自社ビル売却して路面から移転 地元経営者は生き残りを模索

全国チェーンなどの進出が続く仙台市中心部のアーケード街では、賃貸物件に移転して不動産を売却したり、1階をテナント貸しして地下に移ったりして、店を守り続ける経営者がいる。商店街は、全体の売り上げが伸びれば伸びるほど地価と賃料が上がって資本力のあるチェーン店が増え、地元らしさが薄れるというジレンマを抱える。

薄れる個性にジレンマも

 かばん販売のナカガワは2002年、青葉区一番町3丁目の自社ビルに構えていた本店を、北に200メートルほど離れた一番町4丁目に借りた店舗に移した。1年半後には、自社ビルを約330平方メートルの所有地ごと売却した。

 自社資産にかかる固定資産税などが上昇し、相続税も発生。バブル期に東北各地に15店舗を構えて売り上げを伸ばしたが、コストを支えきれなくなった。

 中川英毅社長(81)は「ビルは商売を続けるために売却せざるを得なかった。時代の変化に対応する店しか生き残れない」と振り返る。現在は本店のほか、市内の商業施設で2店舗を展開する。

 ナカガワの自社ビルがあった一番町一番街(ぶらんどーむ一番町)商店街は1993年、約18メートルと国内有数の高さを誇るドーム型アーケードを設置した。高層のテナント需要を見越し、高いビルを建てやすくする狙いだったが、地元店の路面店撤退や賃貸業への転換につながった側面もある。

 入れ替わりで進出したのが高級ブランドの直営店。中川社長は「商店街の地元店が商品を売ってブランドを育てたが、今はどんどん直営店が進出してくる」と自嘲気味に語る。

 中央2丁目のクリスロード商店街で人形・和装飾品販売を手がける三好堂は1988年、自社ビル完成に合わせて店舗を地下に移した。路面スペースには大手ハンバーガーチェーンの店舗が入る。

 三好一夫社長(64)は「当時は店の売り上げが減り、将来を考えての決断だった。路面店のテナント貸しがほとんどなかった頃で、『商売をやめたのか』と周囲から嫌みを言われた」と話す。

 同社は1909年創業で三好社長は4代目。店は今、全国展開するドラッグストアや喫茶店に囲まれ、地元店は数えるほどになった。「地元店とチェーン店のバランスの取れた競争と協調が必要だ」と商店街の没個性化に危機感を抱く。

地元店が減るのは消費行動変化も影響 東北学院大・柳井雅也教授

[やない・まさや]法政大大学院博士課程中退。2005年から東北学院大教授。ケルン大客員教授、総務省ふるさとづくり懇談会委員なども務める。65歳。仙台市出身。

 仙台市中心部のアーケード街で地元店の減少はどのような経過で進んだのか。東北学院大の柳井雅也教授(経済地理学)は、バブル期などの地価上昇や消費行動の変化による中心商店街の売り上げ減少といった複合要因を挙げる。

 -アーケード街で何が起きているのか。

 「中心商店街全体の売り上げは伸びているが、多くは中央資本の店。売り上げが伸びれば不動産の資産価値が上がる。地元店は収益性が高くなければ固定資産税などの税負担が重くなる。この状態が続いて地元店が減っていった」

 -消費動向も変化した。

 「主婦が商店街で小まめに買い物する時代から、共働きが一般的なライフスタイルに変わった。仙台では2000年前後から郊外の大型商業施設の開発が進み、土日に家族で郊外店に行ってまとめ買いする行動パターンが増え、中心部商店街の集客力が落ちた」

 -チェーン店が増えると、商店街にどんな影響があるか。

 「仙台七夕まつりや仙台初売りのような伝統行事に協力しない店舗が増えている。まちづくりを考える上でも、不採算になればいつでも撤退できる県外資本の店と地元店が同じベクトルで議論するのは容易ではない」

 「かつて東京などから進出した全国チェーン店は物珍しさもあり集客の起爆剤となった。今は郊外の大型商業施設にもチェーン店が展開し消費者は見慣れている。チェーン店は商品やサービスの型が決まっており、そればかりになると個性のないつまらない商店街になる恐れがある」

 -地元商店街にどのような対策が求められるか。

 「集客は、行く目的や行きたくなる物語があることがポイント。アーケード街の線だけでにぎわいづくりを考える時代ではなく、裏通りや他商店街と連携して面的に取り組む段階だ。仙台市役所の建て替えや定禅寺通の再整備など公的な開発による集客をうまく取り込むことも重要になる」

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