ダイハツ、お前もか…闇落ちするブラック企業には「ヤバいスローガン」がある

「員数主義」に走っていたとしてもなぜこれほどダイハツは「堕ちた」のか

 不正問題で揺れるダイハツが、「ブラック企業」だと叩かれている。

 12月20日に第三者委員会の調査報告書で指摘された社風が、「そりゃ、不正がまん延するよ」「昔、在籍していたブラック企業がまさにこんな感じだった」などと、世間をドン引きさせているのだ。

 まず報告書によれば、ダイハツは「極度のプレッシャーに晒されて追い込まれた現場の担当者に問題の解決が委ねられた現場任せの状況になっていた」という。ぶっちゃけ、こういう「現場に丸投げ」はサラリーマンならば一度や二度は経験する「あるある」だが、ダイハツがすさまじいのはここからだ。

 現場が「これこれこういう問題でできません」と管理職にSOSを出しても、「『で?』と言われるだけで相談する意味がなく、問題点を報告しても『なんでそんな失敗したの』『どうするんだ』『間に合うのか』と詰問するだけで、親身になって建設的な意見を出してくれるわけではない」(調査報告書より)というのだ。

 要するに、「どんな手を使っても結果を出すのがお前の仕事だろ」と言わんばかりに、ノルマと責任をすべて「下」に押し付ける、という威圧的マネジメントがまかり通っていた。「下」は、生きるためにやむなく不正行為に走ったというワケだ。

 ちなみに、これは筆者が本連載の中で、日本企業の「不正カルチャー」の原因だと繰り返し指摘してきた「員数主義」の典型的なケースだ。「員数」とは旧日本軍内で使われてた装備品や物資の数を示す言葉だ。

 軍隊内ではこの「員数」と帳簿上の数が合わないのは「あり得ない」ので、ダイハツのように「で?」「なんで数が合わないの」「どうするんだ」と詰問された。そこで、とにかく員数を合わせるため、他部隊から装備品を盗んだりする不正行為がまん延、現場レベルでは黙認されていたというのだ。

 そんな旧日本軍の「数の帳尻を合わせるためならば多少のインチキには目をつぶる」という「員数主義」が戦後、従軍経験者や軍需工場での勤務経験者を介して、日本の民間企業にも引き継がれて、現在に至るというのが筆者の考えだ。詳しくは、《ビッグモーター前社長の他人事発言が、東京裁判「元陸軍大将の釈明」と重なる理由》をお読みいただきたい。

 ただ、仮にダイハツが員数主義にむしばまれていたとしても、ここまで「ベタベタのブラック企業」になってしまったことは説明できない。日本最古の自動車メーカーであり、軽自動車国内新車販売台数17年連続トップの名門がなぜこんな「闇堕ち」してしまったのか。

「ヤバいスローガン」による弊害?実はビッグモーターも… 

 いろいろなご意見があるだろうが、報道対策アドバイザーとして、世間的に「ブラック企業」のそしりを受けた会社の危機管理も手伝った経験から言わせていただくと、「ヤバいスローガン」の弊害もあると思っている。

 社訓、社是、ミッション、パーパスなど呼び方はさまざまだが、企業というのは自分たちの会社が目指すべきこと、社員が心がけることをスローガンとして掲げて、研修や教育で現場に叩き込んでいく。例えば、トヨタの場合、創業以来受け継がれてきた「豊田綱領」がこれにあたる。他にも、トヨタウェイだミッションだと色んな言葉が掲げられているが、「豊田綱領の精神」が最上位にあるという。

「たかがスローガンが企業カルチャーに影響なんてしねーよ。オレなんか自社のスローガンが何かなんてまったく知らないし」と嘲笑する人も多いだろう。しかし、我々はつい最近も「ヤバいスローガン」が「ヤバい会社」を生み出したことを目の当たりにしている。

 勘のいい方はお分かりだろう、ビッグモーターだ。

 ビッグモーターもダイハツ同様に不正発覚後、ブラック企業ぶりが叩かれた。ノルマ達成できないとLINEグループ内や会議でボロカスに人格否定されて降格や左遷。目標未達だと罰金を自腹で払わされるなどの社風が次々と明らかになっていく中で、注目されたのは、「ヤバい経営計画者」だ

 ビッグモーターの整備工場前では毎朝、従業員が一堂に会して、創業者である兼重宏行氏のかなりクセのある経営思想が反映された「経営計画書」を読み上げていた。

 例えば、「会社と社長の思想は受け入れないが仕事の能力はある」社員について、「今、すぐ辞めてください」とピシャリ。さらには「店長には営業マンの生殺与奪権を与える」などの内容も唱えられていた。

 これらのスローガンを毎日叩き込まれた社員が「上の命令にはガタガタ言わずに黙って従う」としつけられることは言うまでもない。つまり、上から課せられたノルマが達成できない場合も、「できません」など言うことはあり得ないということだ。となると、残る道はインチキしかない。

 この「ヤバいスローガン」はダイハツにも当てはまる。

「1mm、1g、1円、1秒へのこだわり」にはらむ危ない優先度

 報道されているように、ダイハツは「数値目標」に対して非常にシビアだ。スローガンとして「1mm、1g、1円、1秒にこだわってお客様に寄り添ったクルマづくり」を掲げて、現場にも叩き込んでいたという。

「ものづくり企業として素晴らしい目標じゃないか、どこが問題なのだ」と首を傾げる方もいるかもしれないが、大いに問題がある。ダイハツが寄り添うという「お客様」からすれば、車は「安心安全」がまず何よりも重要で、次に「コスパ」だ。とにかく1円でも安いことが重要で、そのためには多少の危険はガマンする、なんてユーザーは珍しい。

 つまり、「1mm、1g、1円、1秒へのこわだり」なんて、ダイハツ側が思っているほど、ユーザーはありがたがっていないのだ。

 もちろん、自動車評論家やら自動車を趣味としている人は「コスパ」や「走り」からダイハツ車を選んでいるのだろうから、「1mm、1g、1円、1秒へのこわだり」は重要だ。しかし、一般的な軽自動車ユーザーにとって、ダイハツ車は仕事や生活の足であり、大切な人を載せるモビリティに過ぎない。つまり、「1mm、1g、1円、1秒」はユーザー目線ではなく、作り手目線のこだわりなのだ。

 そういうプロダクトアウト的なスローガンを掲げ、それを現場に叩き込んでいる時点で、ダイハツがユーザーメリットより、企業内の論理を優先する「ヤバい会社」だということが伺えるのだ。

「世界一」を目標にしていたが…「高すぎる目標」が日本企業のブラック化につながる

 そんな「内向きなカルチャー」を象徴することがもうひとつある。ダイハツが掲げる「世界一」というスローガンだ。5つのフィロソフィー(グループ理念)の最後にこうある。

「世界一のスモールカーづくりが私たちの挑戦(チャレンジ)です」

 実はこれは不正がまん延する企業によく見られるスローガンだ。

 筆者は2017年10月に、『神戸製鋼も…名門企業が起こす不正の元凶は「世界一病」だ』という記事を書いた。その際、神戸製鋼、三菱自動車、東芝など「世界一の技術」をスローガンにしていたものづくり企業で相次いで不正が発覚していく事例を紹介して、原因を次のように分析をさせていただいた。ちょっと長いが、今回のダイハツにも当てはまる本質的な問題なので引用しよう。

=================
「世界一」とは本来、技術力や生産性を高めていくうちに、他者からの評価という形で得られる「結果」に過ぎない。

 しかし、東芝の場合はこのように何十年も「世界一」を追い求めてきたことで、いつのまにやら「世界一」になることが何よりも優先すべき「目的」となってしまった恐れがあるのだ。このように「結果」と「目的」をはきちがえた時、企業は「不正」に走る。

(中略)

 鉄鋼、自動車、電機というかつて日本の基幹産業と呼ばれた業種を代表する企業たちが、まるで内部からガラガラと崩壊するように、不正が噴出している。

 これには競争力に問題があるとか、生産性が下がったからだとか、いろいろなご意見があるだろうが、筆者はこれまで見てきたように、これらの業界がかつて「世界一」というスローガンを掲げて、それをがむしゃらに追い求めてきたことの「重い後遺症」だと思っている。
===================

 戦前の報道を見てもわかるが、日本人は昔から「日本一」「東洋一」「世界一」がやたらと好きだ。「とにかく夢は大きく、目標は高い方がいい」という思想があるからかもしれないが、そんな日本人の「高すぎる目標」が不正や組織のブラック化のトリガーになっている醜悪な現実がある。

現場に追い討ちをかける「高すぎる目標」人口減少時代は「無理ゲー」

 人口が右肩上がりで増えて、市場も拡大していく時は「高すぎる目標」はプラスに働く。消費者も労働者もたくさんいるので、高めの目標を見上げながら技術や品質を極めることができた。巨大な国内市場でテストマーケティングして、海外市場で戦うことも可能だ。だから、人口増時代のメイド・イン・ジャパンの日本車、白物家電、半導体が世界を席巻したのだ。

 しかし、人口減少して労働者も消費者も減るとこの好循環がすべて「逆回転」していく。

 まず、市場がシュリンクしていくので、人口増時代の売上規模がキープできない。そこでどうにか「数」で勝負をしようと、薄利多売に傾倒して、ものづくり企業は「安くて高品質」のプレッシャーが強くなる。高度経済成長期の日本でそれができたのは賃金が低いからだが、そういう現実から目を背けてどうにか技術力とコストカットで「安くて高品質」を実現しようとするので、当然、現場は疲弊していく。

 そんなボロボロの現場に追い討ちをかけるのが、「高すぎる目標」だ。人口増時代は頑張れば達成できるかもと希望が持てたが、人口減少時代は「無理ゲー」を強いて、メンタルを破壊することにしかならない。しかし、管理職は自分が若い時の成功体験があるので、現場から「こんなスケジュールではできません」「もうコストカットは限界です」と泣きつかれても、「で?」「それを可能性にするためには何をすればいいのか考えるのがお前の仕事だ」など突き放す。

 そうなると、追いつめられた現場はどうするか。「やってられない」と辞表を出すか、開き直って左遷・更迭されるか、あるいはインチキをするか、だ。

 これがこの30年間ほど「世界一」を掲げてきたものづくり企業の現場でパワハラや不正が次々と明らかになっている根本的な原因だ。無茶なスローガンに耐えきれなくなってきた現場が、これまでのインチキを隠し通せなくなってきたのである。

日本の悲しい過去も…ヤバい会社にはヤバいスローガンがある

 こんな話をすると決まって「こじつけだ!企業の不正はそれぞれが企業の経営者が悪いのであって、スローガンごときで人間は影響を受けない」という反論があるが、実は我々は「スローガン」というものの恐ろしさを身をもって体験した民族だ。

 わかりやすいのが、旧日本軍の「戦陣訓」だ。これは1941年(昭和16年)に、陸軍大臣・東條英機が全陸軍に発した戦場での心得のようなものだ。その中でも有名なのが以下のスローガンである。

============
恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう)家門の面目を思ひ、愈々(いよいよ)奮励(ふんれい)してその期待に答ふべし、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ
— 『戦陣訓』「本訓 其の二」、「第八 名を惜しむ」
============

 読んでわかるように、「一族の恥にならないように勇ましく戦いなさいよ」くらいの意味だ。現場ではこれを復唱させて、兵士たちの闘争心を高めるという好循環ができた。

 しかし、戦局が悪化して敗退に次ぐ敗退となっていくと、「逆回転」していった。圧倒的な戦力差と物資不足で不利になっていくと、「生きて虜囚の辱を受けず」だけが切り取られ、自軍の情報が敵に漏れないよう「投降禁止」のスローガンになった。当時、世界の戦争では「勝ち目がなくなったら白旗をあげて投降、捕虜は人道的に扱わなくてはならぬ」という国際ルールがあったが、日本軍はそれをガン無視するだけではなく、投降してきた米英の捕虜も殺害するという「不正」に走っていく。

 それだけではない。敗戦のプレッシャーが強まれば強まるほど、このスローガンは日本全体を「ブラック企業」のようにしてしまう。

《戦陣訓の中の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱め(はずかしめ)を受けず」の一節は、将兵に対し捕虜になることを固く戒めたもので、太平洋戦争で戦いが絶望的な状況になっても将兵が投降せずに玉砕や自決する事態が頻発、動けなくなった傷病兵の殺害などが起こることにもつながったと言われる。また、サイパンや沖縄戦で、住民の集団自決がおこったのもこの戦陣訓が背景になったと言われている》(NHK アーカイブズ)

 たかがスローガンと笑うなかれ、我々はそのスローガンによって、自分自身の首を絞めて、最終的には自らの命を放りだすまで追いつめられてしまった、という悲しい過去があるのだ。

 だからこそ、組織人は自分が属する組織の「スローガン」に敏感になるべきだ。「世界一のホニャララ」とか、ひとりよがり的なことが唱えられていないか。現実とかけ離れた精神主義や、過度な組織への忠誠や滅私奉公を求めていないか。

「うちの会社ってもしかしてブラック企業?」と悩むそこのあなた、経営理念やフィロソフィーを確認してみてはどうだろう。

 ヤバい会社にはヤバいスローガンがある。不正をやらされたり、「殺されたり」する前に、一刻も早く逃げていただきたい。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

タイトルとURLをコピーしました