地元のお寺消滅で”食っていけないお坊さん”大量発生…日本一の寺院過密率の”滋賀モデル”が注目されるワケ

■地元のお寺消滅で“食っていけないお坊さん”大量発生

日本の仏教が過渡期にある。各地では寺院の無住化(空き寺、兼務寺院)が進み、仏教教団は既存の体制を保つことすら難しくなっている。「檀家制度」は急速に崩れ、「個の宗教」へと移行しつつある。江戸時代に確立し、地域共同体として機能した仏教界は、かれこれ400年の歳月を経て、そのすがたを大きく変えようとしている。2060年頃を見据えた仏教界の変容について、前編・後編に分けて予測する。

「寺院消滅」が止まらない。調査データは存在しないが、現在、全国に約7万7000ある寺院のうち、住職のいない無住寺院は約1万7000カ寺に上ると推定できる。まずは、「寺院消滅」の現実から論じていく。

例えば日本最大の宗派、曹洞宗は約1万4600カ寺を抱える大教団だ。だが、既に全体の約25%にあたる約3600カ寺が空き寺になっていると推測される。筆者の所属宗派である浄土宗は全国に約7000カ寺を抱えるが、全体の21%程度(約1470カ寺)が空き寺である。

空き寺の数は今後、加速度的に増えていくであろう。なぜなら、寺院の後継者不足が深刻だからだ。曹洞宗に続いて国内で2番目の規模、約1万500カ寺を擁する浄土真宗本願寺派は2021年の宗勢調査で、「後継者が決まっている」と回答した割合が44%にとどまっている。浄土宗で後継者がいる割合は52%、日蓮宗では55%である。その他の宗派も同水準であると考えてよいだろう。

つまり、このまま後継者が見つからなければ、その寺は無住になることを意味する。仮に現在、正住寺院(住職がいる寺院、推定約6万カ寺)の3割が「空き寺予備軍」とするならば、現在の住職の代替りが完了する2060年ごろには住職のいる寺院は、約4万2000カ寺ほどに激減してしまうことになる。

わが国の人口動態と寺院密度を対比させることによっても、この数字はかなり現実的なものとしてみえてくる。「人口10万人あたりの寺院密度」を計算してみた。

2060年には、日本の人口は8600万人ほどにまで減少するとの推計がある。現在の人口10万人(総人口約1億2431万人)に対する正住寺院数(約6万カ寺)は、48カ寺である。これが、現在のわが国における寺院の「適正数」と考えてよいだろう。

その上で、先述のように「2060年に4万2000カ寺」と設定した場合、人口10万人あたりの寺院数は49カ寺となる。現在と36年後とを比べてみても、社会の大変革が起きない限り、寺院密度は同水準で推移すると考えるのが自然だ。つまり、「2060年に4万2000カ寺」は現実的な数字としてみえてくる。

仮に、ここまで寺院数が減ってしまえば、仏教系の宗派(教団、包括法人)の再編は不可避となるだろう。現在、仏教系宗派は、曹洞宗や浄土真宗本願寺派など1万カ寺以上を擁する巨大教団から、数カ寺〜数十カ寺程度の小規模教団や仏教系新宗教まですべて含めると167もある。

特に多くの分派に分かれているのは、真言系(44宗派)や日蓮系(39宗派)である。細かく分かれた宗派の中で無住寺院が増えていった場合、「近隣に兼務できる寺がない」ということになりかねない。つまり、空き寺の管理が行き届かなくなる。ひとたび寺が無住化するとたちまち荒廃し、再生が厳しくなる。

■平日はサラリーマン、休日は寺院の「二刀流」

大手教団であっても、宗派の再編は避けられない。例えば、「山岳仏教」で知られる真言系や天台系は、山間部に立地する寺院が多い。また、浄土真宗系寺院は北陸や中国地方などに分布し、曹洞宗の一大拠点は東北である。

そうした人口減少傾向が強い地域に多くの寺を抱える宗派は、分派同士を吸収・合併していかざるを得なくなるだろう。

こうした厳しい現実に、仏教界は対処できずにいる。寺院消滅の流れに抗うことは難しい。だが、一縷の望みを託すならば、寺院同士が提携し、寺院の富を再配分することで助けられる地方寺院があるかもしれない。たとえば、都市型の裕福な寺院が、地方の寺院と提携することである。都会と地方の寺のメリットとデメリットをそれぞれ補完し合う仕組みづくりを急ぐべきだ。

たとえば、青森から東京へと移り住んだ檀家の場合。青森の菩提寺に墓を残しながら、東京の提携寺院に分骨する(その逆もあり)のだ。つまり、故郷の寺に先祖の遺骨を残したまま、故郷と縁を切らない仕組みをつくるのである。

そのことで、墓じまいするためのコストが抑えることができ、また、自分たちの暮らす東京で法事を営むことができる。そのうえで提携寺院に入る葬儀や法事の布施の一定額を、青森の菩提寺に配分する。菩提寺、提携寺院、檀家の三方にとってメリットがある。大事なのは、地方の寺院から離檀させない仕組みをつくることだ。

この仕組みは、既に実証済みだ。東京都・四谷にある曹洞宗の東長寺が宮城や佐賀などの寺との「共同信徒」という形で取り入れて、効果をあげている。

他方、将来的には「兼業住職」の割合が増えていくだろう。檀家数の減少に比例して、寺院収入は減少する。布施の金額は地域の相場感によって違いがあるが、寺が専業で食べていける檀家数は少なくとも檀家200軒以上である。それ以下は住職が副業を持たないと、生活や後継者選びが厳しくなる。

足りなくなった寺院収入を補うためには、住職が兼業を余儀なくされる。つまり、平日は企業などで働き、休日は自坊で法務を行う「二刀流」だ。

■日本一の寺院過密率の“滋賀モデル”が注目されるワケ

現状はどうか。浄土宗(2017年調査)では全体の57%が「専業住職」だ。「以前に兼業していた」は22%、「現在も兼業している」は20%となっている。専業率が低い(兼業率が高い)教区では、出雲が33%、滋賀が35%、伊賀が35%、尾張が40%などとなっている。

この中で滋賀県は人口10万人あたりの寺院密度が、日本一の寺院過密地域として知られる。滋賀県内の寺では檀家数が20軒や30軒といった零細寺院が少なくない。それだけを見れば「食べていけない」寺院が多いように思える。だが、必ずしもそうではない。データが示すように多くの住職が「兼業」しているため、主たる収入がサラリーマン給与だからだ。

滋賀県は、京都や大阪といった大都市が通勤圏内である。寺に住みながら、正社員として働きに出ることが可能である。滋賀県の寺院立地は、むしろ恵まれているといえる。

人手不足の時代にあって、地方都市でも住職をしながら、リモートなどを活用した仕事に就くことで、寺院を維持していくことが可能になる。兼業で寺院を護持していける「滋賀モデル」のような寺が、今後はますます増えていくことだろう。

なかには「僧侶の兼業など、とんでもない」と、僧侶の世俗化を批判する人もいるかもしれない。だが、私はむしろ、現代僧侶は就職すべきだと考えている。僧侶のなかには、庶民感覚に乏しい者も多い。特に若い僧侶にはどんどん社会に出て、最低限のマナーやスキルを身に付けてほしい。それが結果的には、寺を活性化するアイデアを生むことにつながるのだから。

後編は檀家制度や戒名などの、仏教的な慣習の崩壊について論じていく。(以下、後編へ続く)

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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