四ツ谷用水、山形五堰と比較 仙台でフォーラム

仙台藩祖伊達政宗の命で張り巡らされ、城下町・仙台を潤した「四ツ谷用水」への理解を深め、歴史的価値を継承するフォーラムが9日、仙台市青葉区の東北大青葉山キャンパスであった。市環境局が主催し、約100人が参加した。

 山形市文化創造都市課の斎藤仁課長補佐(50)は四ツ谷用水と同様、江戸時代初期に山形城下で「山形五堰(ごせき)」が整備された経緯を解説した。

 取水する前、近くを流れる馬見ケ崎川は洪水が多く流路が変更されていた。斎藤氏は「城下で水不足が発生したため川に五つの堰を設けて取水し、水を引き込んだことが名前の由来」と説明した。

 さらに、一番の特徴は水利権を巡る争いだったと指摘。「藩主が何度も変わったので村で争いが頻発した。これに対し、四ツ谷用水は仙台藩の下で安定的に供給され、城下の発展に貢献した」と語った。

 仙台・水の文化史研究会の柴田尚会長(77)は、四ツ谷用水の水が土地に染み込むなどして、「木々の多い『杜の都』につながった」と話した。

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