● ダイハツの驚くべき不正が明らかに 全車種出荷停止の異常事態 年末の自動車業界は、カー・オブ・ザ・イヤーの話題と、年明けの初売りによる拡販に向けた新車発表などのイベントで盛り上がるのが通例だ。ところが、今年2023年の年末は、例年の年越しとはかなり様相が異なる。 12月20日にダイハツ工業が新車の安全性が国の基準に達しているか確認する認証試験で不正をしていた問題を国土交通省に報告し、この問題を調査した第三者委員会と、これに続きダイハツ・トヨタ自動車の首脳らが緊急会見を行った。 ただし、ダイハツ・トヨタの共同会見といっても、実際はダイハツを完全子会社とするトヨタの仕切りだった。会場がトヨタ東京本社に隣接するイベント会場であり、司会もトヨタの“スポークスマン”の長田准執行役員・渉外広報本部長自らが務めたのだ。だが、トヨタが仕切った会見なのに、豊田章男会長、佐藤恒治社長の姿がなかったことに違和感を感じたのは、筆者だけではないだろう。 ともあれ会見の結果、12月26日からダイハツが生産する全車種の出荷・生産を停止するという、前代未聞の事態が生じた。 そもそも、この一連の事件は、23年4月に側面衝突試験の認証申請における不正があったとダイハツが公表したのが端緒だった。これを受けてダイハツの奥平総一郎社長が会見で謝罪するとともに、親会社のトヨタの豊田章男会長と佐藤恒治社長も別に緊急会見を行い、豊田章男会長は「ダイハツだけの問題でなく、トヨタの問題でもある。グループ全体で個社の社内風土を変えるまでに至らなかった」と謝罪、トヨタグループとしての問題意識に言及した。 ところが、最初は東南アジアなどへの海外車種が不正の対象とされたものの、それから1カ月足らずの5月には、国内で販売するダイハツの「ロッキー」とトヨタにOEM供給する「ライズ」のHV車でも不正があったことを新たに発表した。 ダイハツは、「この度の不正は車の安全性に関わる領域での不正であり、社会的に許されるものではない。経営マネジメントが現場に寄り添えず、法令遵守や健全な企業風土の情勢が疎(おろそ)かになる中で、正しいクルマつくりを見失い不正行為を発生させた」と謝罪。「不正行為をせざるを得なくなった背景・環境・真因を徹底的に究明し、改善・再発防止に取り組み、膿(うみ)を出し切る」として、外部の「第三者委員会」による内部調査を進めてきた。 それから半年を経過した今回、その第三者委員会の報告書が公表されたわけだが、そこで明らかになったのは、非常に驚くべき内容だった。
この報告書によると、新たに174件もの不正が判明し、対象は国内で生産または開発中のすべての車に及んでいることが発覚した。すでに生産を終了している車でも不正が見つかった。 加えて、これらの不正が1989年から30年以上にわたって続いてきたことも判明した。弁護士主体の第三者委員会のメンバーの中で唯一技術関連に見識を持つ、元国交省技術安全部長で日本自動車工業会(自工会)常務理事も務めた中山寛治委員は、「メーカーとして『現地現物』がなされていなかった企業風土である」ことを強調し、ダイハツ幹部の責任の大きさを指摘した。また、第三者委員会は、特に14年以降に不正が急増しており、短期開発による現場へのプレッシャーが強まったことに関する経営責任を大きな要因とした。 報告書の公表を受けて、ダイハツの奥平社長は共同会見で、「不正の背景は、開発の短期化でプロジェクトを優先した結果であり、目が届かなかったすべての責任は経営陣にある」「現地現物で把握し、出直しが必要。法令順守を大前提に組織・仕組みを見直し、徹底した再発防止に取り組む」と経営の責任を認めて謝罪した。 また、トヨタの中嶋裕樹副社長は「14年以降、トヨタへの小型車OEM車種が増えたこともありトヨタとしても反省している。信頼回復に向けてトヨタもバックアップしていくが、ダイハツ再生への道は一朝一夕ではない」と、親会社としての責任と今後のダイハツ再生へ支援していく姿勢を明らかにした。
このダイハツ不正は当初は小さな内部通報が発端となり判明したものだ。しかし、調査が進むにつれ事態は発展し、そのあまりの悪質さにダイハツブランドは大きく毀損(きそん)した。ユーザー、世間からは著しく信頼を失ったといっていい。 しかも、「安全性」という車の根幹で信用がなくなったのだから事態は極めて深刻だ。筆者もマイカーで出かけて信号待ち中にダイハツ車を見かけたとき、「大丈夫かな」と思わず車内で声を発してしまった。 筆者はダイハツというメーカーやダイハツディーラーを長く取材してきた経験から、ダイハツは質実剛健な企業気質があり、「良品廉価」を掲げる小さい車造りが得意なメーカーだという印象を持っていた。それだけに、今回の事態は残念でならない。 だが、不正を生んだ「ダイハツの企業風土」という観点から見ると、ダイハツという大阪の最古参自動車メーカーとしての気概が、トヨタの“子会社化”が進む中で薄れてきたことは大きい。 トヨタとダイハツの関係は、67年に資本・業務提携したことに始まる。当時は、トヨタ、ダイハツともに自工・自販という製販分離体制を取っており、トヨタからはダイハツ工業・ダイハツ自動車販売それぞれにトップを送り込んだ。初めてのトヨタ出身のダイハツ工業社長は75年に就任した大原栄氏だ。その後、ダイハツも工・販合併するが、現在の奥平社長(17年~)まで10人の社長を数える中で、トヨタから転じて社長となったのが8人、ダイハツプロパーは2人にすぎない。
さらに、トヨタは98年にダイハツの株式の過半(51%)を取得して子会社化し、16年に100%出資による完全子会社化している。 この間、ダイハツ社内外で話題となったのが05年にトヨタ副社長からダイハツ会長に転じた白水宏典氏が“白水天皇”とまで呼ばれるほど、ダイハツの権力者となったことだ。 白水氏は、当時軽自動車でスズキに次ぐ“万年2位”に甘んじていたダイハツを一気にトップに引き上げた立役者だ。筆者もライバルの鈴木修社長(当時)から「ダイハツの白水会長は、なかなかやるね」との言葉を聞いたことがある。白水氏は、九州・中津工場建設を決断した人でもあり、11年に相談役・技監に退いたが16年のトヨタのダイハツ完全子会社化まで権勢を振るった。ダイハツプロパーでダイハツ九州社長だった三井正則前社長を抜てきたのも白水氏だったそうだ。 白水氏の権勢は功罪相半ばするが、くしくも16年のトヨタのダイハツ完全子会社化で白水氏はダイハツを去った。 第三者委員会が指摘したダイハツの不正問題が増えたのが14年頃のことだ。14年は、トヨタのグローバル販売が1000万台超え(1023万台)したタイミングでもある。トヨタが「低コストの小型車開発・生産技術を得意とする」ダイハツとの連携を深めたことで、ダイハツ内ではプレッシャーとなった可能性もあるし、あるいは「アンチトヨタ」という対立構造によるあつれきも現場であったのかもしれない。 いずれにせよ、ダイハツの不正問題は全車種の生産・出荷停止という異常事態を迎え、ダイハツ本体はもとより、関西や九州の仕入れ先の部品各社と全国のダイハツ販社にも大きなダメージを与える。納入できない、売るものがないとなれば当然だ。 今回のダイハツ不正は、まさに解体的出直しが求められるが、どうも同じような光景を見てきたのが、先般の日野自動車のケースだ。
日野自の小木曽聡社長もトヨタでプリウスの開発責任者を務めた経験を持ち、ダイハツの奥平社長もカローラ開発責任者を務めた技術屋だ。また、いずれも不正が過去にさかのぼって行われていたことが露呈しており、長年の企業風土による不正だという印象が強い。 今後、国土交通省の立ち入り検査の結果次第で認証取り消し、型式指定取り消しという最悪の事態や出荷停止の長期化に陥れば、ダイハツの業績悪化、ひいては親会社トヨタの業績にも悪影響を与えることになる。さらに、トヨタグループの商用車におけるCASE技術・サービスの研究を担う「CJPT(コマーシャル・ジャパン・パートナーシップ・テクノロジーズ)」にはダイハツも参加し、トヨタ・スズキ・ダイハツ3社でBEVの共同開発も行っているが、その連携の見直しや日野同様CJPTからの除名もあり得る(日野自はその後復帰)。 日野自の不正は、三菱ふそうとの統合という予期しなかった大型車の再編に結び付いてしまった。 トヨタの豊田章男会長はスズキの鈴木修相談役をリスペクトしているし、軽自動車代表で自工会副会長も務める鈴木俊宏社長との関係もある。トヨタグループとして考えたとき、ダイハツの「解体的出直し」がスズキとダイハツの統合にまで結び付く可能性も、あながちあり得ないこととして想定されよう。 (佃モビリティ総研代表・NEXT MOBILITY主筆 佃 義夫)
佃 義夫