意外と気づかない、この国の「社会の老化」を無視していけない「深刻な理由」

 人口減少日本で何が起こるのか――。意外なことに、多くの人がこの問題について、本当の意味で理解していない。そして、どう変わればいいのか、明確な答えを持っていない。 【写真】意外と知らない、人生がうまくいかない人の「決定的な間違い」とは…?  100万部突破の『未来の年表』シリーズの『未来のドリル』は、コロナ禍が加速させた日本の少子化の実態をありありと描き出している。この国の「社会の老化」はこんなにも進んでいた……。 ※本記事は『未来のドリル』から抜粋・編集したものです。また、本書は2021 年に上梓された本であり、示されているデータは当時のものです。

「こんなご時世だから……」

 感染症に対する過剰と思われる反応は高齢者特有の問題ではない。「社会の老化」は、年齢にかかわらず誰もが巻き込まれていく。  私は、コロナ禍にあっての最大の流行語は、「こんなご時世だから……」であったと思う。言うまでもなく、人々のマイナス思考を端的に表したフレーズだ。  感染防止策さえ徹底すれば十分実現できた事業やイベントが、「感染拡大の懸念」や「いまどき、こんなことをやっていてよいのか」といった意見に押され、相次いで中止や延期となった。その理由の多くは、世間体を気にかけるような同調圧力であった。そこには科学的な知見に基づく合理的な判断は感じられない。実現するための可能性を模索するより、マイナス情報を集めて「やらない理由」を探すようになるのだ。  どこにも逃げ場のないコロナ禍という巨大なストレスが、社会を一気に老け込ませた。  若さを急速に失った社会は、「高齢者の命を守るため、若者は活動を自制すべきだ」といった呼びかけを正論とした。高齢者の命を奪う病気や事故はいくらでもあるのに、新型コロナウイルス感染症による死は、あってはならない「特別なもの」となってしまった。  コロナ患者の治療が優先され、がんの手術が延期されたり、脳卒中や心筋梗塞の救急患者が制限されたりする状況までが、「こんなご時世だから仕方ない」の一言で片づけられていくのは、どう考えても理不尽だ。  世の中に活力をもたらす若者を制限する社会が健全なはずがない。個々の若者はいつまでも若いわけでなく、その年齢でしかできないこともある。大人たちが大学への通学を認めず、スポーツの全国大会も、入学式、卒業式も中止としてしまった。コロナ禍に青春時代を迎えた特定の年代の人々のチャンスを奪えば、必ず後で歪みとなって現れる。  政府や地方自治体、企業が考えるべきはむしろ、数少なくなった若者が感染を気にせず活発に活動できるような「安全な場所」を提供するための方策であった。  若者の行動を制限することが社会にとって自殺行為であることは分かっているのに、多くの人の理性を失わせるところが「社会の老化」の恐ろしさである──。

書き換わる未来を可視化する

 私は何も、高齢者の健康や命を軽んじているわけではない。歳を取ることが悪いと言いたいわけでもないし、若い世代に無節操な行動をするように呼びかけているわけでもない。徹底した感染予防策を取るのは言うまでもないし、年齢に関係なく規則に則った責任ある態度をとるのは当然である。社会全体で感染症を封じ込めていくことと、人々が萎縮せずに社会活動をすることは十分両立できると言っているのだ。  「社会の老化」を看過できないのは、その先に待ち受けるのが経済的困窮だからだ。  日本のような国民の平均年齢が高い「年老いた国」は、「若い国」よりも積極的に社会経済活動を行わなければ、国際競争に太刀打ちできない。コロナ禍の経済危機からの回復のように、世界各国が一斉に復興のスタートを切る局面ではなおさらだ。ここでの出遅れは取り戻すことが難しい。  そうでなくても、日本は人口減少が進み劣勢に立たされている。必要以上に若者の手足を縛るということは、日本人自身が不況を創り出しているようなものなのである。  コロナ禍からの再興に手間取ることになれば、国家としての衰退の歩みはいよいよ早くなる。国際マーケットどころか国内マーケットをも外国資本に奪われ、多くの日本企業が外国企業の手に落ち、国益を守れなくなることが懸念される。「いまに日本人が中国に出稼ぎに行かざるを得なくなる」といった発言を耳にすることが少なくないが、笑い話で済まなくなるかもしれない。  人命が最優先であることは論を俟たないが、目先の感染症対策や「一過性の変化」にとらわれ、少子高齢社会が受けるダメージのリアルから目を背けることは許されない。  「社会の老化」を放置し続ければ、「未来の年表」は悪化の一途をたどる。経済的困窮どころか、やがて国家の致命傷となる。  われわれは、ただ傍観してはいられない。「社会の老化」を打ち破る策を考えるしかない。まずできることは、コロナ禍がもたらした変化を正しく理解し、「社会の老化」がそこにどうかかわったのかを知ることだ。そして、次の一手を考えることに尽きる。  そのために、本書は新型コロナウイルス感染症に襲われた2020年に、この国で一体何が起きていたのかを整理し、その本質を読み解いていく。コロナ禍の爪痕を理解することで、「未来の年表」がどう書き換わるかが分かってくるからだ。  アフターコロナについては、さまざまな分野の予測が登場している。だが、そのほとんどが人口減少による影響を織り込んでいない。推測の域を出ないものも少なくない。  本書はそうした予測とは一線を画し、データによるファクトの積み上げによって分析を行う。コロナ禍が人口減少にどう影響するのか、書き換わりゆく未来の可視化作業である。

ドリル方式を採用する

 これから起きることを正しく理解したならば、次のステップは「書き換わる未来」に対応する策を考えることである。第2部では「社会の老化」を跳ね返すための切り札となる5つの提言をしようと思う。  社会から精気を吸い取る「国家の病巣」を取り除くには、若い世代の突破力に頼むしかない。少子化で数は少なくなっていくが、塊となってかかれば大きな力を発揮する。そうした意味では、本書の目的は、若い世代の「蜂起」を促すことにあると言ってもよい。  「蜂起」といっても、暴動や反乱をそそのかそうなどという物騒なことを考えているわけではない。先進国の座から転がり落ちようとしている日本の再興は、もはや若い世代に託すしかないところまで来たということだ。今ほど、この国が若い世代の活力を求めているときはない。  本書の最大の特徴は、何といっても分かりやすさだ。未来予測は難しい。これまで私は、『未来の年表』(講談社現代新書)シリーズで、カレンダーやカタログ、俯瞰地図という手法を用いて人口減少社会の可視化を行ってきたが、本書では第1部でドリル方式を採用することとした。読者の皆様にクイズを解く形でご参加いただいたほうが、馴染みやすく、より理解が深まると考えたからだ。ぜひ繰り返し挑戦してほしい。  コロナ禍は悪いことばかりではない。デジタル改革や雇用制度の見直しなど、放置されてきた日本の課題に取り組む動きが随所に見られるようになった。結果論だが、コロナ禍は「コロナ前」からの社会課題の解決に向けて時計の針を進める役割も果たしている。  そして、コロナ禍がもたらした一番の副産物は、「人口減少後の社会」を未来へのタイムマシンの如く一足早く覗き見させてくれたことである。コロナ禍は、否応なしに多くの需要を奪い去ったが、それは人口減少で需要が縮小した日本社会を強くイメージさせ、シミュレーションするには十分であった。  コロナ禍からの社会経済の再興のための方策と、人口減少対策とは極めて似ている。コロナ禍が背中を押す形で少子高齢化や人口減少への対策が飛躍的に進む可能性もある。  私は繰り返し、「戦略的に縮む」必要性を唱えてきたが、コロナ禍が見せた「縮小」は、人口減少に耐えうる社会へ作り替えるための「ラストチャンス」となるかもしれない。  勝負はこれからであり、社会の「豊かさ」を次世代に引き継いでいくためにも負けるわけにはいかない。本書が「ラストチャンス」を勝利に導く指南書になるとともに、すべての読者が激動の時代を乗り越えるための一助とならんことを切に願う。

河合 雅司(作家・ジャーナリスト)

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