能登半島地震の被災地の電力復旧のため、東北電力と東北電力ネットワークは1月末までに延べ994人の人員を石川県に派遣した。東日本大震災では停電の早期解消に向け、北陸電力を含む全国の電力会社から応援を受けた。今回派遣された社員らは「少しでも当時の恩返しになれば」と被災地を思いやる。
輪島市内でキャンピングカーで寝泊まり、作業効率上げる
2社は1月4日から31日まで9陣に分け、作業員に加えて高圧発電機車や高所作業車といった車両延べ479台を送った。作業員は北陸電力送配電の指揮の下、折れた電柱や断線の改修や高圧発電機車による応急送電に従事。最大約4万戸に上った石川県内の停電の9割が1月末までに復旧する一助になった。
東北電ネットワーク宮城支社からは延べ235人が応援に向かった。石川県輪島市と穴水町で活動し、当初は金沢市のホテルを拠点にしていたが、移動時間を短縮するため、輪島市内に借りた駐車場にキャンピングカーを止めて寝泊まりする方式に変えた。
同支社第5陣の作業員責任者だった仙台南電力センター配電テクノセンター担当課長の大内政弘さん(58)は「震災の恩返しをしたいのに移動に多くの時間を費やしていては『何のために来たのか』という思いが現場にあった。キャンピングカー方式になって、作業効率もモチベーションも上がった」と証言する。
「配電DNA」を引き継いで
東日本大震災では東北電管内で約466万戸が停電したが、9割以上は発生から約1週間以内に復旧した。大内さんは「能登半島地震は現地に入って長期戦になると思った。隆起したり、屋根瓦が積み重なったりした道路を切り開かなくては、電柱も建てられない状況だった」と振り返る。
第1陣と第8陣で派遣された配電テクノセンターの山形晃矢さん(33)は震災直後、仙台市内の電気設備をパトロールし被害を報告する仕事を担った。「報告に応じて北陸電力など他の電力会社が修理に当たってくれたのを思い返した。会社人生で培った技術で、少しでも恩返しできていたらうれしい」と話す。
震災で全国からの応援派遣の受け入れ業務に当たった大内さんは「今回多くの若手社員が能登に入った。地域の電気を守っていくという『配電DNA』を引き継いでほしい」と語る。