「物知りなだけの50代」に今や何の価値もない 「2ちゃん」もTVも幅広く見て自ら意見を持て

少子高齢化が進み、医療や年金の対象年齢の引き上げが進む中、65歳で定年したからといって、悠々自適な隠居生活を思い描くことは、難しくなってきました。

そんな「高齢者現役社会」を目前に控える50代の社会人に向けて、精神科医、文筆家、映画監督と、50歳を超えても新しい世界で活躍し続ける和田秀樹氏が、50歳からでも新しい世界を開き、勉強を続けるための秘訣をお伝えします。

学生時代から40代まで、私たちの勉強は、ほとんどすべてが知識のインプットだったと思います。もちろん、いくつになっても、常に新しい情報知識に触れ、それを吸収していくことは重要です。

しかし、知識量そのものを競うのであれば、AIにはかないません。それに、現代は、少しネットで検索すれば、たいていの知識は誰でもすぐに入手できる時代です。ひと昔まえのように、物知りだからと言って、尊敬されることはありません。それどころか、何かに書いてあった知識、誰かが言っていた情報をそのままひけらかすだけの人は、冷笑されるだけです。

50代からは「自分の意見」を持つことに価値がある

では、何が問われるのか。それは、インプットした知識、情報に対して、その人なりの独自の解釈、分析、視点など、それらに基づく「意見」を呈示することです。それができて初めて、「このことについて、あの人だったら、どういうことを言っているだろうか」と多くの人が期待し、集まってくるのです。

今人気の池上彰さんも、単に知識をわかりやすく解説するだけでなく、そこに彼の意見が反映されているのです。つまり、50歳を超えた人が学ぶべきは、知識そのものではなく、その知識に対する考え方です。では具体的にどのようなとらえ方を学ぶべきなのでしょうか。わたしの場合は次の3つを基本にしています。

①今の答えが10年後の答えでもあるとは限らない

たとえば、ついこの間までは、コレステロール値が高いことは健康にとって悪でしたが、いまでは、ある程度の高さの人の方が長生きする、というデータも出てきています。逆に、身体にいいとされていたマーガリンが身体に悪い脂の代表のように言われたりもします。このように、昨日まで正しいと思われていたことが、新事実の発表によって一晩で覆されることは珍しくありません。ましてや、ほとんどのことは現時点で証明されてもいない、ただの仮説なのです。現時点での正解が10年後もまだ正解であると断言することができないのはそのためです。

常に、わかったつもり、知っているつもりではなく、その知っている答えは、あくまでも現時点での仮説にすぎないという前提で物事に接することが重要なのです。

「常識を疑う」ことで得られるもの

②物事を深堀り、横堀りして、常に、別の回答を探す

①に備えるためには、常日頃から、一般的な回答を疑ってみる、別の可能性はないかと考えてみる習慣が大切です。

たとえば、「法人税をもっと下げないと企業がみんな出て行ってしまう、外国から企業を誘致できない」と一般的にはいわれるけれど、本当にそうなのか、むしろ税率をもっと高くしてそのかわり経費として認める枠をもっと大きくした方が景気はよくなり、税収も上がるのではないか。そんなことを経済学者に行っても、素人考えだと一蹴されるかもしれません。しかし、試してみなければ間違っているかどうかはわからないのです。また、量的緩和やマイナス金利によってお金をジャブジャブに刷れば、期待インフレ率が2%になり景気が上向く、というのも一つの仮説に過ぎず、その結果はみなさんご存知のとおりです。

このように、一般に正しいとされている解、最初に出てくる解以外の別の解を探すことによって、通常は気づかないユニークな視点が持てるようになります。同じ情報から、深い洞察、意外な推論ができる人は、社会で希少価値をもつのです。

③勉強は、ひとつの答えを知ることではなく、多様な答えがあることを知るためにある

真実はひとつであり、それを探求する、というのが、勉強の一般的なイメージだと思います。経営や政治経済、対人関係や人間の心理にいたるまで、正解は唯一という前提のもとに、正しいか間違っているか、善か悪かを判断しようとする傾向が強いものです。しかし、すでにお話ししたように、自分と立場の違う人と会ったり、自分の知らない世界、自分とは異なる価値観で生きる人の本を読んだりすると、世の中には多様な解、価値観があることに驚かされるはずです。それが勉強なのです。多様な答えがあることを知り、まだ知らない世界があると思えばこそ、もっと長く、健康に生きていたいと思えるのです。

このように、自分の知らない様々な世界を知る近道は読書です。そして、読書をするときには、権威のある著者であるかどうか、には固執しすぎず、何でも読んだ方がいいと思います。

本に限らず、新聞、雑誌、ネット記事まで。右から左まで、上から下まで、広ければ広いほどよいでしょう。雑誌なら、『週刊大衆』『週刊実話』などから、ビジネス誌まで。ネットなら、「日経デジタル」から「2ちゃんねる」まで。自分と異なる意見を持つ人向けの本やメディアも、意識的に読むことで、答えがたくさんあることを知ることができます。

ご自身が右寄りだと思う人は『世界』を読み、左寄りだと思うなら『正論』を読んでみてください。自分と異なる考え方のメディアは、読んでいるうちにだんだん腹が立ってくることもあるかもしれませんが、それによって広がる発想の幅がきっとあるはずです。

ただ、こういった幅広い情報収集の重要性を理解しながらも、その時間がとれない、という人が多いのも事実です。こういった人は、よく話を聞いてみると、本というのは最初から最後まで全部読むものだと思っているようです。それでは一生のうちに読める本はかなり限られてしまいます。

わたしはいわゆる「速読」はしませんが、そのかわり、それぞれの本で、重要なところには付箋を貼り、そこだけ熟読する「一部熟読法」とでもいう読書法を取っています。せっかく読んだところは、講演や執筆に引用するなど使えるようにしたいからです。そうすることによって知識として自分の中に定着していくのです。

TVは解説者に反論をするために見よ

最後に、わたしは最近のテレビについては、情報源としてもっとも価値がないと思っています。

そこから流される情報はとどのつまりが真実を伝えない、いわゆる「大本営発表」だからです。

ただ、たとえば政治家が出てくるニュース番組などは、政治家の発言から、裏で官僚が何を考えているか、何を動かそうとしているかを深読みする題材として利用価値があるかも知れません。たとえば、自民党の憲法草案では、家族を大事にするようにと書かれていますが、ここには、保守的な思想だけでなく、施設介護ではなく在宅介護を基本にしたい、という財務省や厚生労働省の思惑を読み取ることができないでしょうか。

あるいは、訳知り顔に語るコメンテーターや司会者の意見に対して反論をして、別の意見を考えるために観るのが賢明といえるでしょう。

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