世界最強の半導体メーカーである台湾積体電路製造(TSMC)が2月24日、日本初の生産拠点となる熊本工場(熊本県菊陽町)で開所式を開いた。その直前には第2工場の建設計画が明らかになるなど、相次ぐ日本進出の背景には何があるのか。
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日本に活路を求める台湾の事情
台湾の半導体メーカーが日本で次々と工場を建設している。最大手の台湾積体電路製造(TSMC)が2月に熊本県で第2工場を建設すると発表したほか、宮城県でも別のメーカーが計画を進めている。一連の工場計画では半導体産業の再興など日本側の思惑ばかりに焦点が当たるが、これは台湾メーカーにとって副産物でしかない。もちろん、台湾海峡有事とも直接関係ない。せっかくの工場を有効活用するには、日本に活路を求める台湾側の事情を理解しておく必要がある。
熊本工場の開所式であいさつしたTSMC創業者の張忠謀氏(2024年2月24日、筆者提供)
「あなたは日本の歩留まりに驚くだろう」。TSMCの創業者である張忠謀(モリス・チャン)氏は2024年2月24日、熊本県菊陽町の第1工場の開所式であいさつし、ソニー(現ソニーグループ)共同創業者の盛田昭夫氏との思い出を語った。中国浙江省出身の在米華人だった張氏は米半導体大手テキサス・インスツルメンツ(TI)の副社長として1968年に初来日し、盛田氏と両社の合弁事業を話し合った。
盛田氏はその席で、日本の生産性の高さを告げたのだという。張氏はのちに鳩ケ谷工場(埼玉県)などTIグループの日本工場の立ち上げ責任者を務め、盛田氏の見立ての正しさを体感した。半導体産業の振興を目指す当局に請われて台湾に移住し、87年にTSMCを創業したのは「台湾と日本は文化や人材が似ている」ことが判断理由の一つだった。
受託生産の6割を占めるTSMC
TSMCは顧客が回路を設計した半導体チップの製造を請け負う「ファウンドリー」の専業会社だ。台湾の調査会社トレンドフォースによると、TSMCは2023年の世界のファウンドリー市場でシェア59%(金額ベース)を占めた(図参照)。半導体では近年、設計と製造の分業が定着し、世界生産の約4分の1をファウンドリーが担っている。TSMCは1社で世界の半導体チップの約15%を供給している計算となる。
台湾には聯華電子(UMC)、力晶積成電子製造(PSMC)などのファウンドリーもあり、23年は国・地域別シェアで67%を占めた。いずれもTSMCを追ってこの業態に参入してきた。このうちPSMCは23年10月、SBIホールディングスと提携し、宮城県大衡村に工場を建設することを発表済みだ。27年の稼働を目指している。
製造専業のファウンドリーは工場の生産性そのものが競争力であり、張氏が着目した台湾の強みが生きてきた。実際に、TSMCは中国・南京市などに技術の古い工場を持つものの、生産能力の9割以上を台湾域内に置いてきた。ところが、20年5月に米アリゾナ州での工場建設を決めると、熊本や独ドレスデンなど海外への工場展開を加速している。
TSMCはなぜ、工場の「脱台湾」へとかじを切ったのか。理由は大きく二つある。
米中摩擦で押し寄せる保護主義の波
一つは18年春の米中ハイテク摩擦の勃発を機に、半導体産業に保護主義が押し寄せてきたことだ。関税が原則ゼロだった半導体チップの輸出入は制裁・規制の対象となり、主要国・地域は経済安全保障の強化を理由に半導体工場への補助金拠出を競っている。張氏はこの状況を「グローバル化はひん死であり、自由貿易はほぼ死んだ」と嘆いている。
半導体チップは軽量な割に単価が高いため、本来は需要地に空輸しても採算を取りやすい。TSMCは台湾での集中生産によりチップのコストを下げ、全世界に輸出するビジネスモデルを築いてきたが、米中摩擦によって前提条件が崩れた。一方で、最先端の半導体工場は現在、建設費が1兆円規模まで膨らんでいる。巨額の補助金を享受できる場所に建設し、コストを下げることが合理的な経営判断となりつつある。
台湾の産業界を悩ませる「五欠」
もう一つは、台湾の産業界で「五欠(五つの不足)」が深刻化していることだ。五欠とは半導体工場の増え過ぎなどで水、電力、土地、現場の作業者、高度人材の五つが足りない現象を指す。TSMCは23年10月、台湾北部・桃園市で当局が拡張を進めているハイテクパークへの進出を見送ると表明したが、直後に五欠が遠因との報道が流れた。
経済部(経済省)は否定の声明を出したが、実際に台湾では大規模な停電が21年に2回、22年に1回発生している。半導体工場は大量の電力を消費するが、この時期は世界的な半導体不足で工場がフル稼働していた。脱原発を掲げてきた民主進歩党(民進党)政権は17年、稼働中の原発も25年に廃止することを決めている。太陽光や洋上風力など再生可能エネルギーで補う方針だが、産業界では季節や天候に左右される不安定さへの懸念が根強い。
半導体工場は大量の水も使うが、台湾では雨が少なかった20年に過去57年で最も深刻な干ばつが起こった。環境保護の観点からダムの増設は難しいという。台湾の地形は山が多く、工場に適した平地はどんどん減っている。合計特殊出生率は近年、1.0前後と世界最低水準で推移し、労働力が増える見込みもない。当局がいかに五欠を否定しようと、台湾の半導体メーカーが工場の海外展開を志向するのは自然な経営判断だといえる。
TSMCの海外工場を巡っては、半導体産業を対中抑止に使う台湾当局の「シリコンの盾」戦略の一環だとの解釈がある。これは誤解である。当局は確かにTSMCに6%強出資しているが、機関投資家が株主の多数を占めており、経営を左右する立場にない。TSMCは時価総額が7000億ドル(約100兆円)に達する巨大な上場企業であり、安保を基準にした経営で株主が納得するわけがない。
日本進出の理由は「アップルの要請」
では、台湾メーカーが工場の「脱出先」として日本を目指すのはなぜか。TSMCの魏哲家・最高経営責任者(CEO)はある講演会で、熊本の第1工場の建設理由について「サポートせねばならない顧客がいるためだ。その顧客は当社の最も重要な顧客のサプライヤーでもある」と語ったことがある。名指しを避けているが、これは「米アップルに画像センサーを供給しているソニーに協力するため」という意味である。
ソニーは菊陽町の工場で画像センサーを生産し、アップルのスマートフォン「iPhone」のカメラ用に大量供給している。センサーは画像データを処理する「ロジック半導体」と重ね合わせて使う。TSMCはソニーにロジック半導体を供給してきたが、アップルはサプライチェーン(供給網)を強靭(きょうじん)化するため菊陽町で生産することを求めたようだ。TSMCにとってアップルは売上高の約2割を占める最大顧客であり、要請に応じた。
TSMCが熊本工場の運営子会社であるJASMにソニーの出資を受け入れ、画像センサーと重ねやすい回路線幅22~28 ナノメートル(nm)のロジック半導体を生産すると決めたことにはこんな背景があった。日本ではこのスキームが発表された2021年10月、TSMCが最先端から10年ほど遅れた線幅の半導体を生産品目とすることに不満の声も出たが、これも誤解である。JASMは22年2月にはデンソーからの出資受け入れも決め、第1工場は自動車用の12~16ナノ半導体も生産することになった。
開所式には熊本県のPRキャラクター「くまモン」も登場した(2024年2月24日、筆者提供)
TSMCの思惑いかに
では、TSMCは熊本で第1工場が稼働する前に、なぜ第2工場の建設まで決めたのか。開所式における劉徳音董事長のあいさつに答えがある。劉氏は日本政府や熊本県、ソニーなどJASM出資企業に続き、工場建設を請け負った鹿島への感謝を強く表明した。第1工場は24年末に量産を始める計画だが、建屋は23年時点で完成していた。TSMCは余裕をもって量産立ち上げに臨める。
アリゾナ工場は正反対の状況にある。地元建設業の労働組合との調整が長引き、TSMCは23年7月、24年末の予定だった第1工場の稼働が25年にずれ込むと発表した。26年予定だった第2工場の稼働も27年~28年になる見通しだ。TSMCは23年12月、劉氏が今年6月に董事長を退任する人事を発表したが、台湾ではアリゾナの稼働遅れに伴う引責辞任だとの観測報道もある。米国同様に労組が強い独ドレスデンの工場も先行きが不安視されている。
建設費が巨額な半導体工場は投資を回収する上で、一日も早い稼働が望ましい。TSMCは日米欧から補助金付きのオファーを受け、全てに応えてみたものの、日本が最も工場運営に適していることに気が付いたのだろう。2月6日に建設を正式発表した熊本の第2工場は、通信や人工知能(AI)など日本の顧客が少ない線幅6ナノの先端半導体を生産する。第1工場に比べれば、輸出拠点の役割が大きくなるのではないか。
張氏は開所式で「半導体製造の日本におけるルネサンス(再興)の始まりだと信じている」と語ったが、総額1兆2000億円もの補助金を拠出する日本へのリップサービスの意味もあるだろう。TSMCが日本の半導体再興よりも自社の利益を優先するのは当然のことだ。日本側の関係者には台湾メーカーが曲折の末に日本工場にたどり着いた経緯を知ったうえで、ウィンウィンの関係を築くことを期待したい。
バナー写真:2024年末までに量産を始めるTSMCの生産子会社、JASMの熊本工場(熊本県菊陽町)=筆者提供