「売れない・貸せない・住む予定ない」家の絶望未来

マンションマーケットに異変が起きている。都心部ではバブル超えの異常な高値圏にある一方、郊外では売るに売れない負動産も増加しているなど、いびつな市場が形成されつつある。不動産コンサルタントの牧野知弘氏は、日本の住宅市場は変革期にあると指摘。経済成長が限界な今、業界にでっちあげられた「資産価値」よりも、都市や地域コミュニティーの「創造性」を重視して住まいを選ぶことが重要だと言う。牧野氏の著書『不動産の未来 マイホーム大転換時代に備えよ』より一部抜粋してお送りする。

10年で3割も人口が減った埼玉県のニュータウン

埼玉県比企郡鳩山町には、鳩山ニュータウンという瀟洒(しょうしゃ)な住宅団地がある。この地域は1971年、当時の日本新都市開発(2003年に特別清算)という会社が開発し、1974年から1997年にかけて分譲した3000戸を超えるニュータウンである。

東武東上線「高坂」駅から現地まではバスで10分から15分ほど。豊かな自然環境に恵まれたこの街は、「楓ヶ丘」「鳩ヶ丘」「松ヶ丘」といった素敵なネーミングを施された街区に分かれ、とくに1990年代の平成バブル期に分譲された松韻坂地区は分譲価格が8000万円台、埼玉県内のニュータウンでの分譲価格としては破格の高値として話題を呼んだ。

統一感のある街並みと景観は数々の賞に輝き、大企業に勤めるアッパーなサラリーマンや経営者に人気を博した。

だが、その後この街は、ニュータウン凋落の象徴的な街としてたびたびメディアに登場するようになる。2010年には9979人を数えた人口が、わずか10年後の2020年に7018人、なんと30%の人口減少が生じたのである。

人口減少で全国的に有名な自治体に北海道夕張市がある。同時期の夕張市の人口は2010年1万1012人から2020年7578人に31%の減少であるから、この減少ぶりの深刻さがわかるというものだ。

この街から都心への通勤は、最寄り駅が東武東上線「高坂」駅となるが、駅までのバス利用で15分程度、高坂から池袋まで急行で55分、新宿まで1時間10分、大手町には1時間20分である。バス停までの時間、待ち時間や乗り換え時間を加味すれば、東京都心までは1時間半から1時間40分コースとなる。

通勤におけるこの時間距離が、街からの人の流出を促している。鳩山町自体はまだ空き家率は8.9%で埼玉県全体の10.2%を下回っているが、この街で起こっていることは、1世帯当たりの人口の減少である。鳩山ニュータウンを含む鳩山町全体では、1995年の1世帯当たり平均人員は3.5人であったが、2020年には2.2人と急速にしぼんでいる姿が浮き彫りになる。

この間、世帯数は5132世帯から6001世帯と870世帯ほどしか増えていないので、ファミリー世帯での人員減は明らかである。つまり、この街で育った子どもたちが、街を出ていったまま戻ってこないということを示している。

価格は分譲時から3分の1~5分の1に

この現象は鳩山ニュータウンに限った話ではない。千葉県千葉市緑区土気(とけ)町では、1982年に土地区画整理事業がスタートし、JR外房線「土気」駅の南側、東西1.5km、南北2.5kmという広大な敷地に新しいニュータウンが登場した。

大手デベロッパーの一角である東急不動産が「あすみが丘」というネーミングで1980年代から1990年代にかけて分譲し、人気の街となった。

だが、この街も鳩山ニュータウンと同様の軌跡をたどりそうである。土気から東京駅までは乗り換えこそないものの57分、新宿や渋谷には1時間20分以上の移動時間は、夫婦共働きをベースとする現代の若いファミリーには人気がない。

商業施設として地域内で2店舗を展開していた東急ストアも2011年に相次いで閉店。街のにぎわいは失われていった。街から若い層が転出して人口が減少、住民の高齢化が進むと商業施設などが撤退、利便性に欠けるようになると街の価値はどんどん減退していくことになる。

鳩山ニュータウンの戸建て住宅の中古相場は、700万円から800万円程度、あすみが丘も1200万円から1500万円程度と分譲時の価格の3分の1から5分の1になっている。

次の世代に引き継げないニュータウンの未来は暗い。昭和40年代以降平成初期にかけて流入し続ける人口の受け皿として、造られ続けてきた家は、量的拡大を是としてきた当時の価値観の産物だ。

ニュータウンの役割は、都心に勤める勤労者のために「寝る」家を用意し、生活するために必要な商業施設や学校などを整えることに限られてきた。台地や山林を切り崩し、造成を施しただけの土地には歴史や文化は存在しない。

入居時こそ新しい街として活力にあふれ、同世代で同じような境遇、経済条件をもつ住民たちで構成されてきた街も、代替わりをするための魅力を醸成できないでいるのが現実だ。

鳩山ニュータウンは2015年ですでに高齢化率が44.1%に達している。そして2040年にはこの数値は53.9%に達するという。

「売れない」「貸せない」「住む予定がない」の三重苦

そして確実に起こるのが相続である。ほぼ同じ時期に同じ年代の人々が入居してきたニュータウンにおいて、この事象の勃発は避けることができない。そして次にまとめてやってくるのが、空き家問題である。

子どもたちの多くは自分が育ったニュータウンに興味も関心もないという。それはそうだ。彼らは子どものころからその多くが学習塾に通い、私立中学に入り、毎日父親と同様、電車に乗って通学をしてきた。できればこんな遠くから通いたくはなかったはずだ。

結局、ニュータウンは昭和世代の人たちがノスタルジーを感じてきたような「ふるさと」ではなく、いまだに親が住んでいる実家というだけのものでしかないのだ。

今後この子どもたちが苦心惨憺(さんたん)するのが、親が亡くなったあとの実家の後始末だ。新しい血が入らなくなったニュータウンにはもはや家の流動性はない。交通利便性の脆弱さゆえ家を貸したいと思っても需要が見つからない。そして自分はすでに都内にマンションを所有していて、いまさら親の実家に戻るなどありえない。「売れない」「貸せない」「自分が住む予定がない」の三重苦の負動産である。

相続して真面目に管理していても、出口が見えないのが未来のニュータウンである。先がわからない物件は、管理する者がいなくなる、管理が行き届かなくなれば廃墟が増える。廃墟が増えれば、さらに人がいなくなる。ゴーストタウンへの道である。

国は相続登記を義務づけ、所有者不明土地のこれ以上の増加に歯止めをかけようとしている。いっぽうで相続人にとって必要でない不動産については相続放棄して国が管理する方針も打ち出している。ニュータウンの多くが再び元の山林に戻っていくのが未来の姿かもしれない。

ふるさとは遠きにありて思うもの、と言ったのは昭和世代までだが、ニュータウンで育った世代には、どこを探してもふるさとの痕跡が見当たらない、脳裏に残るわずかな記憶に頼るものになるのだ。

(牧野 知弘 : 不動産プロデューサー)

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