松本人志の遊び方はダサくないか?
ダウンタウンの松本人志氏による性加害疑惑が、今年に入ってからずっと世間を騒がせ続けている。
松本人志氏は疑惑を報じた週刊文春を発行する文藝春秋社を提訴する構えであり、当面この騒ぎが止むことは無いだろう。
僕はこの件に対し「性加害があったかどうか」や「合意があったか否か」という事に関しては論じるつもりは無い。ただ論じたいのは「後輩に女性を連れてこさせてホテルのスイートルーム(ベッドのある場所)で飲み会という事が本当だとしたら、なんかダサすぎないか?」という点である。
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この一件のダサさを強く認識したのは、松本と共にM-1グランプリの審査員などを務めている立川志らく氏が、自身のXアカウントに松本氏を擁護するとも取れるポストを行ったことがきっかけである。
志らく氏は「きちんと司法の判断に従う」として罪があればそれは裁かれるべきとしながら、同時に「松本人志さんは芸人。芸人はどれだけ常人には経験出来ない事を経験できるかが勝負。非常識に生きてこそ芸人」として、芸人であるからこそ、一定程度の「やんちゃ」は許されるべきという見解を示している。
そもそも、今回の件は「常人には経験出来ない事」などという話だろうか?
後輩に女性を呼ばせて飲み会遊ぶなんてのは「イキった広告代理店入社3年目くらいのヤツが、大学OBとしてサークルの後輩に女呼ばせて飲み会」みたいな末端のギョーカイ人がやってることというイメージしか無い。そんな遊び方を誇れるのは、せいぜい恥を知らない20代の前半までだ。
なお、僕のギョーカイ人イメージは、ホイチョイ・プロダクションズの『気まぐれコンセプト』のイメージなので念のため。
冗談はともかく、いわばお笑い界のトップである松本人志という、最初の疑惑の当時で50代の男性がやっている遊びが「後輩に女を呼ばせて、ベッドのある部屋に連れ込んで飲み会」などというのは、金も権力も笑いのセンスも持っているはずの人間としては、酷く凡庸でいい年齢の大人としてしょーもない遊び方としか思えない。
志らく氏は松本氏を擁護するためにこうしたポストを行ったのだろうが、ひょっとすると自身もこのような遊びをしたいと思っているんだろうか? だとすれば落語家としてこのセンスのなさは致命的だ。
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だいたい、松本氏にしても志らく氏にしても、普段の仕事ではワイドショーのコメンテーターなどで、さも「一般人代表のご意見番でござい」とばかりに常識側にいるような仕事でお金を稼いでいるのだから、いざ問題が発生したときに「しょせんは芸人風情でござい」とばかりに一般常識なんて関係ないような二重基準を発動するのは、非常に情けない言い分と言えよう。
かつて岡千秋と都はるみがデュエットをして大ヒットした「浪速恋しぐれ」という曲では「芸のためなら女房も泣かす。それがどうした文句があるか」という芸人の自分勝手さを表す歌詞があったが、そんな恥ずべき昭和の価値観を、令和の今になって、お笑い界のトップであり権威でもある松本人志という存在から見せつけられてしまっているという事に、僕はとても困惑しているのである。
ネット上の擁護の不思議
また酷いのは、なぜか松本氏をネットで擁護している人たちである。
「文春の記事が正しいと決まったわけでは無い」という話なら理解もできるが「飲み会に出るという事はそういうこと(セックスを了承しているということ)なのだから、後から嫌だったなどというのは卑怯だ」みたいな言い分はさっぱり理解ができない。飲み会=セックスありと認識する社会を少なくとも僕は知らない。
ましてや「8年前のことを今更言い出すのであれば、男は何もできなくなる」みたいなことを言い出す人たちは、過去にだまし討ちのような恥ずかしいセックスばかりをしてきたのだろうか?
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普通の恋愛経験をしてきた人であれば、過去の相手に後になって告発されるようなことはないと思うのだが、どうして自分たちまで告発対象にされるかのようにおびえているのだろうか? もしかして身に覚えがあるのだろうか?
もし本当におびえているのであれば、これまでの女性に対する言動を深く反省してほしいものである。
崩れ落ちたブランド力
結局、今回の件で松本氏にとって最も致命的なのは、今後文藝春秋社と争うであろう性的合意の有無などではなく「松本人志はセンスがない、面白くない」と多くの人に思われてしまうことだろう。
松本氏は多くの番組では若手の笑いを総評する立場として出演していることが多い。それはM-1やキングオブコントはもちろん、IPPONグランプリやつまみになる話、ドキュメンタルや水曜日のダウンタウンに至るまで、松本は笑いを演じる側ではなく、評価する側として活躍している。
それはひとえに「松本人志は面白い」という、ダウンタウンとしてこれまでコツコツと積み上げてきた実績による評価が視聴者の側にあるからこそであり、それが現在の松本のブランド力を支えている。
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しかし今回の件で、松本氏が「大人としての良い遊び方」をしていないことが露呈してしまった。別に芸人だからといって私生活まで24時間365日面白い必要はないのだが、面白くない上に後輩や連れてきた女性に迷惑をかけているとすれば、松本人志というブランドイメージは低下してしまう。
松本氏が所属する吉本興業も、報道当初には「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです」と事実無根を強く主張していたが、24日に「週刊誌報道等に対する当社の対応方針について」という文書の中で「私的行為とはいえ、当社所属タレントらがかかわったとされる会合に参加された複数の女性が精神的苦痛を被っていたとされる旨の記事に接し、当社としては、真摯に対応すべき問題であると認識しております」と、当初と比べてずいぶんとトーンダウンしている。
当然、吉本興業にとって松本人志は極めて大切な存在ではあるが、それでも「数多くの所属タレントのうちのひとり」でしかないことに違いはない。ブランドイメージを著しく損うかもしれないタレントを社運を課してまで守るかは微妙なところである。
堕ちた「お笑い界のトップ」
これまでも映画を作ってはあまり評判が良くなかったりと、松本氏の才能の限界を感じる事もあったが、それでも「お笑い界のトップ」として面白い存在として世間に認識され続けてきた。
だが、今回の一件で松本氏が「意外とつまらないプライベート」を過ごしていることが露呈してしまった。
権力を得ると下の人間が自分の思いついたつまらない遊びにも何も文句を言わずに従ってくれる。だからこそ、自身の遊び方がつまらないことを自覚できなくなってしまう。
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田舎に行くと、大人の遊び場が「パチンコ屋と飲み屋」しかないということがよくあるが、都心で生活して、うなるほど使えるお金があるとしても遊ぶことを自ら工夫しないと、あの松本人志ですら、女性や後輩芸人に迷惑をかけるような、しょうもない遊び方に堕してしまうのである。
子供の頃なら無限に遊びを思いついたものが、どんどん頭が固くなって、自分なりの遊び方が思いつかなくなっていき、とても凡庸な遊び方しかできなくなってしまう。
僕は松本氏のような権力もなければお金もないが、せめて大人として、後ろ指を刺されないような遊び方をしたいと痛感するのである。
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