明治期に北海道へ団結移住した子孫が宮城・大崎に「里帰り」入植の労苦しのぶ

明治時代後期、宮城県大崎地域から北海道剣淵町に集団で入植した「団結移住者」の歴史を調べる子孫の佐々木一哉(かずとし)さん(51)=北海道浦臼町=が今月上旬、初めて先祖の故郷大崎市古川を訪れた。移住仲間の子孫で以前から親交がある斎藤肇さん(49)=大崎市=と共に、両家と縁が深い定香(じょうこう)寺を訪ねて先祖の労苦をしのんだ。

 佐々木さんや地元の郷土史家によると、寺の住職榊原嘉兵衛が1901年、道北の上川地方に移り住み、翌年以降に檀家だった佐々木さんや斎藤さんの先祖が追随した。

 移住者らは荒野を開墾してジャガイモなどを植え、でんぷん工場を運営。農業が盛んな剣淵町の礎を築いた。

 定香寺の墓地には江戸、明治期に建てられた榊原家などの墓が数十基あるが、一部は東日本大震災の揺れで横倒しになったり折れたりした。

 佐々木さんらは今月3日、道内に住む榊原の子孫の了解を得て、倒れたままだった同家の墓石約20基を立て直し、手を合わせた。

 佐々木さんは剣淵町で生まれ育ち、札幌市内で銃砲店を経営する傍ら、先祖の戸籍などを通じて移住の歴史を調べている。「新型コロナウイルス禍が落ち着き、念願の里帰りが実現した」と笑顔で語った。

 斎藤さんの先祖は大正期、剣淵町から戻り、現在まで大崎市田尻で農業を受け継ぐ。斎藤さんは「佐々木さんらの調査で移住の経緯が分かってきた。大崎と剣淵の交流をもっと強めたい」と前を向く。

 明治時代中期以降、地域住民がまとまって北海道へ入植する団結移住が奨励され、県内からは年に10~300人が移住したとされる。剣淵町では近年、県出身者の子孫が町長や町議として活躍している。

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