年末近くの経済ニュースで最も驚かされたのは、ChatGPTの開発で一躍世界の注目を集めたオープンAI社のサム・アルトマンCEOが突如同社の取締役会から解任され、提携先であるマイクロソフトに転籍するとの報道でした。しかしこの騒動は同社内で大きな反響を呼び「アルトマン氏が解任されるなら同社を辞める」という社員が続出。わずか5日で氏がオープンAIのCEOに復帰し、事なきを得ています。
真相は闇の中でありますが、同社に対する世界的な評価にも影響を及ぼす結果になったこの騒動。まさに「大事件」でしたが、一方で日本のビジネス界にとってはほぼほぼ対岸の火事といったところだったのではないでしょうか。もし国内で肝を冷やした人間がいたとすれば、それは楽天グループ(以下、楽天)の三木谷浩史氏(代表取締役会長兼社長最高執行役員)かもしれません。昨年8月に2023年度の半期決算を発表した際、オープンAI社と「最新AI技術によるサービス開発における協業で基本合意した」というニュースを嬉々として話をしていた姿が印象的でした。
当時の会見で三木谷氏は「楽天グループが持つ『多業務にわたるデータの豊富さ』『クライアントのネットワーク』『モバイルが持つエッジコンピューティングパワー』の3点が、提携成立の決め手になった」と話し、胸を張りました。苦境とみられる楽天モバイル巻き返しの秘密兵器として、生成AI活用による他社にないサービス提供での契約者数激増を示唆するかの如く、自身に満ちあふれた表情を見せていたのです。
ただアルトマン氏との提携合意と前後して、氏が高く評価したという「エッジコンピューティングパワー」すなわち、完全仮想化ネットワーク「楽天シンフォニー」をゼロから形にしてけん引してきた楽天モバイル共同CEOのタレック・アミン氏が突然退任してしまうという誤算がありました。
後任のシャラッド・スリオアストーア氏について、三木谷氏は「0から1をつくるタレック氏とは異なるタイプ」と明言しており、シャラッド氏の下で果たしてアルトマン氏の期待に応えるような提携が進められるのか。その行方に暗雲が垂れ込め始めていたわけなのです。
新たに楽天モバイルのCTOに就任したシャラッド・スリオアストーア氏(出所:楽天モバイル公式Webサイト)
そこに加えてのアルトマン氏解任騒動ですから、三木谷氏はさぞや肝を冷したのではないかと思うわけです。騒動は収まったとはいえ、オープンAI社との提携ビジネスが思惑通りに進むのかについて、新たにかなりの不安材料が見えた印象です。
そもそもオープンAI社は、非営利組織と営利企業体の二重構造で構成されている、ちょっと変わった組織体です。非営利組織は、AIが営利に走って悪用されないための監視役を務めており、今回の解任劇は、営利企業体のトップであるアルトマン氏の営利事業展開が性急すぎるとの判断が根底にあったのではないか、と見られています。
この非営利組織は、オープンAI社が持つ技術の過度な軍事目的や政治目的利用に歯止めをかけることを目的としています。すなわち今回の一件から、同非営利組織がAI技術の海外流出にことさら神経を尖らせているであろうことが想像に難くありません。
楽天モバイルが他国の通信キャリアであることに加えて、楽天が中国政府とも関係の深いIT企業・テンセントから出資を受けていることなどからも、楽天との提携によるAI技術の提供には警戒感を強めて早々に歯止めをかけることも考えられるのです。依然としてモバイル事業の低迷に悩む楽天にとっては「弱り目に祟り目」的な出来事であったといえそうです。
みずほからの評価も下がってしまった楽天証券
さてその楽天ですが、ここにきてまたぞろ苦しい材料が聞こえてきています。一つは、当初株式上場による資金調達を予定していた楽天証券について。上場を断念せざるを得ない状況になり、代替策としてみずほフィナンシャルグループ(FG)に全発行株式の約30%を売却し、約870億円を調達すると発表しました。
この金額は、22年にみずほFGが約20%の株式を約800億円で取得していることを考えると、当時みずほが判断したと推定できる4000億円の企業価値から約25%も低く評価したことになり、それでも資金調達を優先せざるを得ない楽天の苦しい台所事情が垣間見えるのです。
楽天証券の上場を断念したのは、最大のライバルであるSBI証券が23年8月、日本株の売買手数料を無料にすると決めたことでした。ネット証券業界でしのぎを削っている楽天としては、ライバルの動きに追随せざるを得ず、やむなく同手数料の無料化を後追いしました。これが手数料収入の大幅減額につながることから、長期収益計画の見直しを余儀なくされ、資金確保を急ぐ苦しい事情もあって上場を断念したという流れです。結果的に、みずほFGの持株比率は5割弱まで上昇することとなり、今後楽天経済圏の核をなす存在である証券業務について、自社のフリーハンドではコトが進めにくくなりそうです。
楽天グループは、23年4月に東証プライム市場へ上場した楽天銀行についても、同じく社債償還資金調達を目的として株式を海外市場で追加売却し、約600億円を確保しました。これによって楽天銀行に対する持株比率は、上場時の63%から49%に下がることになります。ここでもまた、楽天は経済圏の中核ビジネスの主導権を少しずつ手放さざるを得ない状況になってしまいました。モバイル事業で毎期生まれている大きな赤字が、徐々に楽天のビジネス構想そのものに影響を与え始めてきているといえるでしょう。
「プラチナバンド」整備は長期計画を余儀なくされた
肝心のモバイル事業はどうなのかといえば、直近の23年1~9月決算で2084億円の最終赤字を計上。KDDI(携帯キャリアはau)回線の借用契約におけるローミング(相互乗り入れ)拡大の効果もあって、前年同期の2625億円と比べれば赤字幅は減ったものの、それでもまだまだ巨額レベルの赤字を続けています。一方で、建物内でのつながりやすさが劇的に改善する念願の「プラチナバンド」もようやく23年10月に認可となり、24年度から通信の質改善にも取り組んで巻き返しを図っていくと、依然として三木谷社長の鼻息は荒いのです。
プラチナバンドを手に入れても、それを有効に機能させるためには、専用基地局が必要になります。楽天は総費用を544億円と試算していますが、投資計画は約10年の長期かつ、その後半に投資を集中させる計画です。544億円ならば、先の楽天証券株売却で得た870億円、あるいは楽天銀行株売却で得た600億円から捻出し、早期に整備を進められるのでは――と思うわけですが、そう簡単にはいかないでしょう。
楽天グループにとって最大の問題ともいえる、続々到来する社債償還があるからです。23年度が約800億円、24年度は約3200億円、25年度にはさらに約4700億円もの巨額償還が待ち受けており、今年度の資金メドは立ったものの、来年度以降の対応はまだまだ先が見えていません。三木谷社長はこの巨額償還対応に関して「銀行にコミットしてもらっているので問題ない」と強気の発言をしていますが、念願のプラチナバンドへの投資を後回しにせざるを得ないほど、苦しい状況にあることは間違いありません。
ネットスーパーも赤字 光は見えるのか
今後の資金繰りに向け、次は楽天カード株の売却に動くのではないかと決算会見でも質問がぶつけられていました。しかし、親子上場は少数株主の利益を損なう懸念があるとの指摘も多いことから市場の見方は批判的で、むしろ一般的には解消の方向に向かっています。さらに、集客の軸となるポイントサービスとも関連性の高いカード会社まで経営の舵取りの自由を失うことは、楽天経済圏構想の崩壊にも繋がりかねません。ここは慎重にならざるを得ないのではないでしょうか。
直近のニュースでは、モバイル事業の黒字化遅れによる繰り延べ税金資産700億円の取り崩しと、ネットスーパー事業関連で約160億円の損失計上が発表。2月に予定されている23年度通期決算の発表に向けて暗い材料ばかりが続出しています。とにもかくにもモバイル事業の黒字化こそが、今の資金繰り地獄から抜け出す唯一の道であるわけです。
となるとなおさら、契約者の激増に向けた秘密兵器製造に期待を託している業務提携先であるオープンAI社のいざこざは、あまりに痛過ぎる印象です。この一件を耳にして三木谷社長が流したのは冷や汗ではなく、もはや脂汗だったかもしれません。とにかくモバイル事業に関しては八方塞がりな感が否めない三木谷楽天ですが、2月の決算発表で社長がどのような展望を語るのか、注目して待ちたいと思います。
著者プロフィール・大関暁夫(おおぜきあけお)
株式会社スタジオ02 代表取締役
横浜銀行に入り現場および現場指導の他、新聞記者経験もある異色の銀行マンとして活躍。全銀協出向時はいわゆるMOF担として、現メガバンクトップなどと行動を共にして政官界との調整役を務めた。銀行では企画、営業企画部門を歴任し、06年支店長職をひと区切りとして円満退社した。その後は上場ベンチャー企業役員などとして活躍。現在は金融機関、上場企業、ベンチャー企業のアドバイザリーをする傍ら、出身の有名超進学校人脈や銀行時代の官民有力人脈を駆使した情報通企業アナリストとして、メディア執筆者やコメンテーターを務めている。