TSMCが人材を独占し、日本企業は生き残れなくなる? 高給だけじゃない「熊本工場」の衝撃度

<JASMが提示した「大卒で28万円」という破格の初任給が話題だが、tsmcは日本を単なる下請けと見ているわけではない。本誌「tsmcのヒミツ」特集より>

世界の最先端半導体生産の圧倒的シェアを占める台湾企業TSMCの熊本工場が、2月24日に始動した。AIやEV、次世代通信に欠かせない半導体は戦略物資として各国が生産と確保にしのぎを削る。なぜTSMCは世界をリードするトップ企業に成長したのか。日本への工場進出はその戦略上どんな狙いからなのか。台湾人ジャーナリストでTSMC取材歴30年の林宏文(リン・ホンウェン)氏の著書『tsmc 世界を動かすヒミツ』(CCCメディアハウスから3月22日刊行)から、そのヒミツを探る。

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TSMC熊本工場のヒミツ

熊本県菊陽町は人口4万人ほどの小さな町だ。2022年の春、半導体工場の建設がこの地で始まったことで、菊陽町は一躍脚光を浴び、工業用地の地価だけでなく、商業用不動産の価格も急騰した。新工場の建設はほぼ24時間体制で進められ、静かな地方都市だった菊陽町が眠らない街へと一変した。

工場とはTSMCとソニー、デンソーが共同出資したJASM(ジャパン・アドバンスト・セミコンダクター・マニュファクチャリング)だ。投資総額約86億ドルのうち、日本政府からの補助金は最大4760億円で、日本で最先端の半導体工場になると同時に、過去最大の半導体投資プロジェクトでもある。

九州はかつて日本の半導体産業にとって重要な場所であり、自動車産業のサプライチェーンもあるため、TSMCと日系企業の合弁会社JASMが熊本に誕生したことが、日本の半導体産業と自動車産業を奮起させている。

JASMは現時点で半導体チップで月産5万5000枚、プロセス技術は28~10ナノメートルの間を予定している。TSMCアリゾナ工場の投資プロジェクトと違うところは、TSMCがJASMの全株式を保有するのではなく、株式保有構造上、TSMCが50%超、ソニーが20%未満、デンソーが10%超となっている点だ。

TSMCは現在、中国とアメリカと日本で大型工場を建設しているが、JASMは現時点でTSMCが顧客と共に設立した唯一の合弁会社である。この点から、このプロジェクトに特別な意義があることが分かる。

というのも、この工場が生産するのはソニーやデンソー向けのCMOSイメージセンサー(CIS)や車用チップで、全量が特定の顧客に供給されることになっている。これには日本側と共に出資して、双方の結び付きを保証する意味合いがある。

TSMCが日本でJASMに投資するのは、1つにはもちろん地政学的な理由があるからだ。日本は安倍政権の時代からTSMCに対して積極的に工場誘致を働きかけてきた。TSMCの工場を誘致することで、後れを取っている日本の半導体製造技術をキャッチアップさせ、より即時的な現地供給を実現できるようにしたいという期待が日本側にはあるからだ。

だがTSMCの側からすると、JASMへの投資とアメリカへの投資は少し様相が異なっている。TSMCのシーシー・ウェイ(魏哲家)CEOは以前に、TSMCが各国で工場に投資するのは主に顧客のためであり、日本工場の建設もそれと同じだと話している。

シーシー・ウェイは、日本は生産コストが低い場所ではないと言う。その日本に工場を設置する理由は「ある顧客をどうしても支えなければならない」からで、この日本の顧客とは、TSMCの主要顧客のサプライヤーでもある。主要顧客の製品が売れなければ、TSMCの3ナノメートルや5ナノメートルも売り先がなくなる。

日本はよりチャンスが多い

シーシー・ウェイの言う「ある顧客」とはソニーだ。ソニーは世界最大のCISサプライヤーで、アップルにCISを提供している。

そのアップルはTSMCの営業収入の26%を占める最大顧客で、アップルのスマートフォンやタブレットには相当数のCISが使用されているため、もしCISが手に入らなくなったらアップルはこうした製品を販売できなくなる。つまり、ソニーを支えるために日本に工場を構えるということは、アップルを支えるのと同じことなのだ。

とはいうものの、TSMCの日本での工場配置は、アメリカでの工場建設と2つの点で異なっている。

1つは、日本の生産コストはアメリカほど高くはなく、日本人従業員の企業文化や仕事に対する姿勢も台湾人と似ていること、もう1つはTSMCが日本で行う投資はウエハー製造に加え、日本のIDM企業向け設計サービスや、3次元ICのパッケージングなどが含まれて、より包括的になっている点だ。

日本の生産コストがアメリカより低いことは、1人当たりGDPを見ても分かる。21年の日本の1人当たりGDPは3万9800ドルだが、アメリカは7万ドル以上に達しており、台湾は約3万3000ドルだった。

とはいえ台湾の1人当たりGDPはここ数年で急成長しているため、24年頃には日本に追い付くだろうと多くの専門家が予測している。日本の生産コストがアメリカよりも低いと話した理由はここにある。

日本の1人当たりGDPが増えないため、日本人の給与も少しずつしか上がらない。そしてその傾向はハイテク産業でより顕著だ。TSMCの現在の給与水準は日本のほとんどの大企業を上回っている。

JASMが提示した初任給は大卒が28万円、修士が32万円、博士が36万円だが、熊本県が2021年4月に地元企業を対象として行った調査によると、大卒エンジニアの平均初任給はわずか19万円で、JASMの給与が地元水準を大きく上回っていることが分かった。

JASMの給与に多くの日系企業が衝撃を受けたという。TSMCが高給で人材を独り占めしたらわれわれが生き残れなくなると多くの企業が愚痴をこぼしたが、この衝撃がソニーや三菱、ルネサスエレクトロニクス、東芝、ロームといった半導体メーカーの採用に影響を与えるのは間違いないだろう。

次に、TSMCが日本に対しては、熊本の12インチ工場以外にも、横浜と大阪へのIC設計センター(TSMCジャパンデザインセンター)の設置と、茨城県への3次元IC先端パッケージング研究開発センター(TSMCジャパン3DIC研究開発センター)の設置というかなり包括的な投資を行っている点だ。

IC設計分野では、TSMCは19年から既に東京大学と先端半導体の技術提携を行っており、20年には横浜に最初のIC設計センターを、22年末には大阪に2つ目のIC設計センターを設立した。

この2つのIC設計センターは台湾本社の研究開発センターと直結しており、3ナノメートル先端プロセスの研究開発に参加すると同時に、顧客である日本のIDM大手の設計サービスを支援することにもなっている。

ウエハー製造分野について日本の業界筋は、TSMCは今後、熊本に第2工場を設立して、より先進的な7ナノメートルプロセスを導入する可能性があるという(24年2月6日に正式決定。トヨタ自動車も出資し27年の開業を目指す)。

これらを総合すると、TSMCの日本での生産コストは比較的低く抑えられ、利益獲得の機会は大幅に増え、より包括的なレイアウトが行われたということになる。

日本の顧客とより深いパートナーシップを結ぶだけでなく、TSMCは日本を、設計やパッケージング・検査、より高度なプロセス等を研究開発し、人材を増員するための重要な海外拠点と見なし、特に半導体材料開発と人的資源における日本の優位性を吸収して、台湾の先端プロセスと先端パッケージングの量産能力をさらに向上させようとしている。

林 宏文
Lin Hung-Wen

台湾の経済・テクノロジー記者。経済日報記者、週刊誌「今周刊」副編集長などを経て作家に。TSMC取材30年の成果をまとめた『晶片島上的光芒(半導体の島・台湾の輝き)』を昨年7月に上梓(3月22日に日本語訳版『tsmc 世界を動かすヒミツ』がCCCメディアハウス社から刊行)。ほかに『恵普人才学(ヒューレット・パッカードの人材学)』、『商業大鰐SAMSUNG(ビジネスの大物SAMSUNG)』などの著書がある。

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<本誌2024年3月19/26日合併号掲載>

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