中小企業の経営者さんが東大卒を中途採用しようとするときは、少し慎重になったほうがいいかもしれませんね」

職場に合わなかったとき、新卒なら「ほかにやりたいことができた」とか「資格試験に専念したい」などとのたまってフイと退職してくれることも多い。しかし、中途採用となると、周囲とのズレをものともせず居座り、トラブルにまで発展するということもしばしば起こるのだそうだ。

「来月入社する中途の社員がどうも東大卒らしい。東大卒の採用なんて、うちの会社始まって以来だ。そりゃすごいね。前職はまったくの別業種らしい。なんでうちの会社に? 役員の紹介。部長の友達の息子なんだって。年は30歳手前で独身の男。まあ、このあたりまで合致すれば間違いないです。麻雀でいうところの『数え役満』ですね。当たったらヤバい」

なにも学歴にかぎった話ではない。人事担当者は客観的に見て自分の会社に不相応な経歴の人間をホイホイと採用すべきではないということだろう。一般によく言われるように、「安いものには理由がある」のだ。

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