シンガポールなら美容師月収2倍に 日本職人ブランド化

海外出稼ぎで新たな人生の1ページを切り開こうとする人々にとって、着実に経済成長が進み、格安航空会社(LCC)の普及などで行き来しやすくなったアジアも選択肢に入るようになった。

欧米に比べて文化・習慣が日本に近く、日本に親しみを抱いている人が多いことも心強い。日本との時差もわずかだ。まるで日本国内を行き来するようなフラットな感覚でアジアを勤務先として選べるようになりつつある。

福岡県などで10年近く美容師として勤務したMIKIさん(32)は2022年、シンガポールに渡った。金融街や飲食店街が隣り合うタンジョン・パガー地区にある、日本人オーナーが営むヘアサロンで働く。「収入は日本にいた時のほぼ2倍。月に1回、国外旅行をしても貯金が増える」と喜ぶ。

MIKIさん(左)が働く「ヘアスタジオ・フラミンゴ」では高温多湿の地でも扱いやすい髪形を提案。日本製の薬剤なども扱う(写真:本人提供)

低賃金・長時間労働が当たり前の日本の職場環境に限界を感じていた。美容師の月収の相場は「年齢×1万円」。MIKIさんの年だと将来に向けた貯蓄すらままならない。経済発展に伴い、身だしなみにお金をかける人が増えたアジアの中で、清潔で治安のいいシンガポールを挑戦の舞台に選んだ。

客は日本人駐在員とその家族が4割、そして多民族国家ならではの中華系やマレー系、インド系などの地元住民が6割。「経験したことのない髪質に対応したり、明るいコミュニケーションを求められたりすることが、日本では得られない経験になっている」と語る。

もちろん、誰でも稼げるというわけではない。日本人オーナーの大塚龍さん(35)は「海外でも顧客と一対一で向き合うのは変わらない。採用面接では相手が期待するサービスを磨く向上心や協調性があるかを見極めている」と明かす。

競争が激しい日本で切磋琢磨(せっさたくま)した職人たちのスキルには競争力があり、海外で高く売れる。そこから経済的な成功に近づくためには、現地の言葉や商慣習を学び、人々の嗜好に合わせてサービスを現地化する創意工夫が欠かせないというわけだ。

「現地化」で新たな学び

今や現地化のノウハウを提供する養成学校も現れた。シドニーの「Maru Maru Pet Services(マルマルペットサービス)」はトリマーショップに養成学校を併設。日本の業界団体と連携し、海外勤務を希望するトリマーの現地教育や派遣のプログラムを手掛ける。

大阪府出身で23年11月からシドニーでペットトリマー(現地では「グルーマー」と呼ばれる)として働く宮本ちあきさん(27)は受講生の一人。英語力の弱さを自覚しており、エージェント会社を経由して、マルマルを知った。数週間、トリマーが知っておくべき英単語やフレーズなどのレクチャーを受け、日本人が働きやすいトリマーショップも紹介してもらった。

勤務する店ではカットやシャンプーといった作業を複数のスタッフで分担する。作業効率重視の働き方が学びに(写真:本人提供)

世話をする犬の頭数は、日本では1日3頭が限界だったが、オーストラリアでは7〜8頭に及ぶ。バリカンで効率的に毛を刈ったり、洗う作業を分担したりと、「日本に持ち帰れそうな効率的な働き方を学べている」と語る。帰国後は独立してトリマーショップを開くことを夢見る。「ここでの働き方を応用すれば、従業員の待遇などを上げていけるかもしれない」と感じている。

海の向こうへ飛び出した日本人たちは、賃金だけでなく新たに得られたスキルや知見にも手応えを感じている。こうした経験をいずれ持ち帰ることができれば、日本の労働環境を変えていくことにもつながるかもしれない。

「日本人の職人」がブランド化

物価が高ければ稼げるとは言えない──。海外出稼ぎと聞くと、こんな疑問を抱く人もいるだろう。確かに日本より生活費が高い国・地域は多い。だが、ここまでの本連載で見たように、物価高で知られる豪シドニーやシンガポールで働く日本人は、自分たちの稼ぎへの満足を口にする。稼ぎが十分にあれば、物価高は許容できるというわけだ。

アジア太平洋地域の主要都市で日本人に提示されている報酬を改めてまとめてみた。総じて東京に比べて高い。為替の円安がこの差の拡大に拍車をかける。高い技術はもちろん、何でも真面目に取り組む日本人の気質は海外でも評判。「日本人の職人」がブランド化していると言えるかもしれない。

東京の求人は厚生労働省の職業情報提供サイト「job tag」、海外都市の求人は東京すしアカデミー求人サイト「SUSHI JOB」や関係者への聞き取りを基に編集部作成

参考のためアジア太平洋地域の3都市の物価動向などを以下に紹介する。

生活費は都市比較サイト「Numbeo」を基に編集部作成

こうした評価は職人だけにとどまらないようだ。英国はワーキングホリデーによる日本人の受け入れ枠を2024年から大幅に拡大する。若者の交流機会を増やすとともに、日本の若者を労働力として取り込むことができる。

日本にとって働き手の流出は一見損失にも見える。若いIT(情報技術)エンジニアが次々と米国に渡ったインドではかつて「頭脳流出」と嘆かれ、彼らを裏切り者扱いする向きもあった。だが異国で技術と商才を磨き、インドに舞い戻る技術者の循環が生まれ、同国のスタートアップの隆盛を支える。

海外で働く若者らを日本のブランドアンバサダーや未来の革新者と捉え、日本の成長戦略に生かすようなしたたかさが求められる。

インバウンド接客で経験を還元

美容系求人サイト運営企業のトップが語る

鈴木一平(すずき・いっぺい)氏 リジョブ社長。2011年、検索サイト運営のじげん入社。求人事業部長などを経て、14年に傘下企業であるリジョブのトップに就任

海外で職務経験を積んだ日本人が戻ってきた際、期待されるのがインバウンド(訪日外国人)の接客だ。インバウンドは日本流サービスの質の高さを熟知し、「コト消費」としてヘッドスパやエステ体験を希望する。海外経験を生かしたサービスを提供してもらえれば満足度が上がり、それが付加価値となって日本に還元される。

当社グループは美容・ヘルスケア業界の求人サイトの運営や予約システムの開発を手掛けているが、顧客の中には、ウェブサイトの多言語化などに対応したことで、インバウンドを開拓できている店もある。店頭でシャンプーなどの商品をまとめ買いする顧客も多く、収益拡大に貢献している。

これまでこの業界の賃金がなかなか伸びてこなかった背景には、専門職が培ってきた経験をデータとして示しにくかったことがある。近年は施術後の客の髪形やネイルをSNS(交流サイト)に投稿することで、自己の技術アピールや集客の手段として役立てる人もいるが、まだ全体のごく一部だ。

将来は予約システムや満足度アンケートとデータを連動させ、例えば、スタッフ別に「XX国籍の人向けの接客経験がある」「YY百人の客が満足している」といったスコアを出し、転職時にも示せる仕組みをつくりたい。その人が生む付加価値に見合った賃金での雇用やキャリアアップができるようになるはずだ。(談)

(日経ビジネス 藤田太郎、関ひらら)

[日経ビジネス電子版 2023年2月5日の記事を再構成]

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