「TSMC熊本進出」のあまり語られない本当の理由

30年以上、世界の半導体の現場に身を置いて今も現役で活動する半導体エンジニアが日本や世界の半導体政策や業界動向を解説する。

熊本県菊陽町で進むTSMC子会社の建設工事

熊本・菊陽町で進むJASM新工場の建設。同社はTSMCが過半を出資する(写真:編集部撮影)

これまでに多くの人が半導体受託製造世界最大手の台湾企業、TSMCの日本進出について解説してきた。ただ、「九州の電気代が安いから」「地元の誘致政策の成果」「くまモンがかわいいから」など首をかしげる内容も多い。今回は公開情報からその背景を解説する。

TSMCの日本最大顧客はソニー

TSMCの2022年売上高は2兆2523億台湾ドル(約10兆6000億円)である。前年比44%増というすさまじい成長だ。その中で日本向けは地域別増加率で最大である66%増だが、TSMC全社売上比での割合は5.3%に過ぎない。

TSMCの地域別売上で最大なのはアメリカで、全社売上の66%を占める。一部にはアメリカで半導体ファブ(工場)を作るのが理にかなっているとの意見もある。確かに以上の事実だけ見れば、売上高5%前後に過ぎない日本にTSMCが進出したことに首をかしげる方は多いだろう。

しかし、この5%の売上高の半分以上が実はソニーの半導体子会社、ソニーセミコンダクタソリューションズ(以下、ソニー)であることを知れば、見える景色は変わるだろう。今回のTSMC進出は日本最大顧客のソニーがいたからこそである。

日本ではほとんど報道されていないが、TSMCは台湾南部の台南にあるFab14Aをソニー専用ファブとして40nmノード向けロジック半導体を生産している。そしてFab14Bを22~28nmノード向けとし同じくソニー専用ファブとして建設する予定だったとされる。ソニーのCMOSイメージセンサー(CIS)は積層構造となっており、画素部はソニーで内製しているが、回路部は外部調達しておりその大部分をTSMCに製造委託しているのである。

一方、経産省は2019年頃から先端半導体ロジックの製造拠点を日本に確保すべくインテルやTSMCなどと交渉を行っていたと報道されている。ただ、その時点では海外の大手半導体企業が日本にファブを作るビジネス的なメリットは何もなかったのである。

TSMCは2021年3月に日本政府からの190億円の助成を受けることで後工程向けの3DIC研究センターをつくば市に設立したが、それは業界内でお付き合いとも言われているもので、前工程に関してはコストメリットがないため前向きな回答はなかった。

車載半導体不足で潮目が変わる

この流れが変わったのは2020年末から自動車向けの半導体不足が顕著になったためだ。2021年に自民党は半導体戦略推進議員連盟を設立した。同年5月21日には初会合を開き、その中で甘利明会長は「日本にとって半導体戦略は今後の国家の命運をかける戦いになる。この議連がその先陣を切っていきたい」と語った。

この動きを受け経産省も積極的な交渉を始めたのは間違いないだろう。その結果、TSMCは2021年10月14日の四半期決算オンライン説明会で日本に半導体ファブを建設すると正式に明らかにした。

2021年11月9日にTSMCは正式に半導体製造を受託する子会社Japan Advanced Semiconductor Manufacturing(ジャパン・アドバンスト・セミコンダクター・マニュファクチャリング、JASM)を熊本に設立すると発表し、ソニーも少数株主として参画した。建設地が熊本なのは、熊本県菊陽町にソニー熊本TECの拡張を見込んで隣接地に工業用地を確保していたことや熊本で2000年から半導体ファブを運営してきたソニーの人員を含めた協力が得られるからだ。

なお、一部でTSMCが熊本で公害を撒き散らすなどの根拠が乏しい言説が出回っているが、ソニーが20年以上積み上げてきた環境維持のノウハウ・経験が今回のJASMにも生かされている。

ソニーの熊本拠点の拡張を見越して用地が確保されていた(出所:熊本県菊陽町)

この熊本での計画は、先に説明したTSMCが台南で進めていたFab14B計画を丸ごと熊本に持ってきたものである。しかし、このままではTSMCとソニーのためだけに税金が使われることになり、肝心の車載半導体の確保にはつながらない。そこでデンソーを少数株主に迎え入れ22/28nmノードプロセスに加え、日本では初めての12/16nmノードFin-FET技術の半導体を製造することになった。

とはいえ、製造の大部分がソニー向けであることに変わりはない。また、課題であった高コストに関しても建設費用の半分近くを日本政府が助成することになり、そのための法律(特定高度情報通信技術活用システムの開発供給及び導入の促進に関する法律)も2022年3月1日に施行された。その認定第一号としてJASM/TSMCが選ばれ最大4760億円の助成が決まったのである。

なお、TSMCはこれまで海外に進出する場合、合弁を行うことなく自社100%の出資だったが、熊本のケースでは顧客を少数出資者として迎え入れた。これで誘致元の理解を得られやすくなることから、欧州でもボッシュ、インフィニオン、NXPを少数株主として迎え入れて現地製造子会社をドイツ・ドレスデンに設立することが発表された。

ソニーとTSMC、そしてアップル

2022年12月12、13日にアメリカのIT大手アップルのティム・クックCEOが熊本を訪れた。熊本城や地元小学校の授業を見学し、ソニー熊本TECを視察したことがニュースになったが、訪問した本来の目的が理解されていないようだ。

2023年に発表されたiPhone15のカメラにも従来同様にソニー製のCMOSイメージセンサー(CIS)が採用された。しかし、新型CISの製造に苦戦していたことがソニーの四半期決算発表会で明らかになっている。その製造遅延に関しては当然アップルも把握しており、クック氏の熊本訪問は悪く言えば尻に火をつけにきたと考えられる。

このことでソニーは厚木にいる技術者も熊本での立ち上げ支援に充当したことが漏れ伝わっている。そして、クック氏のもう1つの目的にはJASMの建設が予定通り進んでいるかの確認もあっただろう。日本政府の都合で本来の計画(TSMC台南製造)から熊本に変更されたわけで、それによってアップルの製造計画に影響があってはならないからだ。クック氏は購買・SCM(サプライチェーン・マネジメント)部門出身のプロであることを理解していれば上記の理由は理解できるだろう。

アップルの影響力が大きいのは次の図を見るとわかるだろう。

世界の電子機器メーカー上位10社による半導体消費額推移。ガートナージャパンデータを基に筆者作成

アップルは購買力が頭抜けているだけではない。同社には製造メーカー出身のエンジニアが多く採用されている。この技術詳細やコストを熟知したエンジニアたちが短期・中期(5年先)・長期(10年先)のシビアな技術仕様を作成し、購買部門がフォーキャスト(予測)を提示する。アップルのサプライヤーはこれらの要求を実現するために開発計画や設備投資計画を立案し実行するのである。

現在報道されているJASM第2工場や第3工場、ソニー熊本TECの新工場建設も他の顧客からの需要ももちろん考慮するがこのアップルからのフォーキャストをベースにして投資が検討されているはずである。アップルはTSMCの2022年売り上げの23%、2021年は26%を占める最大顧客である。ソニーのCIS部門の最大顧客ももちろんアップルである。

TSMCもソニーももちろん他のサプライヤーも最大顧客アップルの要求を満たすために、それこそ馬車馬のように走り続けるしかないのである。要求を満たせなくなった場合、ジャパンディスプレイ(JDI)のようにシビアな判断が待っており、その厳しさからサプライヤー企業の中からは「毒まんじゅう」になぞらえ「毒リンゴ」と揶揄する声もあるほどだ。

毒リンゴを食べたウェーハ姫のハッピーストーリーは果たして描けるだろ

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