飛行機の利用にはどれだけのコロナ感染リスクがあるのか。航空ジャーナリストの北島幸司氏は「機内は2~3分ですべての空気が入れ替わるなど、『3つの密』を防ぐ仕組みが備わっている。搭乗者が注意すべきなのは機内での感染リスクよりもフライト前後の行動だ」という——。
■国際航空運送協会の結論「感染リスクが低いことを示唆している」
新型コロナウイルスの感染拡大で、航空業界は利用者が激減し窮地に立っている。多くの読者も機内での感染リスクについて不安を感じていると思う。外出自粛が解かれても、飛行機の利用は避けたほうがいいのだろうか。
「不要不急」の観光旅行を再開するのはまだ時間がかかるだろう。しかし飛行機の利用自体は感染リスクの高い行為ではなさそうだ。世界の8割以上の航空会社が加盟する国際航空運送協会(IATA)は、5月5日、機内はいわゆる「3密」の状態にはならず、「感染リスクが低いことを示唆している」という内容のリポートを発表している(※資料1)。
IATAは、他の交通機関と異なって飛行機での集団感染のリスクは低いと強調している。確かに飛行機では集団感染は起きていない。一方で、船舶では、横浜港に接岸したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」、あるいは米海軍の原子力空母「セオドア・ルーズベルト」で集団感染が発生している。
なぜ、飛行機では集団感染が発生していないのか。
IATAはその理由として、①乗客は前を向いて座っていること、②対面の接触は限定的であること、③座席シートが後方から前方への感染をバリアする役割があること、④天井から床への空気の流れは機内前後への感染の可能性を減らすこと、⑤機内空調で高効率粒子状(HEPA)フィルターを使用している、などを挙げている。
■感染者が同乗しても2次感染者が出なかった
IATAは今年1~3月、加盟する主要国18の航空会社への聞き取り調査を行っている。その結果、機内での感染が疑われたケースは3件報告された。それはすべて乗客から客室乗務員への感染だった。パイロット同士の感染も4件報告されたが、操縦室での感染なのか、その前後なのかは判明していないという。
また飛行後に新型コロナウイルスに感染していると確認された1100人を追跡調査したところ、同じ便に搭乗していた10万人以上の乗客なかに、2次感染者は一人も確認されなかった。乗客間の感染は疑わしい例は報告されていない。IATAのリポートでは、症例は少ないものの特別な対策を施さなくても機内での感染リスクは低いと結論付けている。 筆者撮影 JAL 国際線機材のボーイング787-9型機。 – 筆者撮影
国内の事例では、武漢から帰国したANAチャーター機計5便の搭乗者829人中、2週間以内にPCR検査を受けた815人のうち14人(1.7%)が陽性となったことが国立感染症研究所の報告として上がっている(※資料2)。同研究所のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」での集団感染症例報告で3711人の乗員乗客に対し、712人の患者が発生(19.2%)したものに比べ10分の1以下の比率だ(※資料3)。
■感染リスクを抑える機内の高性能換気システム
機内で集団感染が起きなかった理由について、日本渡航医学会理事で航仁会西新橋クリニック理事長の大越裕文氏は、筆者の取材に対し、「機内に標準的に装備されている高機能な空調管理システムが重要だ」と説明する。
「機内は高機能な換気がされているので、感染リスクを抑えることができる。収益の面でもソーシャルディスタンスを取ることは現実的ではなく、IATAのガイドラインを遵守すれば航空旅行は可能です」
IATAも、強調されているのが客室に備わっている高機能の「空気循環システム」で工業用のHEPAフィルターの存在を挙げている。精密機械製造工場にあるクリーンルームや手術室の中の環境と同じと思えばいい。エンジンから取り入れた外気は圧縮されたのち、ろ過されてエアコン装置を通り温度が調節されて機内に流れる。機内を循環した空気は窓側座席下の吸入口より床下を通り機外に排出される。 画像資料:IATA Twitterより
一部の空気は床下からHEPAフィルターに入り、再度エアコン装置を通り機内に再循環される。天井や窓側座席上の排気口よりこの空気が排出され、機内の横向きないし下向きに流れる。この循環器は高速で流れており、機内の空気が2~3分程度ですべて入れ替わる。よって前方に飛ぶウイルスの飛沫を機内に滞留させる可能性は低いというわけだ。
■コロナの教訓で機内殺菌システム完備が進む可能性
この高性能換気システムは年々進化を続けている。例えば、英国の航空宇宙メディアの「フライトグローバル」が報じた、航空機内で殺菌ができる装置を開発しているメーカーがある(※資料4)。米ジョージア州にあるAviation Clean Air社は機内殺菌システムを開発し、2014年から販売している。
同社のイオン発生機は、通常の機内空気循環システムに追加で設置するもので、機内に200万もの正負イオンを分配することで、細菌を消滅させる力を持っているという。今回の新型コロナウイルスの細菌を死滅させる検証はされていないが、SARSを含む過去の感染症では効果を発揮した。
同社の経営メンバーであるTom Davis氏へメール取材ができた。この装置は現在アメリカの6つのメジャーエアラインや他国の数社から引き合いが来ているという。
1台での有効空間面積は限りがあるので、ボーイング737などのナローボディ機では4台、ボーイング787などのワイドボディ機へ7~8台の設置が必要になる。月間製造可能台数1000台以上とのことで、ナローボディ機250機分となる。米国FAAや欧州EASAなど航空当局の認証もあるとのことだ。
エアバスは、5月4日のリリースでアメリカの「コニク」社とともに、バイオテクノロジーを利用した臭気による細菌感知システムの構築に乗り出すことを発表した(※資料5)。
エアバスは2017年より防衛の分野で提携した経緯もあり、今回生物バイオテロに立ち向かう新たなプロジェクトを立ち上げると表明したもの。航空機メーカー主導の対策が実現すれば安心な航空旅行が実現するが、現段階では細菌を検出するのみということで、行く末を見守りたい。 写真=iStock.com/Joel Carillet ※写真はイメージです – 写真=iStock.com/Joel Carillet
■コロナで激変する旅行者への安全対策
先述のIATAのリポートでは、感染症対策として明示しているのは機内での乗務員・乗客のマスク着用の推奨だけだ。しかし各国の航空会社は独自に、「搭乗準備」「搭乗前」「搭乗中」「降機時」の各段階で感染防止対策をすでに導入している。
例えばデルタ航空では、チェックイン、セキュリティ、搭乗、機内、座席の5つのシーン別の対策を明らかにしている。他社との差別化でみるとチェックインでは、アプリ使用のモバイルチェックインを推奨。マスク未使用者にはウェルネスキットを渡している。消毒液の用意や有人カウンターでアクリル製の仕切りを設置している。
セキュリティでは手荷物検査トレーの消毒を行い、消毒液を設置している。搭乗時には、ゲートやボーディングブリッジに静電スプレーによる消毒を行う。搭乗は最大10人が機内最後部の搭乗者より案内される。ボーディングブリッジ内に誘導シールが貼付される。機内では、前述の静電スプレーが使われ、広範囲に消毒がされる。
長距離国際線のアメニティにもハンドウォッシュかウェットティッシュが入っている。サービスでは緊急性の低い備品として機内誌と飲料グラスの提供を中止。全ての段階で世界保健機関(WHO)と米国疾病対策センター(CDC)と連携を取りながら情報は逐次アップデートされるというものだ。
この他、ユナイテッド航空はクリーブランドクリニックという学術医療専門の病院と提携し、アドバイスを受けていると説明する。アメリカン航空では使用する静電スプレーに米国環境保護庁(EPA)登録の医療用レベルの消毒液を使うと明示した。アメリカは総じて対策のレベルが高い印象を受ける。
■ガイダンスに書かれた“搭乗者の自衛手段”
CDCは3月4日、航空会社および乗務員向けのガイダンスを更新した(※資料6)。さらにCDCは5月10日にアメリカ連邦航空局(FAA)のガイダンスも紹介している(※資料7)。これらは航空会社側の指針であるが、搭乗者の理解向上につながる。
感染の疑いのある搭乗者の降機後、注意深く清掃する部分が書かれている。われわれにも参考になるので紹介する。その部分とは、シートとシートベルトバックルの金属部分、トレーテーブル、ライトとエアコントロール、客室乗務員の呼び出しボタン、オーバーヘッドビンハンドル、隣接する壁、隔壁、窓と窓のシェード、および個々のビデオモニターだ。これを頭に入れておけば、搭乗者自身は除菌シートを使って防衛することもできるだろう。
また、機内のソーシャルディスタンスについても紹介したい。IATAは先述のリポートで3列シートの中間席を空ける措置は必要ないと断じた。だが、中間席を予約させずにソーシャルディスタンスを取るエアラインがある。日本ではJAL、フジドリームエアラインズの例がある。航空会社も利用者の不安心理に配慮しなければならず、収益面から考えれば苦肉の策であろう。 筆者撮影 ANA国際線のビジネスクラス座席。パーテションで仕切られ「密」を防ぐ。 – 筆者撮影
搭乗旅客数を制限するということは、現在よりも高い運賃(IATA試算で地域により43%から54%増)を収受しないと採算が合わない計算となる。この対応は、新型コロナウイルス収束前で旅客数が少ない時期の一時的な措置と考えられる。JALは6月末までの期限をつけた。
■新たなルールの下で、安心な航空旅行の再開はできる
日本では、定期航空協会と全国空港ビル事業者協会が5月14日に「航空分野における感染症予防ガイドライン」をまとめた。ANAやJALといった国内エアラインは今後、これを運用基準として安全対策を施すことになった(※資料8)。
ガイドラインでは、空港での滞在にも言及している。機内について言えばANA/JALのホームページに記載のない指針として、トイレの利用方法を述べている。使用前後に手洗い励行を呼びかけ、トイレ内でもマスクの着用を要請している。さらに使用後は蓋(ふた)を閉めた上で水を流すことを求めている。ANAは6月1日から搭乗客にマスク着用を求め、拒否した場合には搭乗を断る場合もあるという。マスク着用が今後の航空機利用の標準になっていくだろう。 筆者撮影 ANA国際線機材のボーイング787-10型機。 – 筆者撮影
航空機内は密閉空間だと思う人がほとんどだと思う。しかし、感染状況と照らし合わせても、航空機内の環境は感染リスクが決して高い環境ではないのだ。それは、座席の向きであったり、普段座席からは見えない高性能の換気システムによるところが大きい。
航空会社が搭乗前から厳重な安全対策を導入しているが、先述の大越医師は、機内はマスクの着用を励行し、トイレの飛沫、接触感染に気を付ければ過度な心配は必要ないと指摘する。旅行の行程で言えば、フライト前後の空港の移動や空港内の滞在が感染リスクを高めるので注意が必要だという。
新たなルールの下で、エアラインとわれわれ搭乗者の心がけで安心な航空旅行の再開は可能だと言えよう。それを信じて、今はじっと耐え抜く必要がある。
参考資料
※1「IATA Calls for Passenger Face Covering and Crew Masks」
※2「中国武漢市からのチャーター便帰国者について:新型コロナウイルスの検査結果と転帰〔第四報:第4、5便について〕および第1~5便帰国者のまとめ」
※3「ダイヤモンドプリンセス号環境検査に関する報告(要旨)」
※4「Maker of virus-killing cabin air purifier ‘ramping up’ production」
※5「Airbus and Koniku Inc. embark on disruptive biotechnology solutions for aviation security operations」
※6「Updated Interim Guidance for Airlines and Airline Crew: Coronavirus Disease 2019(COVID-19)」
※7「COVID-19: Updated Interim Occupational Health and Safety Guidance for Air Carriers and Crews.」
※8「航空分野における新型コロナウイルス感染症予防ガイドライン」
———-北島 幸司(きたじま・こうじ)
航空ジャーナリスト
大阪府出身。幼いころからの航空機ファンで、乗り鉄ならぬ「乗りヒコ」として、空旅の楽しさを発信している。海外旅行情報サイト「Risvel」で連載コラム「空旅のススメ」や機内誌の執筆、月刊航空雑誌を手がけるほか、「あびあんうぃんぐ」の名前でブログも更新中。航空ジャーナリスト協会所属。
———-
(航空ジャーナリスト 北島 幸司)