アマゾンは生活雑貨から金融サービスまであらゆる分野に進出してきた。次はどこに狙いを定めているのか。立教大学ビジネススクールの田中道昭教授は「それはヘルスケア産業だ。中でも健康管理ができるリストバンドは大きな可能性を秘めている」という――。
※本稿は、田中道昭『モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
■「多くの企業を食い尽くす」アマゾンの次の狙いは
オンライン書店として創業した後、家電にアパレル、生鮮食品、デジタルコンテンツなども販売する「エブリシングストア」へ、そして今では物流やクラウドコンピューティング、金融サービス、はては宇宙事業までも事業領域としてカバー、「エブリシングカンパニー」へと成長したアマゾン。
あまりに巨大化したアマゾンは、多くの企業の顧客や利益を奪い、食い尽くす脅威となっています。ユーザーを囲い込み離さない独自の「アマゾン経済圏」をつくり、拡大しつつあります。「デス・バイ・アマゾン」は、そうしたアマゾンを象徴する言葉です。そんなアマゾンの次なるターゲットの1つがヘルスケア産業です。
■社内向けの診療サービスを全米企業に公開
2021年3月、アマゾンは従業員向け診療サービス「アマゾン・ケア(Amazon Care)」を、同年夏から全米企業を対象に提供することを発表しました。アマゾン・ケアはもともと、アマゾンの従業員とその家族向けの遠隔医療サービスとして、2019年9月にスタートしていたもの。専用アプリを通じてビデオ通話とテキストチャットによるオンライン診療が可能なほか、処方箋のデリバリーサービスや、必要に応じて訪問診療や看護も受けられます。
自社向けに開発した診療サービスを、全米企業に向けて公開するとは、どういうことでしょうか。ひとつには、次のような狙いがあると見られています。
「米国時間3月17日の時点では、Amazon Careは同社の本拠地であるワシントン州で、他の企業にサービスの提供を開始。これは、他の企業がAmazon Careを従業員のための総合的な福利厚生パッケージの一部として契約することを目指している。アマゾンはこのサービスの大きな強みとして、検査におけるスピードの優位性を謳っている。それは例えば、新型コロナウイルスをはじめとする検査結果の迅速な通達などが含まれる」
■「社内→社外」に展開するアマゾンの常套手段
「Amazon Careの仕組みには、アマゾンならではの工夫が凝らされている。対面ケアのオプションを利用すると、アプリを通じて医師や医療従事者の到着予定時刻が提供されるが、これはアマゾンのアプリが荷物の配送でやっていることと不気味なほどよく似ている」(「TechCrunch」2021年3月19日)
もっとも、これまでのアマゾンを知る方なら、この展開は予想がついたかもしれません。というのも、「まずは自社向けに展開し、成果が上がったところで社外にも開放する」動きは、アマゾンにしばしば見られるものだからです。代表的な例が、世界トップシェアのクラウドサービスであるアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)です。自社用に整備したクラウドコンピューティングを法人顧客にも提供するようになったのがAWSのはじまりでした。 図表=筆者作成 出典=田中道昭『モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか』
それでも、このニュースは大きな衝撃をもって迎えられたはずです。これまでEC・小売を筆頭に多くの産業の勢力図を塗り替えてきたアマゾンが、本格的にヘルスケア産業に参入することを示すニュースだったからです。
■バラバラに記録されていた医療データを一括管理
アマゾンのヘルスケア事業は、簡単に言えば、「アマゾン・ヘルスレイク」「アマゾン・ヘイロー」「アマゾン・ファーマシー」「アマゾン・ケア」「アレクサ」の5つが柱であり、それらがおりなすヘルスケアのエコシステムを、AWSが下支えする構造となっています。以下、アマゾンのヘルスケア事業5つを個別に見ていきましょう。
(1)AWSによる医療データ関連サービス「アマゾン・ヘルスレイク(Amazon HealthLake)」
2020年末にローンチされたアマゾン・ヘルスレイクは、AWSの1つの機能という位置づけです。その機能は、病院、薬局などから集めた医療データを人工知能(AI)によって整理・インデックス化・構造化すること。これまでの医療データは異なる形式やシステムで記録・保存・管理され、なおかつ完全性や一貫性を欠いていたために、誰にとっても利用しやすい形ではありませんでした。
アマゾン・ヘルスレイクは、その問題を解決、医療従事者や保険会社、製薬会社などに「使える」医療データを提供します。「例えば『血圧の高い患者にコレステロールを低下させる医薬品を使用して、昨年どのような効果があったか』といった質問に対して、迅速かつ正確に答えを見つけることが可能です」とアマゾンはコーポレートサイトで述べています。 写真=iStock.com/jetcityimage ※写真はイメージです – 写真=iStock.com/jetcityimage
■診療から薬の処方までできるように
(2)従業員向け診療サービス「アマゾン・ケア(Amazon Care)」
冒頭で述べた通り、アマゾンの従業員とその家族向けの医療サービスとして始まり、2021年夏から全米企業を対象に拡大しました。なおアマゾン従業員向けのヘルスケアサービスについては2018年に、米銀JPモルガン・チェース、米投資・保険会社バークシャー・ハサウェイと、それぞれの従業員向けヘルスケアサービスのジョイントベンチャー「ヘイブン」を設立し、話題となった過去があります。
ヘイブンは2021年に解散しましたが、アマゾンはそれとは別に、独自のヘルスケアサービスを着々と進めていたのでしょう。また2019年10月には、オンライン医療サービスと患者の重篤度選別ツールを開発するヘルスナビゲーター社を買収、アマゾン・ケアと統合しています。
(3)オンライン薬局「アマゾン・ファーマシー(Amazon Pharmacy)」
アマゾン・ファーマシーは、2020年11月にスタートした処方箋のオンライン薬局サービス。すでに全米で展開されています。アマゾン・ファーマシーの機能は、オンラインでの処方薬、医薬品の購入、処方箋の管理、各種保険の登録など。18歳以上のアマゾン会員なら利用できますが、プライム会員には無料配送や提携薬局での処方薬購入に際しての割引などの特典があります。
もともとアマゾンは2018年、医薬品ネット通販/処方箋デリバリーサービスのピルパックを買収し、医薬品のサプライチェーンに本格参入していました。アマゾン・ファーマシーはピルパックの配送サービスを利用することで、慢性病患者向けにクリームや錠剤、目薬、吸入器や薬を30日周期で自動配送するオプションを提供。薬についてわからないことがあれば、薬剤師による24時間年中無休の電話相談も可能となっています。
■健康管理のためのウェアラブル端末も
(4)薬の管理を支援する音声認識AI「アマゾン・アレクサ(Amazon Alexa)」のスキル
音声認識AI「アレクサ」のスキルに、ヘルスケア関連の機能が追加されています。例えば、薬局チェーン「ジャイアント・イーグル・ファーマシー(Giant Eagle Pharmacy)」と共同開発した薬の管理を支援するスキル。同スキルを通じて、患者の処方箋に基づいて服薬のリマインダーを設定、必要に応じて補充用の医薬品も注文可能です。また、音声による補充リクエストツールを、薬局向けに投薬及び供給管理サービスを提供する「オムニセル(Omnicell)」と共同開発しています。
(5)ヘルスケア&ウェルネス・プラットフォーム「アマゾン・ヘイロー(Amazon Halo)」
「アマゾン・ヘイロー」はアマゾンが開発したフィットネス用ウェアラブルデバイスです。2020年8月に発表、米国での提供を開始しています。リストバンドに、加速度計、温度センサー、心拍数モニター、2つのマイクを内蔵し、ユーザーの健康データを収集します。また収集したデータを解析し、デバイスと連携するアプリにユーザーの健康状態を表示します。なお、アマゾン・ヘイローはアマゾンのECサイトで購入可能で、価格は99.99ドル。加えて月額3.99ドルの使用料金がかかります。
アップルのアップルウォッチと大きく異なるのは、「健康管理のためのセンサー」としての最小限の機能に特化していることです。何か操作をする必要はなく、ディスプレイもなければ時刻表示も、通話機能や音楽再生機能もありません。 フィットネスバンド「Amazon Halo」
■「1週間で150分の運動」ができるように管理
では、アマゾン・ヘイローにはどのような機能がそなわっているのでしょうか。
まず、運動量をモニタリングし、その量によってポイントを付与する機能が「Activity」です。「一週間に150ポイント」得ることを目標に、日々の運動量がグラフで表示されるのです。なお、ここでの1ポイントは、1分間の中程度の運動量を指しているため、必然的に「1週間で150分の運動」が促されることになります。
心拍数や体温から睡眠を分析する機能が「Sleep」です。浅い眠り、深い眠り、レム睡眠などをモニタリングし、そこから睡眠の質を測定。睡眠時間や夜中に起きた回数なども加味しつつ総合的に評価した結果、100点満点中70点を下回ると「改善が必要」と判断されます。
声のトーンを計測する「Tone」と呼ばれる機能からわかるのは、ユーザーのメンタルの状態です。アマゾン・ヘイローはマイクによってユーザーの声を広い、AIで声のトーンを解析。そこに含まれた感情をAmused(楽しい)、Content(満足している)、Reserved(静か)、Displeased(不機嫌)の4つに分類し、1日がどんなメンタルで占められているかをグラフで表示します。
これはまた、自分の声のトーンが相手にどんな印象をもたらしているかを自覚するにも、役立つ機能です。より好感をもたれやすい声のトーンに改善する上で、助けになるはずです。
■体脂肪率の測定精度がかなり高い
「Body」は体脂肪率を測定する機能です。スマホ上で自分の身体を測定し、体重を入力すると、AIが体型から脂肪量を推定してくれるのです。アマゾンの発表によると、bodyが体脂肪率を推定する精度は、医師が使う方法と同程度であり、一般の家庭向けスマート体重計の2倍近いとのこと。体脂肪は、心臓疾患や糖尿病の発症確率を高める要因。健康管理には欠かせないデータです。
そして「Labs」は、健康管理のためのコンテンツを提案する機能です。ここにアマゾンだけでなく、サードパーティによるコンテンツを取り込むことで、ワークアウトや睡眠改善、マインドフルネスなどのプログラムを受けられます。アップルがアップルウォッチとiPhoneを連動させて各種のフィットネスプログラムを提供する「Apple Fitness+」を2020年12月からスタートさせていますが、アマゾンのLabsはこれに類似するサービスと言えそうです(※)。
※編集部註:2021年9月に発表された新型「Amazon Halo View」では、液晶画面が追加された。心拍数、血中酸素濃度、皮膚温度などを測定でき、睡眠トラッカー、テキストメッセージのプッシュ通知機能を備えている。
■日常生活だけでなく、医療現場でも使える技術
5つの事業のうち筆者が特に注目しているのは、アマゾン・ヘイローです。アマゾン・ヘイローは、おそらく、これから様々な医療データを収集できるメディカルデバイスとして進化を続けていくはず。
アマゾン・ヘイローは、いわばアマゾンのヘルスケアのエコシステムに組み込まれるためのデバイス。日常生活、あるいは入院中もアマゾン・ヘイローを装着し、医療データを収集、分析することで、投薬の管理や医療ミス・医療事故の防止、リハビリテーションのサポートなど、さまざまな用途に使われるポテンシャルを筆者は感じています。 写真=iStock.com/Akiromaru ※写真はイメージです – 写真=iStock.com/Akiromaru
「顧客を宇宙の中心に置く」ことで、カスタマーエクスペリエンスを先鋭化してきたアマゾン。ヘルスケアにおいて同じことを実践するために、欠かすことができないツールが、アマゾン・ヘイローです。ただし、ここで強力なのは、アマゾン・ヘイローというデバイス以上に、ヘイローが起点となって構築するヘルスケアの新たなプラットフォームとエコシステムです。
■競争の舞台は商品からエコシステムへ
従来、あらゆる産業における競争は商品やサービスの領域が舞台であり、それらが安価で良質であることが、競争力の源泉でした。しかし、今や競争の舞台は「プラットフォーム」「エコシステム」へと移行しています。スマホはその代表的な事例です。 田中道昭『モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか』(インターナショナル新書)
アップルは、デバイス(iPhone)をつくるだけに終わらず、OS、アプリ、サービスといったエコシステム全体で勝負をしかけ、携帯電話市場をスマホによって完全に上書きしてしまいました。同じことを、アマゾンはヘルスケア産業で、アマゾン・ヘイローを武器に行おうとしています。
いずれ実現するかもしれない「アマゾン病院」も、こうしたエコシステムの一部。患者一人ひとりも、アマゾン・ヘイローを装着することで、エコシステムの一部となるのです。アマゾン・ヘイローが把握する患者個人の医療データ・健康データが、ヘルスケアのカスタマイゼーションの起点に。それがあってはじめて、ベゾスなら目指すであろう顧客中心のヘルスケアが実現するのです。
———-田中 道昭(たなか・みちあき)
立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授
シカゴ大学経営大学院MBA。専門は企業戦略&マーケティング戦略、及びミッション・マネジメント&リーダーシップ。三菱東京UFJ銀行投資銀行部門調査役、シティバンク資産証券部トランザクター(バイスプレジデント)、バンクオブアメリカ証券会社ストラクチャードファイナンス部長(プリンシパル)、ABNアムロ証券会社オリジネーション本部長(マネージングディレクター)などを歴任し、現職。主な著書に『アマゾンが描く2022年の世界』『2022年の次世代自動車産業』(以上、PHPビジネス新書)、『GAFA×BATH 米中メガテック企業の競争戦略』(日本経済新聞出版社)、『アマゾン銀行が誕生する日 2025年の次世代金融シナリオ』(日経BP社)『「ミッション」は武器になる』(NHK出版新書)などがある。
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(立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授 田中 道昭)