「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行」は定説になりつつある…トンデモ説が欧米で”史実”扱いされる恐ろしい理由

フランスのゲーム大手が11月に発売予定の『アサシン クリード シャドウズ』の主人公に「黒人の侍」が登場することが判明し、批判が集まっている。ジャーナリストの岩田太郎さんは「欧米では『戦国時代の日本には黒人の侍がいた』という説が拡散し、もはや定説になりつつある。背景には、政治的正しさを重視する欧米社会の歪んだ認知構造がある」という――。

主人公が黒人の侍「弥助」に設定されている(※写真はイメージです) – 写真=iStock.com/mrjo2405

■「黒人の侍」が活躍するゲームが大炎上

フランスのゲーム企業ユービーアイソフト(UBI)が11月に発売予定のアクションアドベンチャー『アサシン クリード シャドウズ(Assassin’s Creed Shadows)』(監修は米ダートマス大学のシュミット堀佐知准教授)が日本人ゲームファンの間で大炎上し、一般世論にも飛び火している。

ゲームの舞台は、外国人がそこかしこに住んでいる今の日本ではなく、安土桃山時代の戦国日本である。にもかかわらず、ゲームの主人公が黒人の侍「弥助」に設定されていることを問題視する声が一部で上がったのだ。

確かに、このゲームにおける戦国時代の描き方には違和感がある。公開されているゲームプレイ映像では、甲冑姿の弥助が村の中をのし歩き、村人が弥助に恭しく頭を下げる様子が見てとれる。ただ、帯刀が右であったり、仏像の手が左右逆、畳が正方形だったりと、衣装・道具・装置の時代考証ミスが目につく。

こうした中UBIは7月に、関ケ原のPR活動などをおこなっている「関ケ原鉄砲隊」が使用している旗をコンセプトアート内で無断使用したことを認めて謝罪している。

■「戦国時代の日本では黒人奴隷が流行」と主張したイギリス人研究者

ただ最大の問題は、主人公「弥助」の設定にある。

戦国時代、織田信長はキリスト教宣教師が連れていた黒人奴隷「弥助」を気に入り、自分の召使いとして連れていた、という有名な「史実」がある。

だが、本ゲームにおける弥助は「侍」となっている。信長の召使いではなく、武器を取り戦場で戦っていたことになっているのだ。

多少とも日本史を学んだことがあれば、強い違和感を覚える設定だろう。

このゲームが下敷きにしたのは、日本大学准教授のトーマス・ロックリー氏の『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』という本である。

この本では「弥助は侍であった」のほかにも、「戦国時代の日本では黒人奴隷が流行していた」という説を展開している。

問題に火を注いだのが、デービッド・アトキンソン氏の投稿だった。

日本政府観光局特別顧問を務めるデービッド・アトキンソン氏は、ソーシャルメディアのXで、上記トーマス・ロックリー氏の「戦国日本では黒人奴隷が流行っていた」説を批判するアカウントに「(反対するなら)エビデンスを出せ」と投稿し大炎上してしまった。

■「弥助=侍」説の根拠は薄い

では実際のところ、「弥助は侍だった」「戦国時代の日本では黒人奴隷が流行していた」というロックリー氏の説は正しいのだろうか。

ロックリー准教授の学説の「問題」は、弥助が武士(侍)として扱われた証明となる「主君信長からの刀と屋敷の下賜」の記述が、後代のたったひとつの史料にしか見つかっていない点にある。

その史料とは、織田信長の一代記『信長公記』。信長の死後30余年を経て成立したいわゆる二次史料だが、信長と同時代に書かれた一次史料の史実と照らし合わせても誤りが少なく、価値の高い準一次史料として扱われることが多いという。

『信長公記』には江戸時代の写本がいくつか存在するが、そのひとつの「尊経閣文庫本」のみに、弥助への刀と屋敷の附与の記述があるという。

■「完全否定」するのも難しい

国際日本文化研究センター(日文研)の呉座勇一助教はアゴラ(7月22日)にて、尊経閣文庫本の『信長公記』に「弥助が装飾刀と屋敷を与えられた」と書いてあることから、弥助が信長の家臣、すなわち武士(侍)として遇されていた可能性を否定していない。

ただ、それだけで弥助が武士であったと断定することもできないようだ。

原本が焼失している『信長公記』の写本の中で、尊経閣文庫本以外にこの記述がない、ということは、この個所が後世の創作である可能性を示唆するものだ。

一方、宣教師のロレンソ・メシヤが書き残した西洋側の一次史料に、「人々が言うには、(信長は)彼(弥助)を(知行を取り家臣を抱える身分の)殿にするであろうとのことである」という記述もあるという。

ただ、これはあくまで「噂話」であり、刀・屋敷・所領・名字・家来などの「物証」への言及がないため、証拠として弱いという説もある。

帯刀のほかに、「苗字」を名乗っていたかどうかも「侍の要件」の一つと考えられるが、弥助には苗字が与えられておらず、弥助は侍より下の武家奉公人ではなかったかという説もあるようだ。

前述の呉座氏も、一介の奉公人に刀と屋敷が与えられたとは考えがたいとし、「弥助=侍」説を完全否定はしないが、積極的に肯定もできない、という慎重な立場を取っている。

日本の歴史学者の間で、「弥助=侍」説を「定説」とするコンセンサスはないと見ていいだろう。

現状はこのような状況で、「弥助=侍」説には十分な証拠がそろっておらず、「史実」として扱うのは無理がありそうだ。

だが、“悪魔の証明”とも言われるが、ある事実が存在しないことを証明するのは難しく、「弥助=侍」説を完全否定することも難しいのが現状のようである。

あくまで「噂話」(※写真はイメージです) – 写真=iStock.com/PonyWang

■「黒人奴隷が流行」の根拠が示されていない

ロックリー氏は著書の中で、「弥助は(日本の)内陸部に赴くたびに、大騒ぎを引き起こした。地元の名士(戦国大名のことか)のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった」(p.13)とする。その根拠は一片たりとも示されていない。

一方で筆者の管見の限りにおいて、欧米論壇やメディアでは「弥助=侍」の側面がメインではあるが、とはいえ、訂正がないままでは「日本で黒人奴隷が流行していた」説が拡散し、定説になりかねない。

「アフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」根拠が示されていない(※写真はイメージです) – 写真=iStock.com/ilkaydede

■「ブリタニカ国際大百科事典」にも「弥助=侍」説

日本人にとっては一見して「トンデモ」のロックリー氏の学説だが、実は欧米を中心にじわじわ拡散しているのが現状である。

むしろ「拡散している」という事実そのものによってロックリー説の信憑性が高まり、今では「世界の定説」と化しつつあるとさえ言える。日本人の知らないところで恐ろしい事態が進んでいるのだ。

「ブリタニカ国際大百科事典(Encyclopaedia Britannica)」は、1768年初版発行という長い歴史を誇り、検証がしっかりした最も偏っていない百科事典として、学術的に高い評価を受けており、日本でも「知の世界的権威」と扱われている。

ところが、このブリタニカのオンライン版には、ロックリー准教授自身が寄稿した「弥助」の項が存在する。

その項は「一部異論はあるものの、弥助は最初の外国生まれの『侍』として名を遺したと、日本人の歴史学者によって一般的に考えられている」という記述で始まっている。

■本当に「ファクトチェック済み」なのか

「日本人の歴史学者によって一般的に考えられている」は事実とは異なる。またロックリー氏はこの点について根拠を提示していない。

これは一種の循環論法になっている。「私の説は正しい、なぜなら私の説は日本人学者の一般的な支持を得ているからだ」とロックリー氏は語っている。だが、健康科学大学の平山優特任教授と東京大学史料編纂所の岡美穂子准教授など一部を除いては積極的な支持表明がなく、「日本人学者に広く支持されている」と考えているのは他ならぬロックリー氏だけと思われるからだ。

興味深いことに、この項は「ブリタニカ大百科事典の複数の編集者によってファクトチェック済み」と、「お墨付き」まで得ている。

ただ、重要な事実関係についての根拠が不十分なロックリー氏の説を「ファクトチェック済み」として掲載するのは、さすがに問題ではないだろうか。

■米大学では堂々と教えられている

ほかにも、欧米では多くの知識人がロックリー氏の説を拡散している。

米中西部のミシガン州立大学は、毎年「世界大学ランキング」でトップ100に入る名門大学だが、その黒人研究者であるタリク・ムハメド氏は、ロックリー氏の「弥助=侍」説を史実として共有している。

米大学では堂々と教えられている(※写真はイメージです) – 写真=iStock.com/wellesenterprises

また、黒人の著名人類学者であるニール・ターナー氏も、アフリカ系の人々の「民族離散(ディアスポラ)」研究の一環として、ロックリー准教授による「弥助=侍」説を拡散している。

さらに、米スミソニアン協会が発行する『スミソニアン』誌も、「日本の最初の黒人侍であった弥助とは誰か」と題した記事を掲載している。

なお、アリゾナ州立大学のロバート・タック准教授のように、「弥助が侍であったとの説や、伊賀の忍者が信長一行を待ち伏せして襲撃した際、弥助がひとりの忍びの少年の首を斬り落としたとする描写など、ロックリー氏には『起こり得たこと』を歴史的エビデンスなしで、あるいは外典・疑わしいソースを基に『本当の物語(True Story)』と主張するパターンが見られる」と批判する声も一部にある。

■NHKや外務省も拡散

ロックリー准教授の説を拡散しているのは欧米人だけではない。なんと日本の報道機関も、この説を拡散している。

NHKは2021年、声優の増田晋氏の語りで『Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助』という番組を放映しているが、この番組はタイトルからわかる通り、ロックリー氏の説に基づくものだ。

なお産経新聞の報道によると、NHKは「番組自体は多くの専門家への取材で構成されている。問題があったとは思っていない」との見解を示しているという。

日本政府関係者さえこの説を広めている。

2018年時点の在モザンビーク大使である池田敏雄氏は、大使館ホームページに掲載された「あいさつ」で、「1581年イタリア人宣教師ヴァリニャーノは織田信長に謁見した際に,従者として連れていた黒人を信長が召し抱えたいと所望したため献上しました。その黒人はモザンビーク出身であり,信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にしたと伝えられます」と、ロックリー説を鵜呑みにした「歴史的事実」を拡散している。

NHKや外務省も拡散(※写真はイメージです) – 写真=iStock.com/y-studio

■「ネトフリのアニメ」や「ブロードウェイミュージカル」も…

ロックリー説の拡散はとどまるところを知らない。

先に挙げたUBIのゲーム『アサシン クリード シャドウズ』のほかにも、ロックリー准教授の著書を下敷きにしたゲームやアニメが続々と作られている。

ネットフリックスのアニメ『YASUKE ヤスケ』(2021年)は、戦国時代を舞台にしているが、主人公はアフリカ出身の「ヤスケ」となっている。

また、2026年からブロードウェイミュージカルとして上演予定の『Yasuke: The Black Samurai』(舞台監督は日本人の母親を持つ著名振付師のジョアン・ハンター氏、音楽監督は日本のミュージカル脚本家・作曲家の藤倉梓氏)も、ロックリー説を基にしているという。

世界ではロックリー説こそ定説になりつつあり、もはや「弥助エコノミー」とでも呼ぶしかないほどの大規模かつグローバルな展開が進んでいるのだ。

■なぜ「弥助=侍」説を信じてしまうのか

だが、ロックリー氏の学説には根拠が乏しいのも事実であり、現段階で史実とするのは難しい。

にもかかわらず、多くの欧米知識人や、あまつさえ日本人までも「弥助=侍」説に飛びついてしまうのはなぜなのだろうか。

英国の著名な歴史家であるE・H・カーは、「歴史とは、現在と過去のあいだの終わりのない対話である」「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになる」と看破した。

つまり、E・H・カーにとっての「歴史」とは、後世の視点によって再構築されたものという面がある、ということだ。

この意見に基づいて考えると、ロックリー准教授の「弥助=侍」説には、やはり後世の視点が濃厚に反映されている、と見ていいだろう。

■「ポリコレ知識人」にとって都合のいい説だった

欧米の大学を中心としたアカデミズム界隈では、「人種・文化は多様であるべきだ」といった「ポリコレ言説」が流行・蔓延している。

「弥助=侍」説は、そうしたアカデミズム界隈の「ポリコレ言説」にとって都合のいい学説だった、とは考えられないだろうか。

まず、欧米社会にとって「弥助=侍」説は特別な意味を持つ。言わずもがな、現代欧米社会において黒人たちは差別・迫害されている。

それは取りも直さず、近代以降の欧米社会が黒人差別や植民地支配をもとに成り立っていた、という事実と関連している。

そんな欧米社会において、特にアカデミズム界隈の知識人たちが、自分の正当性を主張する材料として、黒人差別問題が使われることがある。

「ポリコレ知識人」にとって都合のいい説だった(※写真はイメージです) – 写真=iStock.com/mapo

■「黒人差別反対」だから「私は正しい」

要するに、「私は多様性を尊重し、差別に反対している」から、「差別と関連する欧米社会に生きていても『私だけは』正しい」とアリバイを主張することができるわけだ。

弥助騒動を通してマイノリティー差別と闘う自己を演出する欧米研究者の例は、中世日本史専門家でカリフォルニア大学ロサンゼルス校においてグローバル学際日本研究のリーダーを務めるポーラ・カーティス氏やハーバード大学のデイビッド・ハウエル教授などだ。

カーティス氏は弥助問題を論じるオンラインのフォーラムで、「歴史を否定する多くのネトウヨ(neto uyo)は弥助(に関するエビデンス欠如の問題)を、(同じく証拠欠如の観点から)従軍慰安婦奴隷説の否定に走る(ハーバード大学の)ラムザイヤー教授の説と結びつけて論じており、『覚醒した欧米アカデミア』批判の補強材料にしている」と論じ、ハウエル教授もカーティス氏の主張を強く支持している。

このようにして、「差別的かつ前時代的な日本人ネトウヨを正す英雄的な欧米人研究者」という言説の中で、「弥助=侍」説のエビデンス欠如という学問上の問題が、政治的正しさを基準とするマイノリティー差別問題にすり替えられている。

そんな欧米社会にとって、戦国日本という「遅れた社会」で黒人が活躍する物語を作ったり、「弥助=侍」説という「ポリコレ的に正しい言説」を流布したりする行為は、「黒人の活躍を支援する」行為として、「反黒人差別のスタンス」に基づくと認識されやすい。

よって、「戦国時代の日本でも黒人奴隷が流行していた」という説も、「黒人を差別していたのは欧米社会だけではない」という主張につながり、欧米社会にとって特別な魅力を持つ。

■欧米社会の「オリエンタリズム」にほかならない

要するに欧米アカデミズム界隈の人にとって、「弥助=侍」説を支持することは、「自分は偏見や差別と闘っている」というエクスキューズとして都合のいいスタンスなわけだ。

むしろ、「黒人差別に反対している欧米社会」こそ、「弥助=侍説を否定する遅れた日本社会」よりリベラルで良い社会だ、という考えさえ透けて見える。

ただ、欧米社会以外を劣った社会と見なすのは、エドワード・W・サイードが「オリエンタリズム」と呼び痛烈に批判した、「西洋人によって東洋が研究・記述・支配される思想」にほかならない。「弥助=侍」説は、「新たなオリエンタリズム(neo-Orientalism)」の側面を持つ。

こうした欧米アカデミズム界隈のポリコレ言説を無批判に受け入れる日本の「自称リベラル」知識人は、実は日本をはじめとする欧米以外の社会に対する差別的な見方に加担しているのかもしれない。

2024年は欧米の選挙イヤーであり、「開かれた国境」や移民の無制限な受容、多人種・多文化主義などが重要な争点となっている。

欧米の学界やエンタメ界に「弥助=侍」説への支持が広まりつつあるのは、こうした「政治的文脈」も影響している可能性すらある。

そうした微妙で複雑な問題が絡む中でも、「弥助=侍」説が事実だと主張するなら、ロックリー准教授にはより具体的な証拠を提示することが求められるだろう。

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岩田 太郎(いわた・たろう)
在米ジャーナリスト
米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の基礎を学ぶ。米国の経済を広く深く分析した記事を『現代ビジネス』『新潮社フォーサイト』『JBpress』『ビジネス+IT』『週刊エコノミスト』『ダイヤモンド・チェーンストア』などさまざまなメディアに寄稿している。noteでも記事を執筆中。
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(在米ジャーナリスト 岩田 太郎)

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