6次産業化にカリスマはいらない

 地方活性化の有力な手段の1つとして「6次産業化」が叫ばれている。6次産業とは、1次産業としての「農業」、2次産業としての「工業」、3次産業としての「サービス業」を全部足す(場合によっては「掛け合わせる」とも言われている)と「1+2+3=6次産業」となることからそう呼ばれている。農水省では、これを「農林漁業生産と加工・販売の一体化や、地域資源を活用した新たな産業の創出を促進する」と定義している。
 2010年12月3日には、「六次産業化・地産地消法」が公布され、農水省はその事業計画を認定し、農林漁業の振興を加速させようとしてきた。直売所や道の駅、漁協直営のレストランなどが分かりやすい例にあたる。
 農業によって得られた生産物を素材としてそのまま流通、販売するのではなく、加工や飲食店でのサービスとして付加価値をつけ、収益を増やそうするのは理解できる。いくらきれいごとを言っても、結局のところ「儲かるかどうか」が最も端的で客観的な農家や畜産業、漁業への評価なのである。
 しかし、定年退職後のサラリーマンが新規就農しても事業として成り立たせるのには困難を伴うように、産業で培う経験や技術、ノウハウは早々に乗り越えられるものではない。それぞれの産業には「専門性」があり、「専任」することによって効率や品質は向上していくからだ。そう考えると、「6次産業化」を実現するためには、各々の分野に精通した「高度な人材」が必要となってくることが分かる。
B級グルメでは地域を救えない
 90年代のバブル崩壊以降、地方経済は加速度的に衰退し、どこもかしこも「シャッター商店街」と化している。地方では人口減少と高齢化が顕著だ。地域の担い手としての「生産年齢人口」が増えない限り、いくら補助金を積み増したとしても、地域だけで町の活性化を実現していくことは困難になっている。
 そんな中、「まちおこし」の1つとして「B級グルメ」が持てはやされ、自治体や農協、漁協までもが参画して注目を集めた。しかし、蓋を開けてみれば、「挟む」「乗せる」「かける」だけ、といったシンプルなアイデアが多く、料理としても、やきそばやコロッケ、ハンバーガー、カレーなど、その地域ならではの特色が感じられないものが多い。
 しかも、「未利用部位を利活用したい」という“下心”で開発したものが多く出品されるなど、設立当初の志とは異なり、ネタ不足感が否めない。
 「地域の食は、その地域の農村漁村で得られる旬がもたらす」のだとすれば、素材や歴史を都合よく活用して地域の名物にしようとしても、人の心を揺さぶることは難しい。結局、B級グルメの多くは、いまでは一過性の「ブーム」に成り下がってしまっている。
 本当に必要なのは、「地域の食」を外部視点で「発掘」することである。そして、素材と技術と旬から生み出される食、つまり「A級グルメ」こそ、時間をかけてでも地域は開発すべきなのである。
農家が出向くマルシェに未来はあるか
 大きな公園や都会のビルの一角で、生産者が野菜を直売する「マルシェ」が多く開かれるようになった。「産地直売」「生産者と直接対話」といったキーワードが人を惹きつけている。都会に住む人は、その野菜を「買うことそのもの」が「自然を愛するライフスタイル」の実現になると思っているかもしれない。農家にとっても消費者と対話することは刺激や気付きがあることだろう。
 けれども、農家が消費者からの「来週も来てね!」「来月も来てね!」との要望に応えて、年間を通してマルシェに通いつめるようになったら、本業の「農業」の時間はどうなるのか。生産地とマルシェが近いのならまだしも、頻繁に遠方に出かけて本業を圧迫するようになったら、それこそ本末転倒だ。
 流通・小売を省いて「直売」することこそが正解だとするトレンドがあるが、本来の目的から外れていなければ、流通・小売は決して悪い存在ではない。消費者と対面し、反応を農家にフィードバックする一方で、生産者の声や思いを消費者にも伝える。そうした「媒介」機能が働くのであれば、流通・小売は存在意義を失うことはないだろう。
 そもそも、流通・小売への批判が上がるのは、旬などおかまいなしに「チラシの印刷都合」や店頭演出に合わせて生鮮品を売るからだ。現場の裁量が本部に集約された結果、「サラリーマン化」してしまったバイヤーにも原因の一端はあるかもしれない。
 筆者は、農家は「ものづくり」に専念してもらい、小売業は「販売は俺たちが担う!」という志を持ってほしいと願っている。プロフェッショナル同士が互いを高め合う関係を築いてほしいのだ。
 だから、農家を都会に引っ張り出すマルシェは、もうほどほどにした方がいいと思う。農家が販路に希望を見出すとしたら、「気概のある八百屋」と付き合っていくべきなのだ。
農家はシェフと対話せよ
 個人が経営する飲食店やレストランのシェフは、調理する技術に長けている。そしてそれ以上に「食材の生かし方」に長けている。
 シェフが店の顔となるような外食店では、「調理」と同じぐらい「どんな素材を使うか」が店の特徴づけに大きく影響する。そうした腕が鳴る料理人に支持されてこそ、農家や畜産家が作った野菜や肉や魚は生きるのではないか。
 また、生産者と料理人が交流していると、プロ同士で「ピン」とくるインスピレーションだってあるだろう。先のマルシェのように流通の末端にいる消費者に向き合う前に、まず生産者は「シェフ(料理人)」と向き合うべきではないかと思う。
 シェフはおいしい料理を「作りたい」と思っている。農家は「使ってほしい」と思っている。そのプロとプロのコミュニケーションの先に、消費者が感動や驚きを覚える「おいしさ」があるのだ。
本当のおいしさは「普通」の中にある
 地域の特色を知り、「旬」を汲み取り、素材として生かせるものが何かを把握する。そして、どんな加工や調理を行い、どんな売り場や売り方、パッケージで売ればいいのかまでを取り仕切る。そんな万能の人材を探すのは、無理な注文だ。本来は、その土地に見合った「人材育成」を施さなければ、持続可能な「地域ブランド」はつくり得ない。
 地域ブランドについて筆者が相談を受けると、「6次産業化」という言葉が枕詞のように出てくる。しかし、よく考えてほしい。「6次産業化」はあくまで「手段」であり、「目的」ではない。
 生産物を「高単価」で売るのは、確かに地域活性化の方法の1つだ。だが、経済が成熟した局面にあるこの日本においては、「単価」を上げるよりも「回転数」を増やす戦略を取る方が正しい。「ベストセラー」ではなく「ロングセラー」にならなければ生き残れないのだ。
 「いいモノ」は「いいヒト」の力がなければ作れない。「6次産業化」とは、単に「モノの流れをつなげる」のではなく、生産から流通、小売に至るまで「各分野のエキスパート」をつなげて流れをつくることである。
 「6次産業化」を実現するのは「モノの流れ」ではない。「ヒトの流れ」が重要であることを改めて認識してほしいと思う。そして何よりも、その土地、その時期に食べられる“普通”の食べ物の中にこそ本当の「おいしさ」が隠れていることを忘れないでほしい。

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