「僕ちゃんはどこに寝ようかな~」「淋病になったら『殺す気か』と殴られ…」ジャニー喜多川から“50回の性被害”郷ひろみの元付き人が顔出し・実名告発

「ジャニー氏は16歳の僕にブランデー、タバコの煙を口移し」レコードデビューも果たした元ジャニーズマネジャーが実名顔出しで明かす“50回の性被害”「フランケンシュタインにジャニー氏が扮し…」〉 から続く 【写真】「淋病になったら『殺す気か』と殴られ…」性被害を告発した板野氏 「ジャニーさんの性加害で歪んでしまって、みんな何かに逃げてしまうということはあったと思います。フォーリーブスの北公次さんと、僕の後輩の豊川誕は覚醒剤にハマってしまった。他にもクスリや大麻で逮捕されたジャニーズタレントはたくさんいます。 僕の場合は酒と博打でした。10代で六本木の主みたいに飲み歩いていて、交番のお巡りさんにも『トシちゃん飲ってる?』って挨拶されるくらいでした。NHKのプロデューサーらと賭けマージャンをするジャニーさんの代打ちをしたこともあります。10代の子がそんなことをしてるのに、周囲の大人は何も言わない。異常でしたよね」  今回、新たに「 週刊文春 」にジャニー喜多川氏による性被害を証言するのは板野俊雄氏(67)。1975年に3人組グループ「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル(JJS)」のリーダーとしてレコードデビューし、その後、ジャニーズで唯一、女性メンバーが所属した「VIP」、田原俊彦のバックダンサーである「ジャPAニーズ」のメンバーとして活動した。その後は裏方に回り、田原やシブがき隊のチーフマネージャーを務めるなど、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)の表も裏も知り尽くした人物だ。

郷ひろみと北公次が住む合宿所で…

ジャニー喜多川氏

 1972年、フォーリーブスの付き人募集に応募した板野氏が上京して、事務所で働き始めたのは16歳のときだった。板野氏が住み込んだのは当時渋谷にあったジャニー氏の自宅兼合宿所。付き人の寮は恵比寿にあったが、板野氏だけがフォーリーブスの北公次と郷ひろみが住む合宿所で暮らすこととなった。板野氏が寝る和室の布団にジャニー氏が入ってきたのは、住み始めて2、3日目だったという。 「身体を触ってきて、あそこに手が伸びる。パンツを脱がせると、おしぼりで綺麗に拭いて(口で)します。田舎から出てきたばかりで童貞だし、わけわかんないですよ。でも男だから出せば気持ちいいわけです。その異様さといったら……。 出し終わった後にジャニーが洗面所に行ってペッて吐く音が聞こえるんです。温かいおしぼりを持って戻ってきて綺麗に全部拭いてくれる。その後に今度はお尻を触り出したら、何かヌルヌルしたものを塗られて、今度は痛いわけです。地獄の日々です」  板野氏が付き人になったのは、スター街道を駆け上がり始めた郷ひろみ。猛烈な忙しさだったという。

「茶色いブレザーをおっさんみたいに着て、両手に腕時計をはめて管理するんです。取材の記者は時間をごまかして粘るので、進めてある時計のほうを見せて逃げないと次の仕事に間に合わない。歌番組のバンドには意地悪な連中もいて、大人のマネージャーには文句を言わないのに、俺には『こんなもんで演奏できるか』と譜面のコピーを破られたりしたこともありました。 夜は郷さんの台本読みの相手をして、夜中に衣装を洗濯する。乾燥機をかけていると室内が温かくなって、床の上で気を失ったように眠ったこともあります。そんなクタクタの毎日でもジャニーは来るんですよ」

「僕ちゃんはどこに寝ようかな~」

 行為の最中、ジャニー氏はこんな言葉を囁いたという。 「ユー、もうちょっと我慢しててね。ユーのためにね、ジュニアのメンバーを今集めてるから。もうちょっとだからね」  言葉どおり、その後10人近いジュニアが加入し、板野氏が寝ていた合宿所の和室は、泊りに来たジュニアたちの雑魚寝部屋となった。 「今日は、僕ちゃんはどこに寝ようかな~」  当時40代のジャニー氏は枕を抱えて部屋に入ってくると、ジュニアたちの中からその夜のターゲットを選ぶ。しばらくすると部屋の隅で寝ている板野氏の耳に、暗闇から「痛い、痛い……」と、か細い声が響いた。 「救えないですよ。僕も逃げてるわけだから……」  公演先の地方のホテルでは、ジャニー氏のスイートルームに泊まるよう命じられた。スイートがないホテルでは、ジャニー氏がジュニアの部屋に入ってきた。ゴム製のフランケンシュタインのマスクを被ったジャニー氏がジュニアを驚かせ、ふざけ合っている間に性加害に流れることもあったという。 「タバコの煙やブランデーを口移しで飲まされることもありました。キスしながら、こっちの口に煙を吐くんですよ。ジャニー本人は普段、酒を飲まないんだけど、こういう時だけ口に含む。僕らは未成年ですからね。頭がクラクラしていましたよ」  板野氏は約50回の肛門性交があったと記憶している。ジャニー氏からの被害がなくなったのは、JJSがデビューした頃の、あるトラブルがきっかけだった。

「淋病になったら『殺す気か』と殴られ…」

「あるタレントがスクールメイツの子たちを合宿所に連れ込んだんです。僕はその一人と関係を持った。そうしたら、淋病になってしまった」  話を聞きつけたジャニー氏は合宿所の3畳間に板野氏を連れて行った。 「ユーは僕を殺す気か!」  こう怒鳴って拳で顔面を殴りつけたという。  JJS時代の月給は5万円。ひとり暮らしを始めると8万円になったが当時の大卒初任給よりも安かった。板野氏はJJSの後にジャニーズ唯一の女性メンバーがいたVIPに参加した。 「ジャニーズが冬の時代でした。ジャニーさんは『女性メンバーを入れてキャバレーを回って儲けよう』と。でもVIPもうまくいかず、給料が出なくなった。その一方でジャニーさんやメリー、(前副社長で今年9月に退任した)白波瀬傑たちで熱海に社員旅行に行ってドンチャンするわけです。レコード会社から宣伝費が入ってきたのでしょう。それは許せませんでしたね」  板野氏はその後、田原俊彦のバックダンサー「ジャPAニーズ」を経て、田原のチーフマネージャーとなった。副社長のメリー喜多川氏がマネージャーの言う事を聞かない田原を持て余し、先輩の板野氏を付けたのだ。シブがき隊のチーフマネ―ジャーになると、音楽面でも売り出し方を考え、プロデューサーのような立場となった。

ジュリーを叱ると、メリーに告げ口をされて…

「メリーからは『少年隊は踊れるし、男闘呼組はバンド演奏ができる。シブがき隊は何ができるの?』と言われて悔しくて、必死に売り方を考えました。メリーからは嫌味を言われましたよ。『板野プロの板野社長』と」  その頃、少年隊の衣装担当として家業を手伝うようになったのが藤島ジュリー景子氏だった。 「ジュリーのことは何度も怒鳴りました。ある業者にコンサートの衣装を発注していたのに、なかなか仕上がらない。調べるとジュリーが少年隊の衣装を『こっちを先にやって』と横入りしていた。ジュリーに電話して、『世の中には順番てものがあるんだよ、いい加減にしろ!』と怒鳴りました。するとすぐにメリーに告げ口して、メリーが僕を怒る。あの人はジュリーのわがままを全部丸飲みでした。 会見の手紙でジュリーは母親に何も言えなかったといってたけど、そんなのウソですよ。ジュリーはその時々に売れているタレントにくっついていた。最初は本木(雅弘)に夢中でしたが、相手にされないと、東山と付き合うようになった。メリーも東山のことは気に入ってましたから」  メリー氏は、ジュリー氏と東山のためにマンションを用意していたという。

「(東山に)コンドームを買いに行かされるんです」

「六本木の芋洗坂のあたりにあったマンションを逢引き用に用意した。その時、東山の現場マネージャーから『(東山に)コンドームを買いに行かされるんです。僕はこんなことをするために、この仕事を始めたんじゃないです』と愚痴を聞かされたこともあります」  板野氏は光GENJIを1年間担当した後、1989年にジャニーズ事務所を退社して故郷に戻った。実は、小誌は1999年のジャニー氏の性加害についてのキャンペーン報道時に板野氏と接触している。当時、板野氏が口を開くことはなかった。 「あんな酷い性加害を耐えて、地位を築いている後輩がいるなか、自分が喋るのは良くないと思っていました。でも僕も後輩たちもずっと洗脳されていたんですよね。先に声を上げた後輩たちを支えるためにも、僕も話すことにしました。もちろん取材でお金をもらおうなんて、一切考えていません」  ジャニーズ事務所に板野氏の証言について事実確認を求めると、 「(板野氏の性被害について)個別の告発内容については、コメントを控えております。性加害に遭われた方々を保護し、その人権に配慮するためでもあります。藤島ジュリーがマンションを買い与えられた事実はございません。(マネジャーのコンドーム購入は)そのような事実はございません」  今回、板野氏の告発の大きな動機となったのは、事務所の前社長、前副社長の立ち振る舞いだ。 「東山と井ノ原(快彦)に説明をさせた記者会見にとても腹が立ちました。事務所って商品であるタレントを守るところでしょう。その商品をまるで加害者のように矢面に立たせて、ジュリーと白波瀬は裏に逃げ込んで。そこが一番許せないんです」  タレントであり、事務所スタッフだった板野氏の訴えを、前トップの2人はどう聞くだろうか。  ◆◆◆  現在配信中の「 週刊文春電子版 」では、ジャニーズ問題を特集している。インタビューで板野氏は、ジャニー氏に殴られた「淋病事件」や、東山が現場マネージャーにコンドームを買いに行かせた一件、ジュリー氏とのトラブルなどを語っている。また嵐・櫻井翔の契約問題、木村拓哉の主演ドラマに起きた“異変”についても詳しく報じている。

「週刊文春」編集部/週刊文春Webオリジナル

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