PRESIDENT Online 掲載歌舞伎町で路上売春をする女性たちはなぜ手っ取り早く稼ごうとするのか。毎日新聞社会部の春増翔太記者は「25歳の女性は1回1万円という相場より安い値段で体を売っていたが、そのお金を、入れ込んでいる年下のホストへ貢いでいた」という――。
※本稿は、春増翔太『ルポ 歌舞伎町の路上売春』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。記事に登場するカタカナ表記の名前は仮名です。
■歌舞伎町の路上で体を売って暮らしていた25歳の女性
ユズに出会ったのは2021年12月だった。彼女は25歳で、歌舞伎町に来て2年がたっていた。東京では昼職に就いたことがなく、体を売って暮らしていた。無邪気で、よく冗談を言い、よく笑った。
何度か顔を合わせるうち、私にも気軽に声をかけてくるようになった。もともと警戒心をあまり持たないタイプで、私が売春をとがめたり、説教したりする人ではないと分かったのだろう、会うと下ネタを飛ばし、嫌な客の愚痴をよくこぼした。
「今日の客、まじであそこがでかくて超痛かったんだけど」
「ホテル入った後でいきなり『ナマでやらせて』って、すごいしつこくて」
「よく見かけるおっさんがいて、知らない? さっきも話しかけられて、適当に返してたら、急におっぱい触ろうとしてきて最悪なんだけど」
ユズの口癖の一つは「最悪」だ。路上の女性はぞんざいな扱いを受けることも多く、確かに悪態の一つもつきたくなるだろうと思う。それにしても、彼女に限らず女の子たちの仕事上の愚痴は、かなり生々しい。本気で怒っていることもあるし、冗談交じりのときもあるが、聞いていてどういう顔をすればいいのか分からないことがよくあった。
■報酬は1回1万円、お金がないときは半額でも応じる
ユズが売春相手に提示する金額は1万円だ。この街で路上売春をする女の子たちの相場からすると、かなり安い。どのホテルにするかは客任せで、自分では選ばない。馴染みの相手だと、1万円を切る値段で応じることもあるという。
「本当にお金がなくてやばかったときに5000円で行ったこともある。知ってる人だったし、手でするだけだったら、それでも別にいいやって。早く終わるなら正直1(万円)なくてもいい。しつこく値切ってくるのは変なやつが多いから、さすがに初めての人とはそんなことはしないけど」
相手次第で、逆に料金を上乗せすることもあった。「さっきの客にナマでどうかって聞かれて、「じゃあ2(万円)で」って言ったら2万くれた」と、いつもと同じ口調で話してくれたこともある。「ラッキー」という響きすらあった。
■風俗店と違って時間制限がなく「今日の客、2時間もかかった」
取材を始めたときから心がけていたことだが、私はあくまで観察者として、路上で性を売る女性たちに接しようとしていた。彼女たちの言動を否定したり説教めいたことを言ったりしないようにと思っていた。それでも、「危ないからやめときな」と、つい口を出してしまいそうになる。
性風俗店では、時間ごとのプランで値段が異なるが、路上に立つ女性たちは、1人の相手にどれくらい時間を使うか明確には決めていない。「一通りのことが終われば終わり」という場合が多く、「今日の客、全然いかなくて2時間もかかった。倍ほしいくらいだった」とこぼすこともある。
ユズはかって基本料金を「2万円くらい」に設定していた。ところが、金額を言った途端に離れていく客が多かった。しかも、女の子の数が増えて相場は下がりぎみで、仕方なく彼女は自分の値段を少しずつ下げていった。
■ホストにハマって店に行けば1回2~3万円はかかる
ある日、ユズが、財布の中に1万円札が何枚あるか数えていた。いつもより明るく機嫌もいい。「景気がよさそうだな」と話しかけると、目を細めながら、「すぐに客がついて2万(円)もらったんだよね」と答えた。それとは別に、話しかけてきた年配男性から、立ったまましゃべっただけで何千円か受け取ったという。セックスをしなくても、たまにお金をくれる顔なじみがいるらしい。「そんな客ばっかりだったらいいのに」と彼女は言う。
私にしてみれば、何もしないで金をくれる人こそ、動機が分からないだけに怖い。「そういう人って、何が目当てなんだろう?」と聞いてみたが、納得できる答えは返ってこなかった。
物事をあまり深く考えず、先を見据えないユズは常に金欠だった。「金がない」も口癖の一つだ。稼いだ金が貯まることはなかった。使ってしまうのだ。ユズはしばしばため息をついた。理由はその時々で違ったが、一番多かったのは「ソラ君に会いたい」だった。彼女が入れ込んでいるホストだ。
4歳下の22歳。写真を見せてもらうと、少年の雰囲気を多分に残した、きれいな顔立ちの男の子だった。スマホケースの裏側に、彼の黄色い名刺を大事そうに挟み込んでいた。明らかに「ハマっている」状態だった。けれど、彼がいる店に毎日行けるほどの金はない。一回行けば、最低でも2、3万円はかかる。ねだられてシャンパンのボトルでも入れれば5万円は下らない。だから、ため息がよくこぼれた。
■北海道の小さな町で育ち、Twitterで札幌のホストに出会った
ユズが生まれ育ったのは、札幌から車で何時間もかかる小さな町だ。そんな話も、あまり隠さない。打ち解けてくると、相談室だけでなく、個別に会って話を聞くようになった。ある時は昼間、串カツを食べながら。別の日には中華料理屋で野菜炒めをつつきながら。彼女はいつも待ち合わせ時間にほとんど遅れずに来たし、行きたがるのは大衆店ばかりだった。何かをねだることはなかった。
ユズは歌舞伎町に来るまで、北海道から出たことがほとんどなかった。地元の高校を卒業後、運輸会社の事務職やパチンコ店、居酒屋のアルバイトをした。22歳のとき、ツイッター(現X)で同世代の男性と知り合った。フォローされてプロフィールを見ると、札幌に住んでいるようだった。写真の顔も好みだった。フォローし返すと、ダイレクトメッセージが来た。
しばらくやり取りを続けていたある日、友達と札幌へ遊びに行くことになった。その男性に伝えると、「じゃあ、会おうよ」と誘われた。少しわくわくしながら会った。「おれ、ホストやってるんだ」と明かされた。「よかったら来てよ」とも。
彼のことを好きだったのか尋ねると、「よく分からない」と言う。「別にそんなんじゃなかった気がする」。ただ、自分の周りにはいないタイプだった。あか抜けていて、気さくで、話していると楽しかった。地元に帰る日を延ばし、誘われた店に行った。
■ホストクラブで過ごした楽しい時間が忘れられなかった
初めてのホストクラブ。そのときのことは「よく覚えていない」。酒が好きなわけではなかった。誘われると断れない性格で、ほとんど金はかからないと言われて行った気がするという。ただ、通い始めると楽しかった。誰かが常に自分の隣に座り、親しげに話を聞いてくれ、愉快そうに笑ってくれた。みんなイケメンだった。そして、手持ちの金はすぐになくなった。
店にまた来てほしいと促される日が続き、ある時、仕方なく「お金ないんだよね」と打ち明けた。待っていたかのように、「じゃあ、風俗やりなよ。紹介するよ」と言われた。札幌に出てきたときに始めたアルバイトを辞め、ススキノの性風俗店で働き始めた。「体を売るのは、最初から別にそんなに嫌じゃなかった。すぐに慣れたよ。変な客がついた時は嫌だったけど、いい人もいたし」。
稼ぎのほとんどはホストクラブの支払いに消えた。1カ月だけアパートに住んだが、家賃を払えなくなり、ネットカフェで寝泊まりするようになった。「なのにそのホスト、すぐに冷たくなったからね。まじむかつく」。そのホストとは数カ月もしないうちに縁が切れたが、ホストクラブで過ごした楽しい時間は忘れられなかった。
■あこがれの東京に出てきて歌舞伎町のホストを頼った
ユズにとって札幌は、高校を出るまで大都会だった。たまに何時間もかけて遊びに行き、地元にない服屋をのぞき、人の多さに圧倒された。その札幌すら、少し物足りなくなっていた。一度は実家に戻ったが、街の小ささにため息をついた。ある日、「もっと大きな街に行きたい」と親に伝えた。その頃には、ホストなら東京の歌舞伎町が一番らしいと知っていた。
東京に来たのは、2019年の年末も押し迫り、街のあちこちに門松が置かれ始めた頃だった。荷物は、数日分の着替えを入れたキャリーケース一つだけ。向かった先は、新宿駅から私鉄に乗って数駅のところにある1軒のアパートだった。ここでもユズはホストを頼った。札幌にいたときにツイッターで知り合った。東京への憧れを見透かされたかのように、「こっち(東京)に来なよ」と何度も誘われていた。
ホストの家はワンルームのアパートだった。部屋の隅には、食べ終わったコンビニ弁当やカップの容器が転がっていた。転がり込んで3日目、「これから女が来るから」と言われた。上京して訪ねるまでは愛想がよかったのに、泊めてもらったその日、態度は一変していた。初めて会って、がっかりしたのだと思った。
■歌舞伎町のネットカフェの狭い個室で寝泊まりし体を売る
「はいはい、出て行けばいいんでしょ」。心の内でそうつぶやき、キャリーケースを引いて外に出た。といっても行く当てはなく、歌舞伎町に向かった。「結局、そいつの店には行かなかった。行く間もなく部屋から追い出されたから。それからはネカフェかな。札幌ではちょっとだけアパートに住んだけど、東京に来てからはずっとネカフェ。誰かの家に何日かいることもあったけど、結局はひとんちだし。誰かとずっと一緒にいるの苦手なんだよね。気が合えばまだいいけど……」。
歌舞伎町周辺には、歩いて行ける範囲でインターネットカフェが10軒以上ある。大抵は24時間パックや長期滞在が可能なプランが用意されていて、宿泊できる。上京して以降、ユズはそうしたネカフェを転々とした。ホストクラブにも通った。手っ取り早く稼ぐために、札幌のときと同じように体を売った。在籍できる風俗店を探し、誰かから教えてもらって路上売春を始めた。文字通り、その日暮らしだった。
ユズは「V(ビジュアル)系」と言われるバンドが好きだ。おとなしめのV系ファッションで、私が出会ってからも、髪の色を時々赤く染め、黒い服を好んで着ていた。「面食い」ではないと自分では言う。「格好いい人とどうにかなりたいわけじゃないんだよね。イケメンと飲むのは好きだけど、付き合えるとか別に思ってないし」。歌舞伎町でもホストに入れ込み、しばしばそのホストはバンドマンだった。
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春増 翔太(はるまし・しょうた)
毎日新聞社会部記者
1984年神奈川県生まれ。植物学を専攻していた大学院を中退し、2009年に毎日新聞入社。甲府支局、盛岡支局、社会部、神戸支局を経て、21年から再び社会部に所属。各地で警察を担当し、事件・事故取材に携わった。岩手や神戸では東日本大震災と阪神大震災後の被災地を、社会部では東京パラリンピックのほか、コロナ禍で陰謀論に陥った人やその家族、闇バイトに手を染めて捕まった若者を追った。
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(毎日新聞社会部記者 春増 翔太)