福島の廃炉作業、スリーマイル島に比べ高難度…「事故から40年後」への道は見えず

[東日本大震災13年]被災地の現在<4>

 米東部ペンシルベニア州を流れるサスケハナ川の中州に、巨大な冷却塔がそびえ立つ。1979年に商用炉で世界初の炉心溶融(メルトダウン)事故が起きたスリーマイル島原発だ。 【写真】59か所の定点空撮で見る 東日本大震災

 熱で溶けた2号機の核燃料(デブリ)などは事故から11年後の90年までに99%が回収され、アイダホ州の国立研究所で保管されている。ただ、強い放射線を出す1%が、圧力容器の底に残る。

(写真:読売新聞)

 「これからがより難しい作業になる」。廃炉事業を担う米エナジーソリューションズ社のフランク・エプラー氏(54)は表情を引き締める。ロボットなどで回収後、全ての建物を解体し、敷地を更地に戻す計画が順調に進んでも、廃炉完了は事故から58年後の2037年になるという。

 これに対し、東京電力福島第一原発では事故から13年となる今も、原子炉内のデブリは手つかずだ。

 メルトダウンは3基の原子炉で発生し、デブリは圧力容器を突き破り、外側の格納容器まで広がる。原子炉の構造物も混ざった総量は約880トン(推計)に達し、スリーマイル島原発に比べて作業の難度ははるかに高い。

 政府と東電は、事故から40年後の51年までの廃炉完了を掲げるが、専門家からは「達成は困難ではないか」との指摘が出ている。

 デブリの回収に必要な技術開発も難航している。当初、東電は21年に「耳かき1杯分」のデブリ数グラムを試験的に取り出す予定だった。しかし、全長22メートルのロボットアームの完成が遅れ、今年1月、3回目の延期を発表した。過去に使用実績のある釣りざお式の装置を代用し、10月頃までの実施を目指す。東電福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表(64)は「世界的にも前例のない作業。安全を第一に考えた」と説明する。

 ただ、2月にも、1号機内部をドローンで撮影する初の調査で、無線中継用ロボットが止まって中断した。再開のめどは立っておらず、ロボットの不調が相次ぐ。

 廃炉の難しさが浮き彫りとなる中、地元からは説明を求める声も上がり始めた。早稲田大の松岡俊二教授(環境経済・政策学)は22年から、住民らと廃炉や復興について定期的に議論する「1F地域塾」を開く。福島では回収したデブリの保管の方法や場所も決まっておらず、住民からは廃炉後の地域の将来像が見えないことや東電の情報発信に不満が聞かれるという。

 スリーマイル島原発の地元では事故後、米原子力規制委員会が住民と対話する場を78回開き、エナジー社も21年以降で9回開いた。「困難な廃炉を成し遂げるには、住民の理解は不可欠だ」とエプラー氏は言う。

 松岡教授は「福島第一原発の廃炉作業は長期に及ぶだけに、工程の見直しを含めて柔軟な対応が求められる。政府や東電は、地域や社会との対話を地道に続ける必要がある」と語る。

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