還暦パパの〝異次元〟子育て 孫ほど年が離れた息子 叱りたくても「えびす顔」

還暦を迎えるベテラン新聞編集者が、新米パパに。

 3歳の息子の子育てについて綴ります。

「中学生からおじいちゃん、おばあちゃんまで読んでもらえるような記事を書かなアカンで」

駆け出し記者の頃、研修で社会部の先輩からそう教わった。定年間際でやっとそれが果たせた、と思う。

横浜市の86歳男性からは、<高齢にて授かったご夫妻の喜びと3歳に成長された現在の姿は正に宝ですね>と、励ましの手紙をいただいた。

大阪府豊中市の92歳の女性からは、<続きが読みたいので頑張って生きますね>という身に余る言葉とともに、<新聞の 子育てパパに 恋してる>と、ありがたい川柳まで。

ありがとうございます。頑張らなくては。

叱っても下がる目尻

臆面もなく言えば、年の離れた息子は、本当に毎日かわいい。やむをえず叱りつけたときも、「うわーん」と泣きながら、「パパー」とポロポロ涙を落として体によじ登り、許しをこうように見上げる。もうダメだ。つい目尻が下がってしまう。下がる目尻を「えびす顔」と、うまくたとえて歌った大泉逸郎さんの曲「孫」を思い出す。

大ヒットした平成11年、大泉さんの故郷、山形県河北町を取材で訪ねた。

「長男が急性骨髄性白血病で倒れ、奇跡的に私と型が一致して骨髄移植が成功したんですよ。このとき孫がめんこくて、一家の心の支えになりました。それを歌仲間が作詞してくれて、私が曲を書きました」

そう話す大泉さんの笑顔がまぶしかった。サクランボ農園を経営するかたわら、アマチュア歌手として自身のビニールハウスでカラオケの練習をしていた。「孫」の自主制作盤を発表したのが平成8年。その後、「NHKのど自慢」で披露されたことをきっかけに全国に広まり、本格デビューを果たしたのが57歳。57歳といえば、私は息子がまだ1歳だった。

レジャーで体力維持

出産間際に母体が心不全に陥りながら、母子ともに命が救われたわが家もいま、歌詞に共感する。冒頭で、「じいちゃん、ばあちゃん」と呼びかける孫の音声には、涙が出る。名曲は普遍なのだ。

ただ、孫ほど息子と年齢の離れたパパにとって、難関は体力の維持だ。先日、息子の保育園で運動会が開かれたが、年少の組は父母の参加がなくて内心ほっとした。

それというのも、先月本紙に載った<運動会で父「体動かず」 転倒・負傷1割が経験>の記事が、ぐさりと心に突き刺さったからだ。中学時代の同級生が、わざわざこの記事をメールで送ってくれた。心配なのだろう。私自身も心配だ。

ママもパパもどちらかというと一日中、本を読んだり、映画を見たりしても苦にならないインドア派。これではいけない、と天気のよい週末は、息子を連れて、外に飛び出すようにしている。自宅周辺の秋のイベントをこまめにチェック。地元の神社の例大祭では、山車を引く行列に添って歩いた。

屋外でライブ演奏や「屋台メシ」を楽しめる食フェスや、地域の祭りにも積極的に参加した。新たなものに触れるたびに息子は目を輝かせる。歩き疲れると、「抱っこして、ママ」と甘えるのは仕方ない。

先月末、栃木県の中禅寺湖を訪れた。遊覧船にはしゃぎながらも、すぐに船室でスヤスヤ。?日光富士?にたとえられる男体山の雄姿が見えると、ようやくむっくり起きて眺めていた。

緑から黄、赤とグラデーションになった山肌が色鮮やか。触発されたわけでもなかろうが、旅の途中で、初めて自分のことを「僕」と名乗り、「僕ね。赤が好きなの」と話して、パパとママを喜ばせた。クレヨンで覚えた色の名前が、秋の景色に溶け込んでいた。

中本裕己

なかもと・ひろみ 昭和38年生まれ。11月に還暦を迎え、「夕刊フジ」編集長を退任。引き続き編集者として携わる。著書に『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました』。

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