旧ジャニーズ事務所の変革で揺れるKinKi Kids、分裂の可能性も 剛は独立や退所も視野に周囲に相談か

「剛くんはスペオキ中のスペオキだから」──故・ジャニー喜多川氏の“スペシャルなお気に入り”のことは、ファンの間で「スペオキ」と称されてきたが、そのトップに君臨していたのがKinKi Kids(以下キンキ)の堂本剛(44才)だ。旧ジャニーズ事務所で、数々の“特例”が認められてきた剛だが、そのたびに冒頭のような言葉がファンの間で飛び交っていた。だからこそだろう。剛はいま、悶え苦しんでいる。

【写真】手をだらりとさせた白Tシャツ姿の堂本剛。他、国民的女性アイドルのライブの列に並ぶ堂本光一、黒シャツの第2ボタンまで開けた光一も

 11月上旬、東京・台場で独演会「小喜利の私」の公演を開催した剛。毎年、ジャニー氏とのエピソードを話すのが恒例になっていたが、今年は一切言及することはなかった。公演中、最もファンの心を打ったのは、2002年に発表したソロデビューシングル『街』を熱唱する姿だった。涙こそ流さなかったが、「愛」「傷つく」「痛み」といったキーワードが登場するこの曲を目をつぶり、万感の思いで歌い上げていた。

 剛は8月に出演した『A-Studio+』(TBS系)でソロ活動を始めたきっかけを、「求められる自分と本来の自分のギャップを埋めるためだった」と語っていた。自身が作詞作曲し、作り上げられた自分と“本当の自分”とのギャップに葛藤する心境を表したこの『街』は、まさにいまの剛の気持ちを表しているのかもしれない。

 剛の東京公演の直後となる11月9日、旧ジャニーズ事務所は大きな一歩を踏み出した。新たなエージェント会社の新社長に就任する福田淳氏が、SMILE-UP.の社員に向けて挨拶を行ったのだ。

「いまのみなさんの苦悩を超えるには、再生しかありません。私はこの『再生部分』が得意です。ここまで耐えてきたのだから、ここで奇跡を起こしたくないですか? そろそろ逆転したくないですか?(中略)私は完璧な人間ではないですが、加害者でもないみなさんを毎日痛めつけているわけがわからない空気から、必ず守りたいと思っています」

 こう力強い言葉を連発した福田氏だが、その再生は簡単ではない。

「福田さんの手腕に期待する人がいる一方で、旧事務所と縁もゆかりもない人が経営陣に入ることに抵抗を持つタレントは少なくありません。外部から経営者の招聘が噂され始めてから嵐の二宮和也さん(40才)に続いて生田斗真さん(39才)が独立を発表し、櫻井翔さん(41才)が退所する可能性も一部で報じられました。彼らは先行き不透明な新体制に対し、不安を覚えてしまったのです。剛さんもそのひとりだとみられていますが、彼の場合は、より複雑な状況のようです」(芸能関係者)

特別な存在だったKinKi Kids

 旧ジャニーズ事務所が性加害問題に直面し、大きな変革を余儀なくされる中でも、剛にとって“諸悪の根源”であるジャニー氏が特別な存在であることに変わりはなかった。

「剛さんは生前のジャニー氏から最も目をかけられ、早期のソロデビューなど“特別待遇”を受けてきました。剛さんもジャニー氏への愛情を隠すことはなく、2019年7月にジャニー氏が死去した際は『お別れにジャニーさんのおでこにチューしました』と明かしています」(別の芸能関係者)

 相思相愛ぶりは、ジャニー氏に向けた剛のこんな追悼コメントからもうかがえる。

《涙は流さずにこの体と心へと彩ってあなたを愛しているという 変わらない毎日を大切に生きていくよ ありがとう 宇宙一 大好きだよ》

 一方、剛と同様にジャニー氏を恩師と仰ぐ相方の堂本光一(44才)は、毅然とした態度で性加害問題と向き合った。10月8日、東京・帝国劇場でミュージカルの公開ゲネプロ前に単独会見を行った光一は、ジャニー氏の性加害問題について、「被害者の声を聞いて、“なんてことが起きていたんだ”と言葉を失うことが起きています」と神妙な面持ちで語った。

「さらにこの会見で光一さんはジャニー氏への思いについて、『バツをつけて十字架にしていかなければならない』と“決別”ともとれるコメントを残しました」(前出・芸能関係者)

 9月の会見で、大勢の報道陣を前に、ジャニー氏の行いを「鬼畜の所業」と断罪した東山紀之(57才)や決別を宣言した光一に対し、いまだ剛は無言を貫いたままだ。昨年、デビュー25周年を迎えたキンキはもともと旧ジャニーズでも特別な存在だった。

「事務所内では珍しい2人組で、現役のグループでは少年隊、TOKIOに次ぐ古参です。ファンクラブの会員数が50万人を超すともいわれる金看板ですが、ほかのグループとの違いはマネジメント体制が長らく本社の直轄ではなかったこと。特に、剛さんの後ろ盾はジャニー氏だけだといわれていました」(レコード会社関係者)

 1997年に発売したデビュー曲『硝子の少年』は180万枚近くを売り上げ、その後もミリオンセラーを連発した。27年連続で46作品がオリコン1位獲得という金字塔を打ち立てたが、意外にも『NHK紅白歌合戦』の出場は2016年と2022年の2度だけだ。

「剛くんが『なぜぼくらはデビューから10年以上経っても紅白に出られないんだ』とボヤいていたこともありました。デビュー25周年の昨年はようやく2度目の出場を果たしましたが、今年に至っては旧事務所から誰ひとり紅白に出ることができない」(前出・レコード会社関係者) 

 デビュー3年後から光一が舞台やミュージカルに力を入れ、剛は2002年にジャニーズ初のシンガーソングライターとしての活動を本格化させるなど、2人は早い時期から方向性の違いが噂されていた。しかし、デビュー20周年の節目となる2017年には、剛が突発性難聴を発症すると、復帰ライブでは光一がしきりにフォローに走り、絆の強さをうかがわせた。

「若い頃から精神的に不安定な部分があった剛さんのことを誰よりも心配し、支えてきたのがジャニー氏でした。光一さんとの付かず離れずの関係性も、ジャニー氏のサポートがあったから継続できた、とみる人も少なくない」(前出・別の芸能関係者)

 だからか、その“恩人”が亡くなった直後の2019年秋、ファンクラブの会報誌で剛は突然こんな思いをぶちまけ、ファンを騒然とさせた。

「冒頭から、いままでの人生が計画通りではなかったとの告白に始まり、『客観的に自分をみたとき、かわいそうだなって』、『ぼくの魂はこういうふうに生きたかっただろうなって思うこともある』と悲観的な言葉が並びました。これまでの活動を否定するような発言にファンは大きなショックを受け、“解散するの?”という声まで出ました」(キンキのファン)

 追い打ちをかけるようにジャニー氏の性加害問題が発覚し、退所者が相次ぐいま、旧ジャニーズが解体へと向かう過程で、剛の心はかつてないほど揺れ動いている。

「剛さんはジャニー氏の生前から『ジャニーさんが亡くなったら事務所を辞める』と後輩たちに話していました。最近も独立や退所を視野に入れた身の振り方を周囲に相談しているといいます。関係者も剛さんは“彼(福田社長)とはやれないだろう”とみています。本心では剛さんもジャニー氏の性加害問題について思うところはあるはず。でも、それを言葉にすることは彼の性格が許さない。だからこそ苦しいのでしょう。

 キンキが分裂するかどうかですが、少年隊のようにキンキの看板だけ事務所に残し、個人での活動は自分で事務所を立ち上げてやることも検討しているようです。ただ、現状は彼を慕う後輩たちへの影響も考え、最終結論には至っていないと聞いています」(前出・レコード会社関係者)

“本当の自分”を求める剛に決断のときが迫っている。

※女性セブン2023年11月30日・12月7日号

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