経営において本質的に大事なことは、たったひとつ。それは、会社が「生きている」ことである。
『現場力を鍛える』『見える化』など数多くの著作があり、経営コンサルタントとして100社を超える経営に関与してきた遠藤功氏は、「30年間の結論」として、会社や組織は「見た目の数字や業績」より、本質において「生きている」か「死んでいる」が重要だという。
30年の集大成として『生きている会社、死んでいる会社――「創造的新陳代謝」を生み出す10の基本原則』を上梓した遠藤氏に、「生きている会社」「死んでいる会社」を分ける決定的な差について解説してもらう。
じつは日本企業には「死んでいる会社」が多い
30年の長きにわたって、経営コンサルタントという仕事をやってきた。100社を超える会社とそれなりに濃密なお付き合いをし、ここ10年近くは複数の会社の社外取締役、社外監査役として経営に関与してきた。
これだけの経験を積んだのだから、さぞかし経営のことがわかっただろうと思うかもしれないが、それがそうでもない。知れば知るほど、「経営とは何か」「会社とは何か」がわからなくなってくる。
しかし、30年かかってわかったことがひとつある。それは、「会社は生きていなければならない」ということだ。
会社は生きてさえいれば、目の前にどんな困難が待ち受けていても、きっと未来を切り拓いていくことができる。「生きている会社」とは、挑戦しつづけ、実践にこだわり、創造に燃え、適切な「代謝」を行っている会社だ。「挑戦→実践→創造→代謝」の“いい循環”が回っている会社を「生きている会社」と私は呼んでいる。
その一方で、見た目の「数字」や「業績」がよくても、いざ内情を見ると、守りに終始し、管理に走り、停滞に沈んでいる「死んでいる会社」が、実際にはあまりにも多い。「管理→抑制→停滞→閉塞」の“悪い循環”に陥っている会社を、「死んでいる会社」と私はあえて呼んでいる。
では、「生きている会社」と「死んでいる会社」の差は、いったいどこから生まれるのか。ここでは、「死んでいる会社」によく見られる5つの社内病を紹介しながら、その違いを明らかにしてみたい。
「生きている会社」と「死んでいる会社」の典型的な違いは、「挑戦」と「管理」のどちらが優先されるかにあらわれる。
「死んでいる会社」ほど「管理部門」が力をもつ
【1】「挑戦」より「管理」が優先される
会社が大きくなっていくと、さまざまな管理業務が必要になってくるが、管理が行き過ぎると「管理強化」や「過剰管理」が生まれてしまいがちだ。
過剰管理になると、本来なら気にかける必要がない瑣末なことまで議論の俎上に載せられ、手を打たなければならなくなり、現場の負担が大きくなっていく。
「生きている会社」ほど「管理」より「挑戦」を優先し、管理はできるだけスリム化しようとする。その一方で、「死んでいる会社」は、「挑戦」よりも「管理」を優先し、しだいに「管理部門」が大きな力をもつようになる。
管理が肥大化してしまうと、誰も進んでリスクをとろうとしなくなり、「形式重視」「前例踏襲」という「官僚主義の蔓延」が進み、社員たちの気持ちが萎縮してしまう。
会社が「生きているか」「死んでいるか」は、「挑戦」と「管理」のどちらが優先されているかで垣間見ることができる。
【2】「現状維持」のベクトルが強く、「新陳代謝」に乏しい
「生きている会社」は、何かひとつの事業に成功しても、「挑戦」を怠らない。「さらによい成果」につながるように目標や理想を常に掲げ、リスクがあっても果敢に「挑戦」していく。
一方で、「死んでいる会社」は、「挑戦」よりも「現状維持」のベクトルが強くなる。「無理をすることはない」「自分がやらなくても誰かがやってくれる」「あえてリスクに挑戦しなくてもなんとかなる」と、リスクを避けて「現状維持」ばかりを考えてしまう。
その結果、「安住」という老廃物が社内に溜まり、会社は「老いて」いく。経営は、この「老化との闘い」という言い方もできる。
「生きている会社」ほど、「老化を防ぐ」ために、今ある事業や業務を見直し、「捨てる」「やめる」「入れ替える」という「新陳代謝」を重視する。しかし「死んでいる会社」ほど、その「新陳代謝」に乏しい。
成功したあとに、新たな「挑戦」に向かうか「現状維持」に終始するか、そして「新陳代謝」を適切に行っているか――。「生きている会社」「死んでいる会社」の差は、そこにも端的にあらわれる。
「生きている会社」と「死んでいる会社」の差は、「成功体験」を引きずっているかどうかにも端的にあらわれる。
「成功体験」にこだわると、「思考停止」に陥る
【3】過去の「成功体験」ばかり語っている
会社にとって「成功体験」があることは大切だが、成功体験には「負の側面」もある。それは「思考停止」に陥り、「成功体験を否定することができなくなってしまう」ことだ。大きい成功体験であればあるほど、ますます否定できなくなる。
「生きている会社」は成功体験に引きずられることなく、「自己否定」することができ、新しい挑戦へ向けて突き進むことができる。
一方、「死んでいる会社」は成功体験を引きずり、「現状否定」や「自己否定」ができなくなる。変えることで失うものばかりを気にして思考が後ろ向きになり、やがて「思考停止」に陥ってしまう。
過去の「成功体験」に対して「自己否定」ができるかどうか――。それは「生きている会社」か「死んでいる会社」かを見極める重要なポイントのひとつである。
【4】課長たちが「部長の様子うかがい」ばかりしている
上からは次々に指示が出され、下からは突き上げをくらってしまう中間管理職の「課長」は、いわば「組織のへそ」である。
上司と部下の狭間で押しつぶされそうなイメージが強いが、課長がこの「狭間」というポジションを、最大限に活かして活躍をしているのが「生きている会社」の特徴である。課長は本来、「狭間」にいるからこそ会社全体を見渡すことができ、失敗もまだ許される立場なので積極果敢に行動することができる。
しかし、「死んでいる会社」の課長は、組織からはみ出さないように部長の様子うかがいをして、ご機嫌をとってばかりいる。会社にとって中核的な役割を果たすはずの課長が、その機能をまったく果たしていないのだ。
「組織のへそ」となる「ギラギラした課長」がいるかどうかを見れば、「生きている会社」か「死んでいる会社」かが見えてくる。
会社は本来、社員に対して「会社の方針」や「ありたい姿」を明示することが大切である。その「会社の方針」がきちんと定まっているかどうかにも、「生きている会社」と「死んでいる会社」の差が如実にあらわれる。
【5】「会社の方針」がコロコロ変わる
「生きている会社」ほど、「会社の方針」や「ありたい姿」をきちんと掲げている。社員たちはそれを知ることで「自分がどのように頑張ればいいのか」が明確になり、積極的に仕事に取り組むことができる。
一方で、「死んでいる会社」では、「会社の方針」がいっこうに定まらず、優先する事業が急に変わったり、進めていた事業が急に中止になったりと「会社の方針」がコロコロと二転三転してしまう。
「会社の方針」が定まらずにいると、社員はどこに向かってどう頑張ればいいのかが見えず、仕事のモチベーションも上がらない。また、上司に説明を求めても「上の方針が定まらなくて……」と自らリスクをとることはせず、逃げの言い訳ばかりをするようになる。
トップが「ブレない軸」として「会社の方針」をきちんと明示しないようでは、「生きている会社」にはなりえないのである。
あなたの会社・組織は「生きて」いますか?
本記事で解説したように、「生きている会社」では「挑戦→実践→創造→代謝」の“いい循環”が回っている。挑戦や実践を続けるために必要なことをつねに考え、積極果敢に行動している。
一方で、「死んでいる会社」は「管理→抑制→停滞→閉塞」の“悪い循環”に陥り、挑戦よりも現状維持を、実践よりも管理を重視し、創造が生まれず停滞しがちである。
「生きている」か「死んでいる」かは、会社の規模や年齢には関係ない。小さくても「死んでいる会社」はいくらでもある。逆に、大企業でも、みずみずしく「生きている会社」もある。
また、「生きている」か「死んでいる」かどうかは、会社全体のみならず、ひとつの部署、チームにも同様の傾向がそのまま当てはまる。組織の細胞である部や課が生きていなければ、「生きている会社」にはなりえない。
みなさんの会社は、はたして「生きている」だろうか。仮に「いま死んでいる会社」でも、まずは適切な「新陳代謝」を行い、「挑戦→実践→創造→代謝」の“いい循環”を取り込むことで、「生きている会社」に十分変わることができる、と私は確信している。