「週刊文春1月4日・11日号」に第一報 「《呼び出された複数の女性が告発》ダウンタウン・松本人志(60)と恐怖の一夜「俺の子ども産めや!」 が掲載されてから、大きな反響と議論を呼んでいるダウンタウン・松本人志(60)をめぐる問題。
一連の報道、松本本人の言動、メディアや世間の反応について、各界の識者たちはどうみていたのか――。「週刊文春」で2週にわたって掲載された特集「松本問題『私はこう考える』」を公開する。
「ペンの強さを知らず勘違いした裸の王様はお前だよ」。文春の報道姿勢について、SNSで一刀両断したのは、数々のビジネス本を世に出してきた幻冬舎の編集者・箕輪厚介氏(38)である。「文春ファンだった」という箕輪氏に聞いた。
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文春は“ネット生贄ショー”の旗振り役
何事にも良い面と悪い面があります。「業界の理屈」が許されなくなってきた昨今、ジャニーズ問題に象徴されるように、文春がその取材力をもってして“聖域”に問題提起したことで古い価値観や組織が瓦解してきました。それは文春にしか出来なかったことで、社会的意義は十分にある。でも想定以上に、そのペンの力が強くなってしまっている現実にも目を向けるべきです。
SNSでは毎日のように“ネット生贄ショー”が繰り広げられています。今、文春はこのゲームの旗振り役と化している。文春が「この人だ!」と指差せば、世間は生贄を社会的に抹殺すべく暴走してしまう。しかも、文春は営利企業である以上、生贄の選定には「売れるかどうか」の基準が入り込んでいるから始末が悪い。さらに記事の予告まで出して、意図的に煽っている面も否定できない。
松本さんが現状から救われるためには、また次の生贄が出てくるのを待つほかないでしょう。
「ファクトに向き合う」ではなく「ファクトを選んでいる」
僕は文春の「過激にして愛嬌あり」という考え方が大好きでした。週刊誌随一の取材力、そして俗っぽさ。尊敬もしていましたが、昨今の“ネット生贄ショー”と絡み合ったことによって、このモットーはもはや詭弁となった。記事から愛嬌は感じられなくなっている。
僕自身も、女性関係で、文春の標的になったことがあります。当然僕が反省しなければいけないことはありますが、“文春構文”には驚かされました。よく文春の関係者は「ファクトに向き合う」という言い方をしますが、自分の報道を見て「ファクトを選んでいる」ことに気づきました。10のファクトがあったとしても、取材の上で、「確実に箕輪がおかしい」と思える3つを厳選して記事に書く。事実に間違いありませんが、全体像を示せば読者の印象は違ったはずです。
ただ、それも当たり前のこと。紙幅もあるし、僕でも本を作るときにはそういう視点を持ちます。今回の松本さんの件についても真相は分かりませんが、松本さんが有利になる事実があっても、あえて書かないことで印象操作はできます。
世間が抱える文春へのヘイトはいつか爆発する
一方で松本さんの件で自分の考えを改める部分もありました。昨年末の第1報時点では“ただの飲み会”という認識でした。様々な意見や続報に接し、女性が傷ついたのであれば、何年経とうが許されないことはあると考え直しました。特殊な業界だからという言い訳は、もう通用しないということです。
ただ言えることはこれまで暴く側だった文春自体が“聖域”になりつつあること。いち週刊誌が、著名人を社会的に抹殺できる権力を持つのは、恐ろしい。世間に文春へのヘイトは溜まっているはずで、爆発するときはいつか来ます。僕自身は反対ですが、「廃刊しろ」なんて意見は、ネットにあふれかえっています。でも、実際に刃が突きつけられるその瞬間まで文春は、“ネット生贄ショー”の旗振り役として走り続けるのでしょう。
一番恐ろしいのは、ネットと繋がる人間はすべて文春発の残酷なショーの参加者になっている――その事実かもしれません。
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2月14日(水)12時配信の 「週刊文春 電子版」 および2月15日(木)発売の 「週刊文春」 では、お笑い界に革命をもたらした男が、なぜ女性たちから告発されるに至ったか――その道程を尼崎、心斎橋、六本木と総力取材で追った 「《実録・松本人志》なぜ『笑いの天才』は『裸の王様』になったか」 を掲載している。
さらに、 「週刊文春 電子版」 では橋下徹氏、デーブ・スペクター氏、江川紹子氏ら計8人の論者による 「松本問題『私はこう考える』」 を配信している。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年2月8日号)