東北初のサツマイモ栽培 「甘藷翁」川村幸八は仙台・中田の偉人

仙台市太白区中田1丁目の宝泉寺に、ひっそりとたたずむ石碑がある。「甘藷(かんしょ)記念(紀念)碑」。東北で初めてサツマイモ(甘藷)栽培に成功し、「甘藷翁(おう)」と呼ばれた地元出身の川村幸八(1788~1869年)をたたえている。

 8代後の子孫となる川村幸毅さん(86)=太白区=は「食べ物が豊富な今では想像できないかもしれない。食糧事情を良くするために尽くした先人がいたことを知ってほしい」と願う。

 中田地区はかつて、奥州街道の宿場町として栄えた。川村家はもともと農家で、足のまめに効く薬も売っていたそうだ。

 川村さんや石碑によると、足を痛めて立ち寄った下総国(現在の千葉県)の旅人が、薬のお礼に幸八の農作業を手伝った時のこと。「中田の土は下総に似ている。甘藷を育てたらどうか」と勧められた幸八は1811年に下総を訪ね、種芋を持ち帰って育て始めた。

 寒さに苦戦しながらも試行錯誤。栽培は軌道に乗り、一大産地となった。 
 1830年代の天保の飢饉(ききん)で人々を救ったという確かな記録はないものの、「コメの代わりにサツマイモを食べて乗り越えたと思う」と川村さん。栽培開始から50年後には、当時の仙台藩主伊達慶邦から賞詞が贈られたという。

 川村さん自身は太平洋戦争後の食糧不足を目の当たりにした。「仙台の中心部から買いに訪れ、イモがなくなると『茎でもいい。売ってくれ』と言われた」と振り返る。

 時の移ろいとともに宅地化が進み、サツマイモ畑は姿を消した。「住む人が増えてにぎわうのはいいが、何だか寂しいね。石碑は研究熱心で行動力のある先駆者がいたことを伝える唯一の存在」と話す。

 川村さんは中田市民センターからの相談を受け、児童向けの冊子「甘藷翁 川村幸八さんものがたり」の編集にも協力した。2021年3月に発行され、地区の小中学校や各町内会に寄贈。食糧難と闘った先人の足跡を易しく説く。

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