TSMCが日本にもたらす「半導体バブル」以上の価値、ラピダスとの決定的な差とは

● 日本は何を学べるか? TSMCが熊本に工場をつくる真の意義  筆者は昨年、一昨年と、本連載の記事「ラピダスの半導体事業は、機動戦士ガンダムの『ジム』を見習え」(https://diamond.jp/articles/-/322006)「日本の『次世代半導体連合』に台湾が必要不可欠な理由」(https://diamond.jp/articles/-/313421)において、日本の主要企業が共同出資する北海道の半導体企業Rapidus(以下、ラピダス)の生産方式に疑問を呈した。  一方、2月24日に開所式が行われた九州のTSMC熊本工場(JASM)も日本の半導体業界の大きなニュースとして話題になっている。  現地熊本では、地価や時給が高騰したり、無人駅でラッシュが起きたりするなど、景気のよさそうな話が聞こえてきているが、そもそもTSMCという台湾企業が日本に工場をつくることは日本の半導体産業にとってどのような意味があるのか、そこから日本企業は何を学ぶことができるのかについて考えてみたい。  北海道のラピダスがハイリスク・ハイリターンであるとすれば、熊本のJASMの特徴はローリスク・ローリターンだ。ラピダスが進めている2ナノプロセスは、先端半導体の製造でリードするTSMCやサムスン電子すらまだ実現できていない技術だ。その意味で、日本が世界に先んじて2ナノプロセスの生産を行うことができれば、技術立国日本の面目躍如といったところだろう。  半導体のプロセスサイズとは、半導体の基板に描かれている回路の線の幅の細さのことである。現在最先端と言われる3ナノプロセスはiPhone15のチップセットに使われている最先端の半導体、4ナノプロセスはAIで注目されるNVIDIA(エヌビディア)のGPU、H100 Tensor Coreに使われているプロセスと、最先端のプロセッサ用の技術だ。ラピダスが目指す2ナノとはそれをさらに上回る性能を実現しようとするものだ。  一方、日本でこれまで実用化されたプロセスサイズで最先端なものは、2008年の40ナノが最後で、そこから先のプロセスサイズを国内で製造した実績はない。この度開所したJASMで作る22/28ナノプロセスは、これまでの日本からしたら製造したことのない新たな半導体技術ではある。

 しかし、28ナノプロセスをiPhoneにあてはめると、iPhone5のチップセットがちょうど28ナノであり、今から10世代前のiPhoneの最新技術ということになる。他方で、TSMCは建設が遅れているものの、米国アリゾナ州に3/5ナノプロセスの工場を作るとしている。この事実だけを見ると、「日本では古い技術で生産し、最先端の技術は米国に持っていかれて非常にけしからん」と見えなくもない。 ● 時代遅れの技術ではない 22/28ナノプロセス  しかし、22/28ナノプロセスの生産はビジネスの面から見ると非常に妥当なものと言える。半導体はすべてが最先端である必要はない。家電製品に用いられる多くの半導体は40ナノプロセスで作られており、その意味で、家電製品を多く作る日本がこれまで40ナノプロセスまでの製品を生産していたのは一定の意味があるといえる。  さらに、28ナノは自動車でよく使われる半導体である。30年ほど前の自動車にはせいぜい1~3個の車載コンピュータ(ECU)が装備されていただけだが、現在では100以上のECUが使われている自動車も多く存在する。今後自動運転技術が進化すれば、さらに自動車向け半導体の製造は増えることが確実だ。  また、JASMの隣にはソニーセミコンダクタソリューションズのCMOSイメージセンサーの工場がある。CMOSイメージセンサーは表面の光を電気信号に変えるセンサーチップと裏面のセンサーを制御するロジックチップから成り立っており、ソニーはセンサーチップを自社で製造するが、ロジックチップはTSMCから調達をしている。今後のソニーのCMOSイメージセンサーには、22ナノプロセスのチップが採用されると見られる。こうした状況を踏まえると、JASMにソニーやデンソーが出資している意味が見えてくる。  近年、半導体不足が話題になったが、このときに不足していたのが22/28ナノプロセスのチップだ。半導体不足とはいえ、半導体製造には莫大な投資が必要なので、安易に供給を増やすことはできない。半導体不足で家電やIT製品だけでなく、自動車の生産にも影響が出た。ソニーのCMOSセンサーは現在世界第1位の数量を誇っているが、2位のサムスン電子の追い上げも激しい。サムスンは半導体メーカーでもあり、ロジックチップも内製している。

 今後、ロジックチップの不足でサムスンに追い越されるという事態もあり得なくはない。その意味で、日本に22/28ナノプロセスの半導体工場ができることは、供給の安全弁としてとても頼もしいということができる。すでにある需要に応えるための既存技術による製造という意味でJASMはローリスクであり、ラピダスの2ナノに比べるとローリターンということができよう。 ● ラピダスとJASMの双方を助成 日本政府に芽生えたビジネス視点  経済産業省はハイリスク・ハイリターンのラピダスと、ローリスク・ローリターンのJASMの双方を援助している。バランスの良いポートフォリオで投資を行っていると言ってもよいだろう。特にこれまでの日本は技術大国であり、「最先端技術さえ磨いていればいつか消費者は振り向いてくれる」と信じて疑ってこなかった。  そんな日本社会で、JASMのような既存技術に対して助成を行った経済産業省が、技術視点ではなく、ビジネス視点で意思決定を行ったであろうことは特筆に値する。  企業は差異化のために技術を開発するが、売るのは技術そのものではなく、技術を応用した製品である。製品として需要があるかどうかを考え、必要な技術に投資をすることは当たり前であるが、技術信奉の強い日本では珍しいと言ってもよい。こうした意思決定ができることが重要だ。  そもそもTSMCは高い技術力だけでなく、始めからビジネスの視点で技術開発を行うことを、リーダーで創業者のモーリス・チャン氏から徹底的に叩き込まれた企業だ。TSMCは、台湾政府系研究機関であるITRI(工業技術研究院)の研究プロジェクトからスピンオフした企業である。  1980年代、先にITRIからスピンオフしたUMCがIDM(垂直統合型企業)として先に操業を開始し、台湾に半導体産業が根付き始めたときに、TSMCのVLSI(超大規模集積回路)開発プロジェクトが開始された。アメリカや日本という競合がひしめく国際的な半導体産業の中で、価格競争力を持つために大規模生産は欠かせない条件であったが、台湾内の半導体産業はいまだ発展途上で大規模生産に対応しておらず、需要としてはより小口な生産を求められてきた。

● 非常識ではなく先見の明があった ファブレス&ファウンドリーシステム  そうした相反する条件が存在する中で、両者の条件を満たすものとして考えられたのが、当時は非常識とまで言われたファブレス&ファウンドリーシステムだ。筆者が前回の記事(https://diamond.jp/articles/-/322006)で、ラピダスに疑問を呈したのはこの点だ。  ITRIとTSMCは、技術を磨くだけでなく、大規模生産による規模の経済性と小口の需要というビジネス的にメリットのある2つの条件をどうしたら同時に満たせるかを、懸命に考えた。その結果たどり着いたのが、ファブレス&ファウンドリーシステムであり、優れた技術の知恵に加えて、優れたビジネスの知恵がTSMCを成功に導いている。  一方のラピダスは、半導体の規模の経済性を考えずに、技術的に最先端で差別化ができるから小口の需要を満たせるという安易な発想をしている。そこに、これまでの日本のテック企業の失敗と同じ臭いを感じるのだ。ラピダスには優れた技術があるだろう。だが、それに加えて、優れた技術と同等レベルの優れたビジネスの知恵も持ってほしい。  日本企業に台湾から学んでもらいたい一つ目のポイントは、このビジネスの知恵と技術の知恵のバランスである。日本のテック企業の多くが「戦略=技術」という固定観念を持っており、技術開発以外の手法で儲けようとすることが邪道のような雰囲気まである。このような硬直的な発想を捨て、新たな価値創造のための技術力に加えて、その技術成果から最大限の収益を獲得するためのビジネスの知恵、価値獲得の能力を高める必要がある。  もう一つ台湾から学べる大切な示唆は、工程イノベーション、この場合生産技術の重要性である。ウィリアム・J・アバナシーは技術的なイノベーションを、製品開発を行う製品イノベーションと製造を担う工程イノベーションに分け、それぞれ異なるタイミングで異なるイノベーションが起きることを明らかにした。マイケル・L・タッシュマンとチャールズ・A・オライリーは、アバナシーの議論を受ける形で、製品イノベーションには探索型の組織学習が重要であり、工程イノベーションでは、活用型の組織学習が重要となることを示した。いわゆる「両利きの組織」の議論である。

 日本企業は多くの場合、新たな製品技術を探索的に開発する製品イノベーションにのみフォーカスして、常に新しいものを探索し続ける傍ら、既存の技術に対する工程イノベーションを疎かにしてきた。作りっぱなしですぐに次の技術に飛びつくといってもいい。日本企業が「次の技術で勝つ」というときの次の技術は、大抵製品イノベーションの話である。  それに対し、台湾の半導体産業は始めから工程イノベーションを製品イノベーション同様か、それ以上に重視してきた。ITRIは単に半導体製品の技術開発にとどまらず、半導体製造要員の教育にも力を入れ、いかに優れた生産技術を磨き上げるかということを重視してきた。その結果が、製造においてはだれにも負けないTSMCのような企業の育成につながった。 ● 日本にとって工程イノベーション を学ぶチャンスに  日本企業がTSMCから学べることは、半導体の製造技術そのものもある。最近、台湾のメディアでは、TSMCの日本進出によって台湾から日本に技術流出するのではないかという懸念すら報じられている。すでに半導体の製造技術では日本は最先端ではない。ここは、素直にすぐれた工程イノベーションを学ぶチャンスにすべきである。  また、製造技術を学ぶことそれ以上に重要なのは、工程イノベーションを軽視せずに、既存の技術でしっかりと儲けるためのビジネスの知恵をしっかり持つ、その姿勢である。安易に次の製品技術で勝つと考えるのではなく、既存の技術でいかに利益を創出するか、骨の髄までしゃぶり尽くすように既存技術の活用を考えることも、製造業には大切だ。  なぜなら、既存技術の活用による収益は、次の製品開発投資の原資になるからである。日本が大好きな「次の技術」のためにも、お金は必要である。既存技術でしっかり儲けることができなければ、製品技術開発も先細りするだけであって、しっかり足元で儲けることで、次の製品イノベーションのための原資を作ることが重要だ。  (早稲田大学大学院 経営管理研究科 教授 長内 厚)

長内 厚

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