50歳前後、苦境に立たされる「団塊ジュニア」の苦悩 人口ボリュームの多い彼らが立たされた岐路

現役世代(15~64歳)の中で、人口のボリュームゾーンとして突出した世代がここ数年、続々と50代に突入している。

1971(昭和46)年~1974(昭和49)年に生まれ、人生100年時代の折り返し地点を迎え、合計800万人を超える人たちの名は「団塊ジュニア世代」。現在、働き盛り真っ只中の48~52歳だ。

そんな彼らが今「岐路」に立たされている。この連載ではそんな彼らの生き方を追いかけていく。

人数が多いぶん競争が熾烈だった「団塊ジュニア世代」

団塊ジュニア世代は、1947(昭和22)年~1949(昭和24)年の第1次ベビーブームに生まれた「団塊の世代」の子ども世代にあたる。

第2次ベビーブームの最中、毎年の出生数が200万人にも上った赤ちゃんたちは、とにかく“ライバル”が多かった。壮絶な受験戦争に始まり、就職や出世競争と、重要な局面ではその都度、激しい競争にさらされてきた。タイミング悪く、バブル経済の恩恵を受けることもなかった。就職の際は、バブル崩壊直後の就職氷河期に直面し、その苦しい先頭集団を走ることを余儀なくされた。

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「受験した私立中学の倍率は20倍を超えていました。最寄り駅から学校まで、受験当日はすさまじい行列ができていて、これは『落ちる』と思いました。それが当たり前だと思って、何の疑問も抱きませんでしたが、今考えると貧乏くじを引きまくってますよね」。Aさん(49歳男性・1973年生まれ)は、約35年前の出来事をため息交じりに振り返る。

高倍率の就活を突破し、晴れて社会に出たと思ったら、山一証券や北海道拓殖銀行の経営破綻、リーマンショックに見舞われ、国内企業の倒産や合従連衡を目の当たりにした。その一方で、産業構造も変わり始めた。バブルが起きるほどにIT業界が急成長し、外資系企業も存在感を増し始めた。そうした中で、変化を迫られる日本企業の現実を思い知らされてきた。

団塊ジュニア世代のすぐ上には、好況期に就職で恵まれ、間もなく定年を迎えるバブル世代がそびえたつ。

Bさん(50歳男性・1973年生まれ)は「大学の3つ上の先輩たちは、幾つもの企業から内定を得ていたのを強烈に覚えています。その後、アルバイト情報誌は次第に薄くなり、学生なりに景気悪化の雰囲気を把握していました」と話し、バブルの終焉と同時に忍び寄る不景気の足音を感じ取っていたと明かす。

景気動向と連動する有効求人倍率の推移を見ると、バブル期の1990年、1991年はいずれも1.40倍だったのに対し、翌1992年は1.08倍まで落ち込み、団塊ジュニア世代が社会に出始めた1993年には0.76倍と1倍を割り込んだ。その後、0.64倍(1994年)、0.63倍(1995年)、0.70倍(1996年)と低水準が続き、極めて厳しい就職状況だったことが数字からもうかがえる。

下にはポスト団塊ジュニア世代、プレッシャー世代、ゆとり世代、Z世代など個性豊かな世代が控える。そうした中にあって、団塊ジュニアは「置き去りの世代」「忘れられた世代」の様相を濃くしている。

そして今、彼らは50代に差し掛かり、新卒から四半世紀にわたり勤め続けた会社からは早期退職者募集のターゲット世代とされ始めている。

就職氷河期のあおりを受け、非正規雇用で就労せざるを得なかった人は低収入にあえぎ、結婚もままならなかった人も目立つ。

中学生、高校生、大学生へと子どもが成長していく傍ら、高齢化する親の介護に同時に直面しながら、自らも次第に歳を重ねていく。

厚生労働省の「平成23年版労働経済の分析」は、バブル世代に比べ、団塊ジュニア世代の就職時は失業率、非正規雇用比率のいずれも高かったと推計。内閣府の男女共同参画白書(令和4年版)によると、非正規雇用労働者比率はバブル期の1989年は19.1%、1994年が20.3%だったのに対し、1999年には24.9%に急上昇している。

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世界でも例がないスピードで少子高齢化が一段と進行する中、巨大な人口の塊の1人である自らが高齢者になったとき、経済縮小が続く日本社会は、老後の自分を支えてくれるのか。社会保障費を増大させ、後に続く世代の重荷になってしまわないだろうか。そんな不安が、彼らの肩に重くのしかかる。

団塊ジュニア世代、有名人でいくと…

ここで、具体的にイメージができない人のために、団塊ジュニア世代とはどんな人たちなのかを、有名人などをあげながら紹介してみたい。

1971年生まれでは、タレントの有田哲平氏、フリーアナウンサーの羽鳥慎一氏、作家の伊坂幸太郎氏、俳優の西島秀俊氏、1972年には、元SMAPの木村拓哉、中居正広両氏のほか、プロ野球監督の新庄剛志氏、元横綱の貴乃花光司氏らがいる。

翌1973年生まれとして、元メジャーリーガーのイチロー氏、実業家の藤田晋氏、俳優の大泉洋氏、歌手のGACKT氏、1974年には、元メジャーリーガーの松井秀喜氏、元SMAPの草彅剛氏、五輪金メダリストの室伏広治氏、立憲民主党代表の泉健太氏らが含まれる。

筆者も、1972年8月生まれの団塊ジュニア世代の当事者だ。現在50歳。就職活動をしていた1995年の年明けには、阪神・淡路大震災が起こり、地下鉄サリン事件に始まった一連のオウム真理教事件で社会不安が広がっていた。アメリカから上陸したばかりのインターネットは黎明期だった。携帯電話は高価で庶民には手が届かず、安価なPHSが一気に普及した。外資系企業を受ける友人が脚光を浴び始めるようになった。爆発的に売れたウィンドウズ95が発売されたのも、この年だ。

昨年、大学の同級生260人が集まる大同窓会に出た筆者は、少なからず衝撃を受けた。卒業から25年以上が経過し、私も含め全員がアラフィフの中年となり、それぞれの“事情”を抱えていたからだ。

50歳ともなれば、大手企業・団体内での出世競争を巡る勝敗は、ほぼほぼ決着している。出世街道を突き進む人もいれば、出世とはまた異なる生き方に自らの意義を見いだす人もいる。

久々に会った友人たちからは、年下上司との関係性を巡る悩みや、育児と介護のダブル生活への疲弊、転職したくても「嫁ブロック」で許されない声などが聞かれた。どれも身につまされる内容ばかりだった。

管理職レールに乗れず、忸怩たる思いを抱いている人。将来への漠然とした不安が頭をもたげながらも、日々の仕事に追われ、心身ともに疲労・疲弊にあえぐ人。かたや、会社と自宅の往復だけにとどまらず、自ら開拓したサードプレイスや大学院などでの学び直し、趣味を通じ、交流や見聞を広める人。コロナ禍で本格化したリモート勤務時代に即応し、地方に移住したり、2拠点生活を送ったりする人。実にさまざまな人生がそこにはあった。

団塊ジュニア世代の問題は、社会全体の課題

バブル崩壊後、経済の低迷や景気の横ばいが続く日本に高く立ちはだかる「失われた30年」と、実社会に出た団塊ジュニアが生き抜いてきた年数は、ほぼ相似する。徐々に近づく定年を見据えながら、同世代の中でも価値観やライフスタイルは大きく異なっている。

そんな彼ら、彼女らは今、どこで何をして、何を考えているのか。これまでの半生をどのように振り返り、この先の人生をいかに歩んでいこうとしているのか。

日本総研の下田裕介氏によるレポート「団塊ジュニア世代の実情」によれば、2030年代後半以後、高齢化した団塊ジュニア世代のうち、実に41万人が老後貧困に陥るとされる。レポートでは、団塊ジュニアを「不遇の世代」と位置づけたうえで、次なる不遇の世代を再生産しないためにも、団塊ジュニア世代が抱える問題を社会全体の課題であると捉えて、将来世代を見据えた多角的で複層的な政策推進が求められると指摘する。

さらに、その数年後には何が起きるか。参議院事務局作成の「団塊ジュニアとポスト団塊ジュニアの実像」は、団塊ジュニア世代が65歳以上となる2040年以後、高齢者人口がピークを迎える反面、現役世代にあたる生産年齢人口が急減することで、医療や年金などの社会保障費の支出が困難になると指摘。高齢者となった団塊ジュニア世代が十分な保障を受けられなくなる「2040年問題」の重大さを強調している。

定年や老後を見据え、いずれは支えてきた側から、支えられる側に立場を置き換えることになる団塊ジュニア世代。その生き方は、下の世代にも間違いなく影響を与えることになるだろう。そんな彼、彼女らに取材し、その「現在地」について次回以降お伝えしていく。

本連載、『団塊ジュニアたちの「岐路」』では、自らの経験について、お話いただける「1971(昭和46)年~1974(昭和49)年に生まれた方」を募集しております。取材に伺い、詳しくお聞きします。こちらのフォームよりご記入ください。

小西 一禎:ジャーナリスト・作家

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