旅館、ホテルを避難所に
石川県で最大震度7を観測した能登半島地震。避難所の報道を目にし、2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災した立場として、あの経験が全く活かされていない状況に愕然とした。体育館にシートを引いただけのような場所では、朝晩の寒さ対策は不十分であろう。トイレが使用できないなど、衛生環境が劣悪な地域もあるという。東日本大震災では避難所での性加害も問題となったが、仕切りさえなく、被災者のプライバシーに全く配慮されない環境では何が起きてもおかしくない。
地震大国日本で生きる私たちは、いつどこで被災者になってもおかしくない。それにもかかわらず、同じことが繰り返されているのはなぜなのか。
仙台弁護士会は、1月5日に「能登半島地震に関する会長談話」を発表し、避難所について、東日本大震災の経験から「被災した県や自治体には、被災者の命を守るため、余震が落ち着き、安全に生活できる環境が整うまでの期間、早急に避難所の環境整備を行うとともに(令和6年1月1日付け内閣府事務連絡「避難所の確保及び生活環境の整備等について」参照)、広域避難やホテル、旅館等の宿泊施設を活用した被災者支援を実施することを求めます。」と提言している。
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2016年4月14日の熊本地震において、避難所運営に関わった経験を持つ熊本大学法学部の岡田行雄教授は、
「今、ドイツでは水害で凄まじい被害が出ています。また、イタリアで地震の被害が起きたこともあります。しかし、どちらにも、体育館に日本のようにプライバシーがない状態で避難させることはありません。仮にホールなどを避難所として利用する場合も、仕切りなどで個室を作り、そこで生活できるようにするのがヨーロッパの避難所なのです」と日本の避難所の在り方に苦言を呈する。
日本の場合、とりあえず安全な場所に「収容する」だけで、被災者が一定期間、生活するという視点が欠けている。
復興業務を担う人々に無理をさせない
なかなか焦点が当てられることはないが、お正月から復旧作業に駆り出されている人々の存在を忘れてはならない。復興には時間を要する。長期的な視点で復興を考えるにあたって、復旧に当たる人々の労働環境が守られなければならず、決して無理をさせてはならない。
大きく取り上げられることはなかったが、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震いずれの被災地でも、復興業務を担当する行政職員が過労やストレスにより休退職が増え、自殺者も出ていると報道されている。
経済状況が良くない中での「公務員バッシング」と相まって、反論しにくい立場にある行政職員に対し、過剰なクレームが集中しやすい。特に被災者の相談窓口を担当している職員から、不自由な生活を強いられている被災者から各種手続きが進まない苛立ちをぶつけられ、苦しい思いをしたという訴えが数多く報告されていた。ところが行政職員もまた、家族や家を失った「隠れた被災者」であることも多いのである。
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こうした背景には、職員の人員不足が大きく影響している。平時の業務であれば耐えうる問題も、多忙かつ、ひとりで対応しなければならない状況になればストレスが急増するのも無理はない。災害対応業務の担い手の心理的負担については、「心のケア」に丸投げすることなく、人員を増やし、余裕を持って業務を行うことができる体制が整備されるべきである。
突然発生する災害支援にあたって、法整備が追いつかず、行政で手が回らないところを支援する民間ボランティアの存在は不可欠であり、痒い所に手が届く支援が可能な場合も多い。しかし、国や自治体は、民間ボランティアに依存することなく、本来、行政が行うべき支援なのか否かについて、復旧が進んだ時点で検証されなければならないであろう。
「耐える被災者」を美化すべきでない
正月を過ぎると、3月11日に向け、「3.11を忘れない」というスローガンのもとに被災地取材が始まる。災害は日々、各地で発生しているにも関わらず、記念日を取り上げるだけのわざとらしい報道に毎年、うんざりしている。忘れない忘れないと繰り返されているわりに、東日本大震災の教訓は今回の震災に十分活かされているとは言い難い。
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震災を乗り越え夢を叶えた健気な被災者たちの美談が伝えられる一方、権利を主張する被災者はバッシングされる。
しかし、地震大国で暮らす我々にとって「被災者」とは決して他人事ではない。「耐える被災者」を美化してはならない。被災者に対する国の対応は十分なのだろうか、メディアは同情を煽ることより、本質的な問題に迫る姿勢を見せて欲しい。