宮城のワイン復活へ、畑違いの男性が立ち上がったワケは… 仙台・秋保ワイナリー10年

東日本大震災をきっかけに生まれた仙台秋保醸造所(秋保ワイナリー)は10日、創業10年を迎えた。震災発生時は設計事務所の社員だった毛利親房社長(55)が「震災で途絶えた宮城のワイン産業を復活させたい」と起業。県内を代表する醸造家となり、後進の育成にも力を注いできた。被災地の漁業者や農業者を応援しようと、食の魅力を発信する事業にも挑む。
(報道部・小関みゆ紀)

年間6万人が訪れる観光スポット

 秋保街道を折れて坂道を上がると、約7000本のブドウの木々が出迎える。耕作放棄地がブドウ畑に生まれ変わったのは2014年の春。毛利さんが自ら土を掘り起こし、1200本の苗木を植えた。

 現在は2・1ヘクタールで13種類のブドウを栽培。自社ブドウ100%で醸造した赤ワイン「アキウ・メルロー」など計16種を年4万本近く販売する。テイスティングができるワイナリーは年間約6万人が訪れる観光スポットとなった。

 毛利さんは「ワインの評価は毎年高くなってきているが、東北への貢献度は(登山で例えるなら)まだ2合目くらい」と語る。

宮城県内唯一のワイナリーが被災

 震災発生時は仙台市内の設計事務所に勤めていた。家族も自宅も無事だったが、かつて手がけた沿岸部の施設は津波で大破し、建築の弱さを突きつけられた。

 12年に出席した復興関連の会議で、漁師たちと出会ったことが醸造家の道に進んだきっかけになった。東京電力福島第1原発事故の風評被害に打つ手を失っていた。

 山元町にあった宮城県内唯一のワイナリーが被災して廃業したことを知り、「ワイナリーを復活させ、ワインツーリズムで世界中から観光客を呼び込み、農家や漁師の販路を開こう」と発案。行政の復興計画には採用されなかったため、自ら実現させると決意した。

 13年に山元町で植えた26本の苗木は塩害で育たなかった。断念することも考えたが、「納得いくまでやればいい」と妻に背を押され、夢が諦められなくなった。もう一度土地を探し、秋保にたどり着いた。

 14年3月10日。「何のために始めたかを絶対忘れないように」と仙台秋保醸造所を登記した。翌年、念願の秋保ワイナリーをオープン。3年後には黒字化を達成した。

7月にレストランをオープン

 新型コロナウイルス禍による売り上げ激減など足踏みもあったが、東北の食の魅力を広めるツーリズムに注力する。18年に生産者や料理人と「テロワージュ東北」を立ち上げ、仙台市内を中心に食のイベントを重ねている。

 理想の姿は国内外からの観光客が産地に足を運び、生産者の熱意に触れ、その場で調理された地元の食材と酒を味わう一連の「食体験」だ。その実現に向け、7月には秋保ワイナリーにイタリアンレストラン「テロワージュ秋保」をオープンさせる。

 「最高のマリアージュ(食と酒のペアリング)で生産者を応援し、東北でツーリズムを起こす。レストランはその大きな一歩になる」。10年前と変わらぬ目的地を目指し、歩み続ける。

宮城のワイン産業、気鋭の担い手続々

 ワイン産業が一時途絶えた宮城には現在、八つのワイナリーがあり、新規開業に向けたプロジェクトも少なくとも七つ進んでいる。経営者や醸造家の中には、毛利さんが営む秋保ワイナリーでブドウ栽培やワイン造りの知識を学んだ人も多い。

 2022年12月に「good’ay winery(グッディーワイナリー)」を立ち上げた醸造家の出戸茂さん(52)は、秋保ワイナリー出身。毛利さんの事業の構想段階から歩みを共にし、設立後は醸造責任者としてブドウの栽培と醸造に汗を流してきた。

 グッディ・ワイナリーは醸造所を持たない。出戸さんは独立後も毛利さんから秋保の設備を借りるなど、バックアップを受ける。

 秋保でブドウ栽培やワイン醸造の知識を学んだ人は県内外で約30人に上る。「『いろんな人が出入りしているワイナリーだ』と言う人もいるが、(宮城のワイン産業に対する)毛利さんの貢献は大きい」と出戸さん。同業者が増えるほど、毛利さんが描くワインツーリズムは奥行きが増す。

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