3月1日、政府はNHKにインターネット業務を義務づける放送法改正案を閣議決定した。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「NHKの悲願であるネット配信の『必須業務化』が実現する一方、新聞協会が批判してきた『独自コンテンツ』は廃止されることになった。こうした足の引っ張り合いが続けば、NHKも新聞も共倒れになるだろう」という――。
■なぜ朝日・毎日は社説で怒りをあらわにしたのか
「NHK史上に残る愚を犯した経営委員長が退任する」。これは、2月26日の朝日新聞の社説の冒頭である。
NHKの最高意思決定機関である経営委員会の森下俊三委員長の退任にあたり、彼の言動を「とうてい理解できない」と評した上で、「経営委の暴走を許した土壌にメスを入れない限り、視聴者不在の構図は何も変わらないだろう」と社説を結んだ。
毎日新聞は、翌日2月27日付の社説で「反省しないまま去るのか」との見出しを掲げ、「ジャーナリズムの使命を理解せず、NHKへの国民、視聴者の信頼を損なった責任は重い」と書いている。
全国紙2紙が、これほどまでに怒りをあらわにしたのは、なぜか。
事態は6年前、2018年にさかのぼる。経営委員会委員長代行だった森下氏は、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組に関して、現場トップの上田良一会長(当時)を厳重注意したのである。日本郵政グループからの抗議に乗るかたちであり、個別の番組への介入を禁じた放送法に違反した恐れがある。
さらに、厳重注意をめぐる経営委員会の会合について、記録の公開を拒んできた。情報公開を求める視聴者から裁判を起こされ、東京地裁が、2月20日に、そのデータの開示を命じる判決を出している。
■「公共放送から公共メディアへ」
「NHK史上に残る」という点では、退任にあたって、ここまで泥に塗れたところも特筆に値しよう。餞(はなむけ)の言葉ではなく、石もて追われるかたちである。NHKの「揺れ」は内部にとどまらない。外からも大きく揺さぶられている。2025年春以降に、インターネット業務が義務付けられる見通しになったからである。
NHKは、これまで「公共放送から公共メディアへ」というスローガンを掲げて、放送の枠を越えた独自のネットコンテンツを育ててきた。担ってきたのは、報道局の「ネットワーク報道部」である。東京と地方局をつなぐ社会部ネットワークと、ウェブ記事などを手掛けるネット報道部とをあわせて2017年に新設された部署だ。
NHKのデジタル発信には、最新ニュースを伝える「NHK NEWS WEB」がある。放送した原稿の文字起こしだけではなく、多くの独自コンテンツを揃えている。「国内外の取材網を生かし、さまざまな分野のニュースをいち早く、正確にお伝えします」と打ち出しているとおり、“水道危機”からウクライナ情勢まで、硬軟取り揃えている。
■「NHK NEWS WEB」は廃止されるのか
また、政治ニュースでは、「政治マガジン」がある。「政治記事も面白いんです!みんなで“使える”WEBマガジン」をキャッチコピーにしており、本稿執筆時点で確認できる最も古い記事は2016年11月1日に配信された「『総理番』って知ってますか」なので、少なくとも7年以上は続いている。
ほかにも総理大臣の動きを伝える「総理、きのう何してた?」や、Eテレの人気番組「ねほりんぱほりん」とコラボした「ねほりはほり聞いて! 政治のことば」などが並ぶ。
3月5日に配信された「SlowNews」の報道によると、「NHK NEWS WEB」や「政治マガジン」などが、インターネット業務の義務化に伴って、廃止されるという。
画像=NHK NEWS WEB facebookページより
ネット業務をしなければならないのに、その中身であるコンテンツがなくなるとは、どういう理屈なのだろうか。
背景にはNHKの仕組みがある。
NHKの業務には、放送などの「必須業務」と、それを補う「任意業務」が放送法で定められている。「NHK NEWS WEB」や「政治マガジン」は後者のなかの「理解増進情報」にあたり、誰でも無料で読める。前者の放送を見たり聞いたりするには受信料を支払わなければならないのに対して、後者は、あくまで「補助的な情報」だから、という立て付けである。
これまでは放送は義務であるものの、ネットは追加のサービスだったのである。
■「放送とインターネットの受信契約は公平」
そこに出されたのが、3月1日に閣議決定された放送法改正案である。「放送とインターネットの受信契約は公平」と定め、受信料を支払わずにネットで視聴する人も契約しなければならない、とした。ネット業務を「必須業務」に変更するのである。
受信料をもとにした取材活動や制作費によって作られたネットのコンテンツを、NHKと契約していない人がタダで見られるのは、フリーライド(タダ乗り)であり不公平との考えに基づいている。ネットでの提供を義務にする代わりに、そのコンテンツからも平等にお金をとりなさい、というわけである。
それでは、なぜネットの独自コンテンツが廃止されるのか。放送法改正案では、放送とネットの受信料負担を同じにするだけでなく、提供されるコンテンツも「公平」にすることが求められているからだ。
そのため、「必須業務」に含まれるのは、現在でも提供されている「NHK+」という、放送との同時配信や見逃し配信を中心としたものであり、テキストニュースも放送内容の文字起こしが主体になるのではないか。
理屈としては苦しいものの、何とか納得しそうになるのだが、話は単純ではない。新聞社や民放テレビ局からの反発もまた、この流れを後押ししたからである。何としてもネット業務を「必須業務化」したいNHKが、そうした反発をやわらげるために、独自コンテンツの廃止をのんだのではないか。
■新聞がこだわる「メディアの多元性」とは
全国の新聞社や民放テレビ局で作る、一般社団法人日本新聞協会は、これまで、NHKのネット業務の「必須業務化」に反対や懸念を何度も表明している。
直近では、2月20日付で同協会メディア開発委員会の出した「公共放送ワーキンググループ第2次取りまとめ(案)に対する意見」において、「なぜ必須業務化が必要なのかなどは明らかになっていない」と述べている。理由は、「配信する情報の範囲は地上波テレビ放送のネット業務と同様、限定的にしなければ、メディアの多元性を脅かす抜け道になりかねない」からである。
「メディアの多元性」とは何か。
乱暴に言い換えれば「いろんなメディア企業の延命」とでもなろうか。新聞協会が、NHKのインターネット業務について述べる文書では、10年以上前、たとえば2011年12月9日付のものから既に見られるので、同協会の中では常識というか、決まり文句なのだろう。
NHKがネットで存在感を増していくと、パイが少なくなっている中で、新聞を読む人がさらに減ったり、テレビがもっと見られなくなったりする。そんな懸念のあらわれから、「メディアの多元性」にこだわっているのではないか。
日本新聞協会が入居する日本プレスセンタービル(写真=Rs1421/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)
■新聞協会の考え方は「情報の多元性」を損なう
この問題を長く取材しているコピーライターでメディアコンサルタントの境治氏が述べるように、新聞協会の考え方は、「ニュースを読む側からすると、情報の多元性を損なうことになり大きな不利益」である。
NHKにとってさらに深刻なのは、境氏が述べるような「若者にもNHKの重要性を認識してもらうわずかな可能性がテキストニュースにはあった」にもかかわらず、今回の放送法改正案が成立すると、その可能性がほとんどなくなってしまうところにある。
NHKと新聞協会が、足の引っ張り合いをしているあいだに、読んだり見たりする人たち=顧客を逃してしまうのではないか。ネットは義務になるのに、肝心の中身は独自性を失い、放送と同じになるのなら、誰が進んで見ようとするだろうか。それが、NHKを襲う最大の「揺れ」にほかならない。
■「災害時の確かな情報発信」は例外だが…
先に示した文書で新聞協会は、今年元日の能登半島地震に触れ、「地方新聞社をはじめ新聞・通信社も災害時の確かな情報発信という役割を担っている」と誇る。その上で、次のように結んでいる。
メディアの多元性が一度毀損(きそん)されれば元の姿を取り戻すのは難しく、NHKのみが巨大な影響力を獲得することになりかねない。民主主義社会の財産である言論の多様性やメディアの多元性が損なわれることのないよう慎重な制度設計が行われることが重要だ。
そこまで「メディアの多元性」が重要ならば、NHKがネット上で独自コンテンツを展開するのも多元性に含まれるのではないか。それなのに今回の放送法改正では、「番組関連情報」を新しく設け、災害などの緊急情報を除いて、配信コンテンツは「番組と密接な関連を有する」もので、「番組の編集上必要な資料」に限定するとしている。
写真=iStock.com/Tero Vesalainen
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/Tero Vesalainen
■このままでは、NHKも新聞も潰れてしまう
ネットのコンテンツは、①視聴者の要望を満たす、②国民の生命・安全を確保する、③他メディアとの公正な競争の確保に支障を生じない、この3つの要件をすべて満たすものに限定される。3つめが「メディアの多元性」を確保するために求められていると言えよう。
一方で上記の新聞協会の文書にあるように「災害時の確かな情報発信」は例外なのである。平時に接点を減らしておいて、いざ災害の時は見てください、が、成り立つのだろうか。いつも見ていないメディアを、わざわざ見ようとするだろうか。
森下俊三氏がNHK経営委員長を退くにあたって、朝日新聞は「視聴者不在の構図」を、毎日新聞は「ジャーナリズムの使命」を盾に批判した。その批判は、「メディアの多元性」に照らして、ブーメランのように自分たちの主張=新聞協会の立場に、はね返ってくるのではないか。
NHKのさらされる内憂外患(内側のガバナンス不全、外側からの圧力)は、他山の石どころではなく、メディア業界全体が直面する喫緊の課題であり、このままでは、NHKだけではなく、あらゆるマスコミが潰れてしまいかねないのである。
———-
鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
———-
(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)