VTuber「にじさんじ」が上場、時価総額1600億円に達したワケ

 「にじさんじ」の時価総額が「テレ朝」と肩を並べる日が来たーー。

 仮想世界で活躍する著名タレントを擁する、バーチャルYouTuber(VTuber)事務所「にじさんじ」を運営する「ANYCOLOR」が6月8日に上場した。初日は制限値幅一杯でも値段がつかず、当初の想定時価総額450億円から、9日時点の時価総額は1600億円にまで達した。

 1600億円の時価総額といえば、テレビ朝日ホールディングスや旅行大手のH.I.Sに匹敵する規模感だ。バーチャル世界のタレント事務所がテレビ局の持ち株会社と肩を並べる日が来ると、誰が予期していただろうか。

 コロナ禍でリアルイベントが自粛に追いやられる中、VTuber人気は着々と裾野を広げてきた。Googleの検索ワードボリュームの推移が確認できる「GoogleTrends」のデータによれば、2022年の1月から「バーチャルYoutuber」の検索ボリュームは「欅坂46」を上回っており、その差は徐々に広がっている。

 市場のトレンドをつかみ、東証グロース(旧マザーズ)市場の3位の時価総額に躍り出たANYCOLOR、同社の運営するにじさんじの魅力とは何だろうか。

●社長は26歳、最年少クラスの上場へ

 ANYCOLORは、かつては「いちから」という名称でサイコロの1の目を模したロゴを冠していた。CEOの田角陸氏は1996年2月3日生まれの26歳だ。この年齢での上場はほぼ最年少クラスとなる。

 田角氏は、25歳1カ月で最年少上場を果たしたリブセンスの村上太一氏と同じ早稲田大学の出身。2017年に学生起業家としてそのキャリアをスタートしたという異色の経歴を有する。

 そんな田角氏が率いるVTuber事務所だが、VTuberといえば「キズナアイ」氏をはじめとして、さまざまな先行者が当時から存在していた。ライバルに大手VTuberプロダクションである「ホロライブ」を運営するカバー社もあり、決してその競争環境は緩やかなものではなかった。

 にじさんじが先行者よりも急速に規模を大きくできた要因にはどのようなものがあるのだろうか。それは、VTuberのコスト構造に変化をもたらした点が大きい。

●にじさんじがVTuber業界のコスト構造に変革を起こした

 にじさんじが現れるまでのVTuber業界は、高度な専門性が必要で、収録に専用のスタジオが必要な3Dモデルが一般的だった。この時はいわば「第一次VTuberブーム」であり、キズナアイ氏やミライアカリ氏といった3DモデルベースのVTuberが隆盛を誇った。

しかし、ブームに目をつけた事業者が相次いでVTuberに参入した結果、競争は激化した。そのため、高コスト体質であるにもかかわらず薄利多売のようなビジネス構造となってしまったのだ。

 事業者の中には、ファンの求めていた「タレントのかわいさ・かっこよさ」や「面白さ」といった本質的な提供価値を見失ったところもあった。「技術力を高める」ことで競争に勝とうと大きな資金を投入した結果、撤退を余儀なくされるパターンも生じた。

 そんな“業界の疲弊”が顕著になり始めた18年から、急激に頭角を表してきたのがANYCOLORの「にじさんじ」だ。Live2Dモデルという、2次元のイラストを動かす技術を使って参入してきたVTuberグループ事務所である。当時は少数のタレントをマネジメントしていた事務所が主流であったなか、「VTuberグループ事務所」という構成も当時としては珍しかった。

 3Dモデルを動かすためには専用のスタジオが必要な反面、Live2Dモデルを動かすにはWebカメラさえあればいい。そのため、タレントはコストのかかるスタジオに赴く必要がなく、自宅からいつでも好きな時に配信することができる。

 さらに、Live2Dモデルのイラストを著名なイラストレーターに依頼することで、イラストレーターのファンからのユーザー流入が発生するといった効果も現れていた。

 黎明期はファン層からの冷ややかな視線もあった。2Dモデルの配信メインの運営について、一部の熱心な層からは「3DモデルでなければVTuberではない」といった批判もみられていた。

 しかし、ユーザーニーズの根幹である「タレントのかわいさ・かっこよさ」「面白さ」といった本質的な要素は、低コストの2Dモデルでも十分に充足可能だ。だからこそ今では2DモデルでデビューするVTuberが主流になっているのである。

 そこで、にじさんじは初期に2Dモデルメインで低コスト・高収益のビジネスモデルを確立し、体力を付けた。それを基盤として、3Dの高精度なモデリングや高品質なバーチャルライブ環境の整備にも乗り出すことができている。

 にじさんじ成功の要因は、高コストで疲弊していたVTuber業界の慣習をなぞるのではなく、新しい独自のアプローチで効率的にユーザーニーズを満たすことができたという点にあるといえるだろう。

●時価総額はエイベックスの3倍近くに……高すぎる?

 そんな「にじさんじ」を運営するANYCOLORであるが、1500億円という時価総額はプロダクション事業というセクターで比較すると突出して高い点に注意が必要だ。

 例えば、福山雅治氏やサザンオールスターズの桑田佳祐氏といった超有名アーティストを複数擁する大手芸能事務所である「アミューズ」も上場しているものの、その時価総額は384億円にとどまる。

 他にもヒカキン氏の「UUUM」(時価総額298億円)や浜崎あゆみ、安室奈美恵、EXILEの「エイベックス」(時価総額585億円)をも遥かに凌ぐ時価総額だ。そう考えると、ANYCOLORは知名度の割には高すぎる時価総額にも見える。

 そこで、ANYCOLORとアミューズの売上高・営業利益を比較してみよう。アミューズの業績はそれぞれ387億円、28億円程度だ。ANYCOLORの業績はそれぞれ76億円、9億円で、両者を比較するとアミューズの4倍近い時価総額がつくのはやはり疑問とも思える。

 そもそも上場時の想定値付はアミューズと近い446億円であったことから、大和証券のような主幹事証券会社にとっても、ANYCOLORへの市場の値付けはサプライズだったのかもしれない。

 それでも市場が高値で評価するのは、VTuberの可能性に期待があるのもさることながら、利益率の高さと業績の伸び率の高さにある。ANYCOLORの売上高営業利益率は11.8%と、アミューズの7.2%よりも1.6倍ほど効率的だ。

 また、昨期から売上高は34億円から76億円に、営業利益は4400万円から9億円へと急成長している。一方、アミューズの場合はコロナ禍もあって2期連続で減収・減益となっており、昨期は398億円、35億円であった。

 コロナ禍でリアルのイベントが停滞する中、自宅で楽しめるエンタメとして配信業やゲーム業界が恩恵を受けたが、VTuberもその文脈で業績の拡大に成功したようだ。今後も同じような成長率を維持できるのであれば、「高すぎる」と断じるのも早計かもしれない。

●VTuber事務所の課題

 そんな破竹の勢いで進撃する「にじさんじ」にも課題はある。大きなリスクは炎上リスクと、ライバーの引退リスクだ。

 ANYCOLORの収益のほとんどが、ライバー人気に下支えされた企業との案件や投げ銭に依存していることから、ひとたび大きな炎上事案が発生すれば「ファン離れ」と「企業PR案件の減少による業績への悪影響」というダブルパンチを受けることになる。

 タレントの引退リスクにも注意しなければならない。UUUMでは、所属YouTuberが同社のマネジメント体制に不満を感じ、脱退が相次いだことなどもあり、時価総額が上場時の1000億円超から300億円まで大幅に縮小している。

 VTuber事務所の場合は、モデルやイラストの権利をVTuber事務所側が押さえているため、モデルとイラストを持ってソロ活動デビューすることが難しい。そのため通常のYouTuberに比べて脱退リスクは小さいと考えられるものの、にじさんじでは、御伽原江良氏や鈴原るる氏といった有名“VTuberの魂”(注:いわゆる『中の人』だが、VTuberは人間であるため、『中の人』という概念が存在しないため、魂と呼ばれる)が、別の形で“転生”するといったパターンも発生している。

 VTuberの所属タレントの多くは正社員ではなく、業務委託の個人事業主として契約しているパターンが多い。そしてファンも、確かに初めは「イラストが可愛い」といった動機で配信を見るパターンもあるだろうが、やはり本質はその人自身のトークスキルや可愛らしさ、かっこよさといった部分に惹かれるわけだ。

 そうすると、いかにモデル、「ガワ」の権利が押さえられていても引退・転生リスクを大幅に減らすことは難しい。そんな時、事務所としては炎上リスクや引退リスクを抑えるためにマネジメントの腕が問われることとなる。

 ANYCOLORは今回のIPOで19.9億円を市場から調達した。その使徒は「事業拡大にかかわる採用費及び人件費に充当する予定」という。そうすると、ANYCOLORのマネジメント体制は上場を機にさらに強化されてくることになるだろう。

 直近では、お嬢様言葉を放つにじさんじの注目新人、壱百満天原(ひゃくまんてんばら)サロメ氏が、デビューから14日で100万登録を達成した。今後の彼女の活躍にも期待がかかる。

(古田拓也 カンバンクラウドCFO)

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