なぜ台湾には「親日」と呼ばれる人が多いのか。ジャーナリストの野嶋剛さんは「旅行先で礼儀正しさや食事のおいしさに感銘を受けたからだけではない。アメリカや中国と比べて、『利害関係』が絡まないことが大きい」という――。
※本稿は、野嶋剛『台湾の本音』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■台湾の親日は「ハンバーガー構造」
日本人は台湾を「親日の国だ」といいます。台湾社会に日本への親しい感情があることは確かです。しかし、それだけでは片づけられない複雑さを孕んだ関係でもあります。ここからは日本と台湾の関係性について解説していこうと思います。せっかくなので、私が新聞社の記者として台湾に滞在していた経験も含めて、台湾の人たちの日本への感覚を中心にお話ししていきましょうか。
台湾の親日はハンバーガー構造だと私はよく語っていました。10年前ぐらいまで。
日本の統治時代に生まれ、教育を受けた人々は、日本への皮膚感覚的な親近感を持っていました。言語、風習、価値観。日本色に染め上げられる幼年期を過ごしたのです。心のなかに「日本」がすっかり住み着いていて、それを否定するよりは、肯定したい──それが人間というものです。
■距離の近い日本への「海外旅行」が増えた
日本が台湾を放棄してからは、中国式の教育が行われました。しかし、日本以上に強圧的な統治を行った国民党政権への不満も根強く、心のなかの日本は消えることはありませんでした。彼らが親日第一世代で、ハンバーガーの上側のパンの部分です。
では下側のパンはというと、1990年代に開放的になっていく社会で、日本文化のシャワーを浴びて、それが娯楽の中心となって生きてきた人々です。
加えて台湾では経済が安定するにつれ、ここ20年ぐらいで、休日に旅行をするライフスタイルが根づいてきています。当初は国内旅行が主流でしたが、やはり国土が狭いことと、割高であることもあって、旅行先を国外へ求めることが増えていきました。
最初は中国本土、そして距離の近い日本への旅行が増加していきます。2012年以降その動向は顕著となり、ピーク時の2019年には約489万人の台湾人が日本を訪れています(日本政府観光局=JNTO「国籍/月別 訪日外客数」より)。蔡英文政権以降、中国が台湾への旅行客を制限したこともあって、台湾人の出国先として香港・マカオを除いた中国よりも多い約3割のシェアを誇るまでになりました。
これだけ日本に行けば、人々は親近感を強めるわけです。日本の清潔さ、日本人の礼儀正しさ、食事のおいしさ、温泉の良さ、桜や紅葉の美しさ。台湾人の口からは次々と日本称賛が溢れ出てきます。彼らは現在、50歳以下の人々で、第一世代とは違った感覚で日本への好感度を持っています。
■ハンバーガー構造は崩れつつある
では、この第一世代と第二世代に入らない人々がいます。それが50歳から80歳ぐらいの人々で、彼らは戦後の国民党統治を良くも悪くも受け止め、そのなかで成長し、生きてきた人々です。彼らはいわゆる「抗日史観」に基づく教育も経験し、日本語にもあまり親しんでおらず、若いころの日本旅行や日本文化の経験も限定的です。
台湾の民主化を果たした李登輝はいうまでもなく第一世代ですが、その後総統になった陳水扁、馬英九、蔡英文の3人の総統はいずれも親日的な感情が強くはない世代の人々で、日本との関係においても、外交上は日本を重視するものの、日本が好きだということを感じるかというと、個人的には私はそういう印象を持っていません。
ですから、老壮青でいえば、ハンバーガーの具(非親日)の壮年を、親日の老年・青年で挟んでいるような構図でした。そして、忘れてはならないのは、老年の「日本語世代」は人生の舞台から去って世代的に次第に先細りしていき、青年世代がマジョリティになり、壮年の世代も、昨今の情勢から、当然中国へは失望を強め、日本には好感を持つようになっていきます。このハンバーガー構造はかなり崩れつつあります。
■安全保障や外交の利害が絡まない絶妙なポジション
日本のアカデミズムの一部には「台湾を親日と呼ぶ」ことに違和感を感じる人々もいます。私も、台湾と日本との間の複雑な歴史を知らずに、単純に「親日、親日」と有り難がるのはどうかと思います。
しかし、世論調査を見れば分かるように、台湾での日本の好感度は高いものがあります。その客観データをもとに「親日」であると論じることは事実に基づいているので、何ら問題はないでしょう。「日本に強い好感を持つ社会」などと言い換えてもいいですが、それも面倒です。大事なのは、外国人が他国の人々の思いを政治的な立場やイデオロギーに基づいて強引に論じないことです。
データをご紹介しましょう。台湾の大使館にあたる日本台湾交流協会が何年かに一度行っている台湾の対日世論調査があります。
2021年度の調査によれば、「あなたの最も好きな国はどこですか」という質問に対して、60%の人が「日本」と答えています。第2位は意外ですが「中国」で5%、第3位は「アメリカ」で4%。基本的に日本がぶっちぎりで好かれていることは間違いありません。
アメリカは台湾では意外ですが人気がありません。歴史的にアメリカから持ち上げられたり、裏切られたりと、いろいろ嫌な体験もあったからでしょう。頼りにしているけれども、好きかどうかは別というところがあるのです。それに比べて、日本は、安全保障や外交などの利害が大きくは絡まないからこそ、シンプルに「好き」と言ってもらえるのかもしれない。有り難いことです。
■台湾と日本に共通する「おもてなし」
他方、今の日本も「親台」と論じてもまったく問題はありません。日本人の台湾旅行は増加して、2019年に台湾を訪れたのは約217万人(台湾交通部観光局調べ)となり、同年のエイビーロード・リサーチ・センターの調査によれば、人気旅行先のトップに5年連続で台湾が選ばれています。
こうした変化には、海外旅行というものに対する日本人の価値観が変わってきたことが要因となっています。ひと昔前であれば、海外旅行は何がなんでも欧米へ、という感覚がありましたね。しかし、近年は旅のなかで自分がどんな時間を過ごすかが目的になってきた。限られた休暇のなかで、自分がエンジョイできる空間を欲するようになったわけです。となると、台湾の狭い国土がマッチした部分があったのではないかと思います。
また台湾旅行が人気となるもう一つの要因として、台湾ならではのホスピタリティも挙げられると思います。台湾には「好客(ハオカー)(hào kè)」という言葉があります。日本語に訳すと「おもてなし」に近い意味になるでしょう。日本もおもてなしの国と自称していますが、台湾の好客とはちょっと違います。
日本のおもてなしといえば、一律に礼儀正しい対応が求められますが、これは見方によっては形式的な冷たいものに映ってしまうこともあります。一方で台湾の場合、かたちは二の次にして、とにかく徹底的に相手がもういいと思うほどまでもてなす態度を大事にする。そうしたサービス精神が、訪台客の心をつかむポイントかもしれません。
■「お客には優しくしたほうが得」という生存戦略
こうした台湾人のホスピタリティが生まれたのは、その地理的、歴史的な影響が大きいと思います。
お話ししてきた通り、台湾へはさまざまな場所から、多くの人々が移り住んできました。ですからお客さんには台湾を好きになってもらって、自分たちの生存空間を守ってもらうという文化が根づいている。冷たい言い方をすると、お客さんには優しくしておいたほうが得だという生存戦略なのです。
私の体感としては、台湾人は日本人に対してはとくに優しい。ほかの人たちの国を冷たくしているわけではないんですが、日本人と分かると5割増くらいで優しくなります。ですから台湾へ行けば、やはり気持ちがいいですし、台湾を好きになります。
■世間体を気にせず過ごせる社会
あと、特筆すべきは食事のおいしさです。そもそも食材が豊富なこともありますが、蔣介石の影響も大きい。蔣介石が本土から逃れてくる際に、中国文化の正当後継たらんとして故宮の美術品を持ち込んだというお話をしましたが、一流の料理人も共に台湾へ連れてきました。中国本土のさまざまな料理が台湾で堪能できるのですね。
留学先として台湾を選ぶ学生も増えてきています。コロナ禍前の2018年度は約5900人、日本人学生の留学先における5.2%を占めています(独立行政法人日本学生支援機構=JASSO調べ)。ここ数年の台湾のインフレと円安で一概にはいえませんが、他国に比べて台湾の一流大学の学費が比較的安いことも影響しているといわれています。
日常生活を送るのにも、台湾はとても快適な土地です。先ほど挙げたホスピタリティの一方で、台湾は日本に比べて同調圧力が弱く、気軽に生きていける社会風土があるからです。
もともと多民族・多言語の土地でしたから、そもそも同調させようとする素地がない。だから台湾の人々は、それぞれの違いを本能的に受け入れているのです。日本のような世間体を気にせずに行動できるわけですね。
■同調圧力のない不思議な風土
私の知っている限りでいうと、日本のビジネスパーソンは、支店長として台湾にやってくると、日本に帰りたがらない人が多い傾向にあります。50代くらいまで同調圧力の強い日本の企業でもまれて疲れ果て、ある程度の「上がり」的なポジションで台湾に行く。すると、とても居心地がいいので、会社に頼み込んでなるべく長く居つかせてもらい、それが叶わないと会社を辞めてまで定住するという人を何人も見てきました。
「会社を辞める」ことが日常茶飯事の台湾の人たちは自然に迎えてくれます。他人がどんな人生を歩もうが知ったことではなくて、それよりも今自分と仲良くできるか、楽しくご飯を食べられるかに関心があるんですね。
私自身も、2016年に新聞社を退社してジャーナリスト活動を始めたとき、日本では「辞めたあとはどうするの」「生活は大丈夫ですか」などと、ある意味で親切だけれど、ある意味ではイラッとくるような質問を多くの人から聞かれました。そういうことを言う人に限って、具体的に何か応援してくれるかといえば、そういうことはなかったように思います。
台湾では、会社を辞めたと言ったら、ほとんど「ふーん、そうなんだ」という反応でスルーされ、なかには「おめでとう」などと祝福してくれる人もいました。
そんな不思議な風土に、ほれ込んでしまうわけです。まだ定住しているわけではありませんが、私もそのクチかもしれません。ちょっと私ごとが多くなりましたね、失礼しました。
■義援金が250億円以上集まった理由
さて、台湾を「親日の国」として多くの人が認識するきっかけとなったのは、2011年に起こった東日本大震災への対応ではないでしょうか。これは日本への友情の証、とくに台湾でたびたび起こる地震や水害で救援をもらった恩返しの意味も込められているでしょう。2360万人ほどの国から、約73億台湾ドル(当時のレートで250億円以上)もの震災義援金が送られるという、政治家やメディアがいくらがんばってもできない行動です。
この驚くべき数字は、単なる親日という言葉だけでは説明がつかない部分がありますよね。この背景にも、台湾特有の文化が見えてきます。
誤解を恐れずに言うと、これだけの義援金が集まったのは、震災に苦しむ日本を助けようという「ブーム」が起きたことが大きいのです。台湾はブームに乗りやすい国民性があります。先ほど述べたように同調圧力はないにもかかわらず、一度「いいことだ」と考えたことには、一気に乗っていく社会の空気があるわけです。
■台湾人は「巨額の義援金」を覚えていない
実は、2008年に中国で起きた四川大地震に対しても、台湾からおよそ70億台湾ドルの義援金が寄せられています。その際も、東日本大震災のときのように社会全体が高い同情心に包まれました。地震が起きた当時は馬英九政権が選挙で勝利を収めた年で、中台関係改善の機運が高く、中国への関心も高いものがありました。
日本への義援金も大変有り難いものであることはいうまでもない一方で、「親日だから」というだけで受け止めるだけではなく、台湾の国民性という部分から分析してもいいと思います。台湾の人たちに「震災のときはありがとうございました」と伝えると、意外と当時のことを覚えていない人も多いのです。
いずれにせよ、台湾は一つの関心ごとに対して突き進む、ワン・イシューの国なんですね。ですから、政権に問題が起きれば反対票が集まって政権交代が起こる。2022年の統一地方選で民進党が大敗したのも、社会の空気によるものが大きかったですし、新型コロナ対策が迅速に浸透したのも、こうした台湾ならではの「ノリの良さ」という特色が発揮されたといえるでしょう。
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野嶋 剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト
1968年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学・台湾師範大学に留学。92年に朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学の後、2001年からシンガポール支局長。政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年に独立。大東文化大学社会学部教授も務める。
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(ジャーナリスト 野嶋 剛)