かつて関東在住者にとって「ワークマン」といえば、国道沿いにある作業着の専門店であり、演歌歌手である吉幾三さんのCMでした。
それがここ数年ですっかりイメージが変わり、店には女性客や家族連れが訪れるように。テレビでもオシャレで便利なアイテムが紹介されています。変わったのはイメージだけではありません、売上も2014年から約2倍に増えています。
売上増の背景にはさまざまな要因がありますが、データ分析を活用した全社的な売り方の工夫が代表的な取り組みとして挙げられています。
一方でワークマンの急成長と同じ頃、他の企業ではAIやデータサイエンティストのブームに沸いており、AIやデータ分析ツールの導入、データサイエンティストの採用などを行っていました。
しかしワークマンのように売上が伸びることはなく、耳にするのは「某社が多額の費用をかけたAI導入が失敗」「有名企業のデータサイエンティストチームが解散」「あの会社は誰も使ってないデータ分析ツールを解約」という業界しくじり先生ばかりです。
ワークマンからも「高性能なAIを導入」「凄腕データサイエンティストが入社」「高価なデータ分析ツールを活用」という話題は聞こえず、この時点で他の企業とは異なるデータ分析の姿勢を持っていることが垣間見えます。
AIとワークマン、どうして差がついたのか……慢心、環境の違い。
そこでワークマンの取り組みを調べたところ、データ分析で売上が2倍になった理由と他の企業がAIで失敗する原因が分かりました。
●目的が曖昧なAI導入企業 目的が明確なワークマン
ここ数年のAIブームでは、「わが社も」「とりあえず」「他社がやってるから」「いきなり」「上司の命令」というフレーズが各所で飛び交い、「AIなら何でも解決できそう」というイメージによって、他の方法で解決できる問題に対してもAIが使われました。
こうしてAI導入が目的化した結果、費用対効果や分析精度など本来の目的を見失い、失敗に終わる企業が相次ぎました。
○ワークマンが成功した理由
対してワークマンは明確な計画とビジョンを定めて、必要な箇所に最適な施策を取り込みました。
店舗には誰でも操作しやすいExcelがあり、本部社員は小売業向けのデータ分析ツールを使用。AIや高価な分析ツールを用いるのは発注アルゴリズムなど複雑な分析を行う専任データ分析チームのみに絞っています。
このように部門ごとに最適な施策を判断して、全社的なデータ分析の推進を行ったのは、実質的なCIO(最高情報責任者)によるトップダウンが始まりです。
ヘッドハンティングで2012年に入社した土屋哲雄氏(現専務)が、ワークマンの社内システムやデータベースを整備。EDIにより発注業務のデジタル化や需要予測の最適化に取り組み、旧来の「勘と経験」というアナログ的手法から、「数字とデータ」という「デジタルワークマン」に変革するための土台作りを行いました。
環境整備を進めながら、14年に改革推進のための計画とビジョンを立ち上げて、トップダウンによる改革を推進します。しかし、掛け声だけの一方的なトップダウンでは、現場からの反発は避けられません。
外部から入社した役員や役職者に対して、現場は「お手並み拝見」と斜に構えた態度を取りがちです。そこで実質的なCIOである土屋氏は、仕事中にスーツではなくワークマンの服を着るようにしました。更に自宅でもワークマンの服を着て自社商品の改善に努めて、現場からの理解を得ました(もっとも家族からは「その格好で外出するのはやめて」と不評だったようです)。
土屋氏は現場にメスを入れるべく、社員に対し、売上に連動して給料を増やすようにしました。社員の評価においても、勘と経験ではなくデータ分析スキルで透明性を上げるようにしました。
教育面にも力を入れ、入社2〜3年目の若手社員全員に対しデータ分析の講習を実施。入社5年目以降の中堅社員にも任意参加の研修を行いました。部長昇進にはデータ分析スキルを必須条件としています。月に1度はデータ分析の成果を発表する機会を設け、土屋氏も必ず出席しているといいます。
会社としてもデータ分析を促す姿勢を見せれば、現場もやる気を出すというもの。こうして社内全体でデータ分析を推進することでスケールメリットを出せたことが、売上増という実感できる成果につながったということです。
○「乗っただけ」の企業は何をしていたか
対してAIブームに乗って失敗した企業では、ここまでの取り組みは見られません。
ヘッドハンティングで獲得した人材が1人で高価なAIツールで分析することはあれど、全社員がExcelで分析しているという話は聞きません。AIに強い人材を1人増やしても、社内全体での取り組みには敵いません。
組織の課題として、経営陣におけるCIOの不在や過度な外注依存により、社内システムの実情を把握できない問題もあります。こうした企業はAIの学習に必要なデータベースが整備されておらず、その準備作業だけで開発期間の大半を占める問題もありました。
データ分析チームを立ち上げた企業は数あれど、売上を2倍にしたのはワークマンだけという事実が物語っています。
●ワークマンにできて他の企業にできなかったワケ
かつてのワークマンは郊外にある作業服専門店であり、吉幾三さんのローカルCMが印象的でした。それが今やデータ分析を活用した成功企業なのです。なぜワークマンに出来て、他の企業で出来なかったのでしょう?
ワークマンと同じことをすれば売上を伸ばせるという単純な話ではありません。ワークマンが成功したのは、同社ならではの課題やビジネスモデルや苦労があり、それに対して試行錯誤を繰り返しながら、最適な方法を見つけることで成功したからです。
AIブームに乗った企業が失敗した原因は、本質を理解していなかったからです。AIに対する過大な評価や偏った一部の成功事例を盲信して、自分で調べずに理解しないまま、「AIなら出来る」という根拠のない思い込みから、外注や部下に指示を出すだけという姿勢が招いた結果です。
AIを導入検討する企業のほとんどは、「他社の事例はあるか?」と考えます。
●他社事例をなぞって成功する時代は終わった
これには「他社の成功事例やノウハウを取り込めば自社でも成功する」という考え方が根底にあります。
かつては先行する企業の事例やビジネスモデルがあり、それを自社向けに最適化すれば成功する時代がありました。「成功」という設計図があり、それに向けて現場のノウハウをすり合わせ、生産性を上げながらコストを下げつつ、先行する他社よりも高性能低価格で提供することが、目指すべき答えでした。
対してAIは、設計図通りに動いてくれません。失敗や間違いを繰り返しながら学習して精度を上げる必要があり、最初から成功の設計図を求めて最短距離で目的地に向かう組織には不向きです。
ワークマンとて、自分で手を動かしてデータを積み重ねながら、愚直にノウハウを蓄積した過去があることでしょう。なぜなら成功する事例やノウハウは、ネット上はもちろん、まだ世の中に存在すらしていないからです。
あるAI製品が他社で成功しているからといって、環境やデータも異なる自社においても成功を保証する根拠にはなりません。
ワークマンだから成功したのではなく、ワークマンが社名の通り「働く者」として手を動かし、現場に出向き、顧客や売り場と向き合ってつかんだ成果といえるでしょう。
つまり“ワークマン”とは、熱い行動力とデータ戦術を後天的に併せ持つ、実直な職業人の呼称です。
AIで失敗した企業には、手を動かすという「まずやってみる」という行動力が足りなかったと思われます。動かしたのは口だけで、動いたのは外注や部下であり、自分の頭と手は動いていないのです。昨今耳にする「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」においても、こうした行動力が必要ではないでしょうか。
ワークマンの成功は、一朝一夕ではありません。データ分析に取り組んで売り方を変えるにも、社内と全店舗(改革を開始した2014年時点では700店舗)に浸透させるには時間がかかります。売上が急激に増えたのはここ数年であり、データ分析組織への改革を叫んだ当初から数年間は売上に大きな変化は見られませんでした。
それでも愚直に自社だけの成功モデルを探り続けた結果が、一般消費者向けのアウトドア商品を販売する専門店「ワークマンプラス」であり、SNSやマスコミに広く取り上げられる現象にもつながりました。そうした努力を欠いたワンマン社長は“いきなり”店舗を増やすことはできても、急拡大のツケで失速するのはさまざまな事例からも学べます。
成功とはAIを導入したり、データサイエンティストチームを立ち上げたり、データ分析ツール導入したりすることではありません。経営陣による組織づくりと、社員達による業務づくりという視点で、数字とデータを浸透させることです。
記事を読んだ人も、これだけで納得してはいけません。ワークマンのお店に行き、どんな商品をどうやって売っているかを自分の目で確かめて、自分の頭で考えてみましょう。
関東育ちの読者は、かつて流れていた吉幾三さんのCMソングを思い出してください。
「行こう みんなで ワークマン」
(参考書籍:酒井大輔「ワークマンは 商品を変えずに売り方を変えただけで なぜ2倍売れたのか」、日経BP、2020年)