「私の作品が盗用されています。深い傷を心に負いました」――。有名アニメ監督の元に、SNS(ネット交流サービス)を通じて心当たりのない「抗議」が寄せられた。相手は見ず知らずの女性で、仕事仲間にも同様のメッセージが届き、事態は関係するイベントの中止にまで発展した。監督は女性に賠償を求める訴訟を起こし、法廷に立った。胸中にあったのは「京アニ事件」と、業界の未来への危惧だった。 【写真】嫉妬、敵意、思い込み…アニメ作り手の危機感 ◇エスカレートする行動に恐怖、訴訟へ 始まりは2022年4月。「美少女戦士セーラームーン」や「少女革命ウテナ」をはじめ、多数の人気アニメを手掛けたことで知られる幾原邦彦さん(58)のツイッター(X)に届いた一通のダイレクトメッセージだった。 送り主は、声優でイラストレーターを名乗る女性。幾原さんとバンドを組んだアニメ関係者が、幾原さんのアニメに登場するキャラクターのイラストをツイッターに投稿したところ、女性から「自分の絵のトレース(なぞり書き)で、著作権の侵害に当たる」と指摘された。 幾原さんはイラストと、女性が送ってきた絵と見比べた上で、「全く一致していない」と取り合わなかった。ただ、沈黙は女性の行動をどんどんエスカレートさせたという。 女性は幾原さんが謝罪をしないことを「名誉毀損(きそん)」「侮辱」だと主張した。幾原さんの仕事先である大手出版社やレコード会社、アニメ会社、芸能事務所、イラスト画家のところには、女性から次々とメールが届いた。 恐怖を感じた幾原さんは警察へ相談し、1日2回、警察官が自宅周辺を見回りに来るようになった。バンドのライブは警備上の理由で中止となった。 幾原さんは22年6月、虚偽のメッセージを仕事先に送られて名誉を傷つけられ、業務を妨害されたとして、女性に330万円の賠償を求める訴訟を東京地裁立川支部に起こし、後に請求額を440万円に増額した。法的手段を取ることが作品に与えるダメージを心配したが、同業者に対する同じような被害を防ぎたいという気持ちが勝った。 「作り手への迷惑行為が急増している」。アニメ業界歴30年を超える幾原さんは業界が置かれている現状について危機感を感じている。 作り手が所属する会社に、受け手が手紙や電話で意見する機会は以前からあった。ただ、SNSの普及やインターネットサービスの発達によって、「視聴者が作り手の近くにまで迫れるようになった。両者の境界線が曖昧になっている」(幾原さん)との実感を強くしている。 ◇京アニ事件も… 「迷惑行為に厳正判断を」 幾原さんの言葉を裏付けるかのような事件は近年、後を絶たない。 19年7月の京都アニメーション放火殺人事件では、「盗用被害に遭った」と主張する男性被告により、役員・社員36人が死亡した。検察側は23年9月に始まった事件の公判で、被告がインターネットで京アニの関連ページを何度も閲覧して自分とは逆にスターダムに駆け上っていく京アニや女性監督に筋違いの恨みを持ち、「人生がうまくいかないのは京アニや女性監督のせいだと妄想した」と指摘した。 京アニ事件の3カ月後にも、東京都内の映像制作会社に対してツイッターで放火をほのめかす投稿をしたとして、岡山市の男性が脅迫容疑で逮捕された。男性は、アニメの著作権が自身の家族にあると主張し、中傷を繰り返していたとされ、「制作会社にメールを送ったが返信がなく、いらだちを抑えきれなかった」と供述していたという。 双方向のコミュニケーションの機会が増え、作り手は以前ほど遠い存在ではなくなった。称賛や賛意だけでなく、嫉妬や敵意、「盗用された」という思い込みも作り手に直接ぶつけやすくなっている。沈黙すれば「無視された」と怒りの増幅を招きかねず、対処は容易ではない。 幾原さんは今回の訴訟を通じて、矛先が安易に作り手に向けられがちな流れに少しでも歯止めをかけられればと期待しているという。23年8月30日、訴訟の本人尋問では「この裁判の結末は多くの仕事仲間が注目している。(同じような迷惑行為は)今でも多く行われている。どうか厳正な判断をお願いしたい」と訴えた。 これに対して、女性は10月4日の本人尋問で、「私の作品を勝手に使われた。著作権者である私に対する名誉毀損です」とこれまでの考えを繰り返した。 判決は12月13日に言い渡される予定だ。【巽賢司】