有名人の「年の差婚」に対してネガティブな反応があるのはなぜか。文筆家の御田寺圭さんは「年の差婚を強く批判するのは女性に多いが、近ごろでは男性も表立って年の差婚を肯定できなくなってきた。背景には“ある雰囲気”の醸成がある」という――。
■「年の差婚」への「気持ち悪い」という感想
ここ最近の芸能界では「年の差婚」でしばしば盛り上がっていた。
ご存じの方も多いだろうが、昨年11月にはお笑いタレントのハライチ・岩井勇気氏とタレントの奥森皐月氏の結婚があり、今年1月に入ってからは「KinKi Kids」の堂本剛氏と、「ももいろクローバーZ」の百田夏菜子氏の結婚報告があった。SNS上でもなにかと「年の差婚」についての話題が絶えない年末年始となっていた。皆さんおめでとうございます。
しかしながら、私が観測するかぎり、「年の差婚」はひと昔前ほど好意的なムードでは見られておらず、とくに女性たちからのネガティブな反応が多く目立っていた。不快感や違和感を表明する声、あるいは言葉を選ばずにいえば「気持ち悪い(キモい)」といった刺々しい感想を吐露する人も少なくなかった。
とくにハライチ岩井氏の結婚に対しては、小児性犯罪者が子どもの警戒心を解くために行う“手なづけ”を意味する「グルーミング」という苛烈な表現でもって非難するなど、個人の感想の限度を超えた誹謗(ひぼう)中傷を行うような人さえ現れていた。インターネットの世論を見るかぎり、こうした過激な言動はとりわけ中年層の女性に多かったようだ。
■「若い女に嫉妬しているから」の説明では不十分だ
そもそもいくら著名人とはいえ、他人の結婚に対してここまで講釈すること自体が異様に見える。「年の差婚」だろうが、結婚した当人たちとは縁のないテレビ画面やSNS越しで眺めるだけの人たちには直接的にはなんら関係のないことだからだ。これが強制的な児童婚や人身売買ならまだしも、適切な法的手続きのもと両者合意のもとで行われた婚姻である以上、外野がとやかく「倫理的な糾弾」をするような筋合いはないはずだ。
なぜ現代社会では、著名人の「年の差婚(=男性が年上で女性が年下のカップルに限る)」に対して、不道徳だとか不見識だとか非常識だとか、果ては性犯罪だとか物申したくなるような人が――とくに女性に多く――現れてしまうのか。
SNS上ではそれを「若い女に嫉妬しているから」と説明する向きがあるが、私はそれでは不十分であるように思えてならなかった。
■「女性の価値は若さ」という価値観を広めたくない
本来ならば自分とは関係もないし今後もかかわることは一生ないはずの、遠い場所で暮らしている人の「年の差婚」を、まるで我が身にふりかかった災難かのように怒り心頭に発し、非難せずにはいられなくなってしまうのはなぜか。
それは単なる嫉妬ではない。
そうではなくて、「女性の価値は若さにこそある」という価値観が暗黙裡に社会に拡大してしまうことを直感的に危惧するからこそだ。
かりに結婚する当事者がなにも言っていないにしても、そのような「年の差婚」自体が、世の中に「男性は若い女性と結婚するのがよい」という言外のメッセージ性を持ってしまうことを想像し、これを糺さずにはいられない。
写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/yamasan
■本音では「結婚するなら若い女性がいい」
はっきり言ってしまうが、世の男性たちは口先ではなんと言おうが、本音では「結婚するなら若い女性がいい」と考えている。
それは統計的データでも明らかとなっている。女性は自分の年齢に比例して結婚相手に希望する年齢が変化していくのに対し、男性はどの年代でも結婚相手の女性の希望年齢は20代後半~30代前半にピークがあり「若さ」を重視していることがわかる(サンセリテ青山婚活コラム「やっぱり若い方がいい?中高年男性が20代の女性と結婚する方法」2022年12月23日)。
なぜ若い女性が好まれるのか。世の男性たちは子どもをつくりたい(≒若い女性の方が妊孕性が高い)からだ。若い女性を求める男性の生物としての自然な選好を「邪悪な考え・行為である」と喧伝してその認識を改めさせることは、晩婚化が著しい現代の独身中年女性にとって――妊孕性の低下にともない男性から見た性的価値が減少する自分たちのもとにも「優良な男」が安定的に供給されるかどうかにかかわる――きわめて重要な争点になってしまった。
ロリコンだのグルーミングだのと、名誉毀損(きそん)や侮辱で訴えられたら負けてしまいそうな過激な言動を取るのも、これは単なる嫉妬心ではなく、文字どおり自分の遺伝子の「存続」をかけた必死の防衛行動にほかならないからだ。
■男性も表立って「年の差婚」を肯定しなくなってきた
「年の差婚」は性加害的であり女性を性的価値でしか見ておらずモノ扱いしている、女性蔑視的な営みである――といった雰囲気の醸成は、それなりに成功していると思える。
というのも、近ごろは男性も表立っては「年の差婚」に対する肯定的な言動を慎んでおり、なおかつ女性に同調する形で「ずっと年下の女性と結婚する者は人間的に問題がある」といった態度を表面的には取るようになっているからだ。
社会経済的な地位が高く、「外聞」を気にしなければならないいわゆる「トップエリート」層の男性の間では、いわゆる「男性ウケ」するようなタイプの女性ではなく、スレンダーな体形の女性を好んでいる人が増えているという調査も存在している(THE WALL STREET JOURNAL「高学歴・高収入の男性はスレンダー女性が好み=米大学調査」2015年10月2日)。
■公表しないだけで「ちゃっかり若い女性と結婚」
年下で(グラビアアイドル的な方向で)スタイルがよくて可愛らしい、そんなタイプの女性をパートナーに選好すること自体が「女性を若さや性的トロフィーとしてしか見ていない人」という周囲からのラベリング(白眼視)を想起し、レピュテーション・リスクにかかわる行為として、とくに「外面」を気にしなければならない立場の男性には控えられるようになっている。若い女性に「若さ」という訴求性で大きく差をつけられ、ぜひとも結婚したくなるようなエリート男性をかっさらわれてきたような中年女性にとっては、こうした「ただしさ」の風潮が全社会的に今後も拡大していくことは非常に好都合だろう。
写真=iStock.com/kaisersosa67
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もちろん男性はあくまで「社会性」に鑑みて「年下婚などけしからん」と言うようになっているのであって、本音では若い女性を希望しているのは上述したとおりだ。女性から糾弾されたくないから発しているだけのポーズにすぎない。平時には「女性の価値は若さではない」とか「女性は年を重ねれば重ねるほど魅力が増す」などと調子のよいことを言っていた人も、いざ結婚する段になればちゃっかり若い女性と結婚し、それを公には発表しないだけの「意趣返し」をしていることだってよくある話だ。
これからも「本音」と「道徳」の間で高度な駆け引きが繰り広げられる。
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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)