全国で相次いだ広域強盗事件では、「ルフィ」と名乗って京都市での犯行を指示したとして、特殊詐欺グループの幹部とされる今村磨人容疑者(39)が逮捕された。指示の発信源とみられるのは東南アジアの島国フィリピンだ。日本で報道が過熱し、今村容疑者を含むグループの幹部4人が日本に強制送還されたのは今年2月。事件は現地に何を残したのか。マニラ首都圏を歩いた。(特殊詐欺取材班) 【写真】ビクタン収容所 フィリピン入国管理局の本部は、スペイン統治時代の面影が残るマニラ首都圏の旧市街そばに立つ。来庁者でごった返すオフィス内に足を運ぶと、サンドバル報道官がインタビューに応じてくれた。 「事件は私たちにとって、改善の契機をくれた大きな出来事だった」 1月下旬、日本で表面化した広域強盗事件を巡って入管が管轄する収容施設が注目を浴びた。首都圏郊外の「ビクタン収容所」だ。拘束されていた今村容疑者、渡辺優樹被告(39)ら4人が一連の強盗事件の指示を出していた疑惑が浮上した。 4人は特殊詐欺グループの幹部とされ、収容所では職員に賄賂を渡して通信機器を使い、塀の外とやりとりをしていたという。日本での特殊詐欺や強盗の被害金などが、賄賂の原資とみられる。
収容所の過密が常態化
疑惑が持ち上がって間もない1月末。フィリピン入管は捜査機関と合同でビクタン収容所を立ち入り検査した。押収されたのは多数のスマートフォンやパソコン、SIMカードなど。刃物やトランプといった品々も見つかった。 入管によると、収容所は通信機器の利用が全面的に禁止されているわけではない。単純なビザ切れの外国人も過ごす施設であり、人権上の配慮とされる。 「問題なのは、多くが許可を得ずに持ち込まれた品だったことだ」とサンドバル氏。不正利用を黙認したとして施設長ら職員36人の更迭に踏み切った。 各国の犯罪者らの拘束が後を絶たないため、入所者は膨れ上がっていた。取材班が現地を訪れたのは4月下旬。この時点でも定員の3倍近い約280人が入所しており、うち17人は日本人だった。収容所から出てきた女性に中の様子を聞くと、「缶詰のように人が多い。私が歩くすぐ横で何人も寝ている」と教えてくれた。過密が常態化したことで、職員の目が行き届かず、管理が徹底できない状態を招いたという見方もある。 問題の解消に向け、サンドバル氏は収容施設を新設する検討を始めたことも明かした。そこに入管の本部も入居させる計画だという。「中長期的な視点で改善を試みている」と胸を張った。
でっち上げ告訴に厳しく警告
取材班は犯罪対策を司る同国の法務省にも向かった。ここではクラバノ報道官が省内の一室に招き入れてくれた。 「『ルフィ』らが収容所内から犯行の指示をしていたというのは事実だ。犯罪の逃亡者が通信機器やテレビにアクセスできていたのが大きな課題だった。この事件から多くのことを学べた」 クラバノ氏もまた、苦々しい表情を浮かべながら振り返った。 犯行の過程にはフィリピンの司法制度の悪用もあったとされる。国内で刑事裁判が続く場合は国外退去させられないルールがあり、4人は虚偽の事件を仕立てて収容所にとどまったとみられている。 「彼らのでっち上げの告訴は強制送還の最大のハードルになった。二度とそんなやり方で政府の手を煩わせないよう国内の弁護士に厳しい警告を出した」。クラバノ氏はそう説明した。 では、収容者が施設職員に賄賂を渡していたことへの対策はどうか。疑問をぶつけると、クラバノ氏は顔を曇らせた。公務員給与の低さなどを背景とする根深い課題だからだろう。 「政府全体で取り組む問題だ。私見だが教育改革やインフラ整備を進め、国民全体の給与を上げていく必要がある」。管轄外の質問だったようだが、丁寧に答えてくれた。現地の当局者を取材し、少なくとも表向きは、フィリピン政府が真摯に事件の再発防止を目指そうとする姿勢が見えた。 一方、警視庁は2021年2月までに渡辺被告らの逮捕状を取り、フィリピン側に移送を要請していた。司法制度の悪用などがあったとはいえ、広域強盗の社会問題化後、速やかに4人が強制送還された経緯を見ると、日本側の対応にも甘さがあったと言わざるを得ない。
個人情報登録なし、プリペイド式SIMが普及
フィリピンに拠点を置く犯罪組織は日本人だけではない。中国や韓国のグループの摘発も相次いでいる。なぜ各国から犯罪組織が集ってくるのか。距離的な近さのほかに、犯行の「ツール」となる携帯電話の通信に必要なSIMカードが入手しやすいことが挙げられる。 現地では個人情報の登録なしで利用できるプリペイド式が普及してきた。ショッピングモールや街中を歩くと、至る所に販売店がある。 身分証を提示することなく安く、大量に買えるとして、現地のプリペイド式SIMは日本の特殊詐欺をはじめ、国内外の犯罪への悪用が指摘されてきた。 これに対し、政府も対策に動いた。個人情報の登録を義務付ける新法を昨年、施行したのだ。広域強盗事件が対策の引き金になったわけではないが、現地では大きな転換と受け止められている。 ただ、賛否は分かれているようだった。大学生女性は手続きの面倒さを嘆きつつ「個人情報と結びつけば犯罪の抑止になる」と理解を示した。一方、SIM販売店の店員女性は「偽造身分証を出されたら確認できない。抜け穴はある」と冷ややかに語った。 そんな中、既存のSIMの登録期限だった4月26日。現地紙の朝刊1面には「マルコス大統領、登録期限を90日延長」のニュースが載った。理解が広がらず、登録が国民の5割にとどまったためという。悪用の防止と、国民生活の利便性の確保。その両立は各国共通の課題のようだった。
脱走計画は実行されず強制送還に
取材班は4月下旬の帰国前日、現地の犯罪情勢に詳しいジャーナリストに面会した。事件を追いかけてきた現地テレビ局「GMA」のプロデューサー、ジョン・コンスルタ氏だ。 コンスルタ氏が現地当局者たちへの取材に基づいて語ったのは、ビクタン収容所に収容されていた渡辺被告らを巡る舞台裏だった。「実は…」。そう前置きし、渡辺被告が収容所からの脱走を計画していたことに言及した。 体調不良を装って病院に移り、そこから抜け出すというものだ。現地の別グループが手引きし、病院や入管といった各関係機関を多額の資金で買収する構想だったらしい。察知した現地当局がセキュリティーを厳重にして警戒。この計画が実行されることはなく、渡辺被告ら4人は日本へ強制送還された。 「強盗にまで発展し、残念だ。収容所から指示が出されていたことを私も心苦しく思う。フィリピンを拠点とする犯罪組織をなくさなければならないと自国民に伝えていきたい」。コンスルタ氏はそう締めくくった。 この記事は、中国新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。