三井不動産が仙台市内に支店を開設して21日で50年を迎えた。宅地やマンションの分譲に始まり、商業施設、スポーツ施設の整備まで多彩な事業を展開。三井グループのDNAとされる「進取の気性」を発揮し、仙台を中心に市場を開拓してきた。寺島道人東北支店長(58)は「今後も地域の発展のため役割を果たしたい」と話す。(報道部・亀山貴裕)
[てらしま・みちと]1988年三井不動産入社。秘書部社長秘書や商業施設運営事業部運営グループ長、ロジスティクス事業部長などを経て21年4月より現職。三井不動産レジデンシャル東北支店長などを兼ねる。兵庫県出身。58歳。
マンション開発「東西線沿線エリアに興味」
同社が青葉区一番町のオフィスビルに仙台支店(現東北支店)を開設したのは第1次石油危機直後。くしくも三菱地所など競合他社と同じタイミングだった。
初めて着手した事業は旧泉市(泉区)の市名坂エリア。広大な農地の土地区画整理事業に地権者と共に取り組み、現在のアイスリンク仙台や仙台徳洲会病院が並ぶ一帯を開発した。
1995年に青葉区台原地区で30階を超える超高層住宅を手がけるなど、これまで市内でマンション約90棟を供給した。98年には同社として東北初の免震マンションを同区五橋に整備。住宅部門子会社が青葉区中央に建築中のマンションには、管理業務を区分所有者以外に任せる「第三者管理方式」を東北で初めて採用する。
寺島氏は「(複合商業施設を含め)いち早く新しい事業フィールドを開発し、そのノウハウと経験を基に地元の皆さんとより良い商品をつくってきた」と自負する。今後のマンション開発は「時代によって立地などは変わっていくが、市地下鉄東西線沿線エリアは非常に興味を持って見ている」と述べた。
住宅、商業、スポーツにも展開
同社所有のアイスリンク仙台では冬季五輪金メダリストの羽生結弦さんや荒川静香さんが練習を重ねた。前身のリンクが2004年に経営難で閉鎖した際には、荒川さんの呼びかけや宮城県、仙台市の後押しもあり、同社がリンク運営会社の加藤商会(東京)と交渉。07年の再開に結び付いた。
東日本大震災で大きな被害を受けて休業を強いられたが、関係者が修繕を急ぎ、4カ月後に復活。フィギュアスケート国内発祥の地にある名門リンクを守った。
新型コロナウイルス禍が明け、三井アウトレットパーク仙台港(宮城野区)の利用客はコロナ禍前の19年並みに回復。三井ガーデンホテル仙台(青葉区)の宿泊客数は19年を超える水準だ。来年4月には首都圏と東北6県を結ぶ物流拠点「MFLP仙台名取I」が名取市に完成する。
寺島氏は「仙台が発展しなければ我々のチャンスも失われていく。東北経済を見ても観光は伸びしろが大きい。ホテルや物流をはじめ、事業を拡大していきたい」と先を見据える。