旧ジャニーズ事務所(現・スマイルアップ)創業者のジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題で、被害に遭ったジャニーズJr.(ジュニア)の元レッスン生の男性(55)が取材に応じ、母親に性被害を打ち明けた1カ月後、母親が自殺したことを明かした。遺書には、男性の写真と連絡先を事務所に送ったことへの後悔と謝罪が書かれていた。母親への告白を40年以上悔やみ続け、「自分の人生はめちゃくちゃにされた。事務所が、今後も子どもを育成しマネジメント業務を続けることはあってはならない」と怒りを込める。(望月衣塑子)
◆初めてのレッスンで太ももをさすられ
中学1年生の時の男性。被害を受けるまでは、勉強もスポーツもできる活発な少年だった=本人提供
男性は中学2年になった1982年春、母親から「テレビ朝日でジャニーズ事務所の面接があるので行ってみたら」と勧められ、東京・六本木のテレビ朝日のリハーサル室がある建物に向かった。そこには、ジャニー氏や現社長の東山紀之氏らがいた。
部屋に入って左奥の机に呼ばれ、初対面のジャニー氏から「スポーツは何かやってる?」と聞かれ、「軟式テニス部で、小学校の時に野球をやっていた」と答えた。やりとりは5分程度。「レッスンやっていきな」と言われ、レッスンに加わった。
レッスン中や休憩中、ジャニー氏は必ず自分の横にきて「ダンスが駄目なら他のこともいろんな方法で考えよう」と話しかけ、太ももをさすってきたりした。そのせいか、他のジュニアのメンバーが自分に話しかけてくることはなかった。
◆数日後には日本テレビで
その日の夜、家に電話があり「数日後に日本テレビでミュージカルのオーディションがあるから受けるように」と指示された。日本テレビの四番町別館(東京都千代田区)であったオーディションには当時のジュニアのメンバーほとんどが参加。15人が横並びで一列に座らされ1人ずつ即興でダンスを踊らされた。自分はダンス経験が全くなく上手に踊れなかった。
主催者から「事務所にどのくらい在籍してるの?」と聞かれて「数日」と答えると、後からジャニー氏に「そんなこと言っちゃ駄目。最低でも『3カ月くらい』と言わないと」と怒られた。TBSドラマの児童養護施設の子ども役のオーディションも受けた。
◆「合宿所に行こう」
軟式テニス部も並行していたのでレッスンは2、3週間に1回程度。10回ほどレッスンを受けた82年秋ごろ、ジャニー氏に「合宿所に行こう」と誘われた。
男性が中学1年時、学年別のサッカー大会で優勝した時。男性はフォワードで得点の殆どを稼いだ=本人提供
ジャニー氏の運転するベンツに後にアイドルグループ「光GENJI」のメンバーとなる大沢樹生さんらとともに乗り、西麻布のラーメン店で食事をしてから合宿所に向かった。
見たこともないような広いリビングで大きなソファがあった。ジャニー氏から「ここがマッチ(近藤真彦さん)の部屋」などと案内され、「自分の姉」と藤島メリー泰子氏(2021年死去)も紹介された。
◆下着に残った血痕、渡された千円札4枚
その日の夕方、広いリビングで舞台のビデオを見ながらジュースを飲んでスナック菓子を食べていると、川崎麻世さんが入ってきた。川崎さんが通っていた中学と自分の中学が近いと知った。
その後、気付くと川崎さんが部屋を離れ、踊っていた大沢さんらもいなくなった。
ジャニー氏はソファに自分をあおむけにすると、両足をマッサージし、ズボンと下着を足首まで脱がしてきた。身体が硬直し、怖さしかなかった。途中激痛を感じ、ジャニー氏が「大丈夫か」と声をかけてやめた。帰宅後にパンツをみると5ミリほど血が付いていた。血が出たため、ジャニー氏が途中でやめたと思った。
合宿所を出る際、千円札4枚を渡され、ジャニー氏は「また連絡する」と言った。パンツが母親に見つかると心配させると思い、本棚に隠し、数日後にゴミの集積所に捨てた。
その後も毎週のレッスンやオーディションの参加要請の電話がジャニー氏から来ていたが、一切参加しなかった。
◆被害を告白すると、母親は言葉を失った
勉強は嫌ではなく塾にも通い、進学校に進み大学に行き、将来は新聞記者になりたいという夢もあった。
中学2年時の男性。被害を受けるまでは、勉強もスポーツもできる活発で人気のある少年だった=本人提供
被害を受けた後は芸能界に興味がなくなり、受験に気持ちを切り替えた。レッスンには行ったふりをしていたが、ジャニー氏が家に電話をするため、休んだことも母親にはばれたが、とがめられはしなかった。
ところが83年3月、母親が「ジャニー氏から『私立の定時制高校に通わせて事務所で育てたい』と言われた」と言ってきた。それまで母親に逆らったり、怒ったりしたことはなかったが、初めて被害を告白した。「そんなことをするやつと関わりたくない!気持ち悪くて行けるわけない!」と泣きながら訴えた。母親は言葉を発さず、ただただ悲しそうな顔をしていた。
◆「許してください。悪い母親です」
母親との会話は減り、約1カ月後の83年4月19日、母親が亡くなった。最初に見つけたのは2階で寝ていた自分。1階に降りるとガスが充満し、母親は布団をかぶっていた。怖くて布団をめくれず救急車を呼び、近くの叔母に連絡した。
葬儀の後、引き出しから母親が自分に宛てた手紙と修学旅行費用の1万円が入った封筒を見つけた。手紙には、こう書かれていた。
「お父さんが悪い人にだまされていて苦労していた。●●君につらい思いをさせてしまったのは申し訳なく思ってます。許してください。悪い母親です。生活の少しでも足しになればと、安易な気持ちであなたの気持ちも確認せずに、あなたの写真と連絡先を送ってしまいました」
当時は、父親が家を出て行き経済的に苦しいこともよく分からず、性被害の怒りを母親にぶつけてしまった。「定時制に行きたくない」とだけ言えばよかった。母親を追い込んだ自責の念に、40年以上たった今も苦しんでいる。
◆人との関わり合いが苦手になり
「事務所は、これだけの子どもに被害を与えておいて、今でも子どもの育成やマネジメント業務を続けていること自体おかしい」と話す男性=11月4日、東京都内で
小学校ではスポーツも勉強もできた。先生から児童会長に推薦されるような活発な少年だった。しかし性被害を受け、母の死を経験してからは、男性や同級生と目を見て話せなくなり、体に触られたり声をかけられたりすることにも抵抗感が出るようになった。
勉強に全く身が入らなくなり、希望の高校は落ち、推薦入学した私立高も1年で退学。通信制高校に進むも、清里や苗場などの行楽地での住み込みバイトをして自活するようになった。
人との関わり合いが強い仕事は精神的に続かず、20代後半でタクシー運転手に。相手の目を見る必要がなく、最小限の会話で済むため、何とか続いた。
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◆「夢への憧れと代償のリスク」
男性は「旧ジャニーズ事務所が、かつての自分と同じように小さい子どもを育ててマネジメントを続けることは許されない」と語る。「井ノ原快彦社長率いるジャニーズアイランドが続いていること自体おかしい」
事務所がつくった性被害の申告フォームは、被害態様や状況を詳細に書き込ませる。被害の状況を選ぶだけでもキツかった。記者会見では、2週間で478人が被害を申告したと発表されたが「実際の被害者はもっともっと多いはずだ」と話す。
当時の記憶を弁護士に伝えて陳述書も作成したが、事務所から「ジュニア時代の在籍確認が取れない」と言われ、連絡待ちの状態となっているという。
「自分のような人は多いと思うが、どういう基準で締め出すつもりなのか。事務所は、補償の算定基準も明確にしていない」と対応の不誠実さを感じるという。
男性は「夢への憧れと代償のリスク、その事をしっかり後世に記録で残す必要がある。被害者の痛みや悲しみを語ることでこれからの若者を守っていきたい」と訴える。被害の告白は、多才な人材を求める業界の自浄能力にもつながるはずだ。
◆事務所「コメントを差し控える」
旧ジャニーズ事務所(現・スマイルアップ)は本紙の取材に、男性について「在籍確認できる資料やご本人の話を踏まえつつ、過去に所属していた役職員にも協力してもらい在籍確認を進めている」とし、「弊社としては、故ジャニー喜多川による性加害にあわれた皆さまに深く謝罪いたします。具体的な被害内容に関しては、加害行為に責任がある弊社が関与することを避けて、被害者救済委員会に認定を委ねており、また、被害者の保護のため、弊社はコメントを差し控えることにしております」と文書で回答した。