ロックが世界を救うと信じてきた。「日本を忘れないで」シンディ・ローパーが世界にアピール

3月12日、世界的なミュージシャン、シンディ・ローパーさんが外国特派員協会で会見を開きました。シンディ・ローパーさんは昨年、ツアーで来日中に東日本大震災が発生しましたが、帰国することなく日本に留まりました。今回、石巻市を訪問し被災地の現状を見てきた彼女が、世界に対し「日本を忘れないで」とアピールしました。【取材:BLGOS編集部 田野幸伸 翻訳:藤井康太】
シンディ・ローパー(以下シンディ):こういう記者会見がどういうふうにすすむのか、初めてだから知らないのだけど、頼まれたのでどういうものかと思って引き受けてみました。皆さんお元気ですか?(会場笑)
(昨年震災発生時に偶然にもツアーで来日した際に)そのままとどまりました。なぜなら、この国と私の間には長い歴史があるのです。1983年から日本には来ています。日本人の仕事仲間とは、ほんとに長時間一緒に働いてきました。よく皆さんが(音楽業界での仕事は)そんなに華やかじゃないというように、まさにその通りで、14時間、15時間、ときには、1日18時間働いたりもありました。スポットライトを浴びなくても私の隣で同じくらい懸命に働いている彼らを知って、大好きになりました。
初めて日本で「True Colors」を歌ったとき、オーディエンスの大部分は日本人だったのですが、彼らが歌い返してくれたのです。アクセントが素晴らしかったのを覚えています。まあ、私もアクセントがあるけど、幸いにもこの国の方もいろんなアクセントを持っていて(笑)
私には政治的なアジェンダは何もありません。世界にただ言いたいことは、日本のことを忘れないでくださいということです。本当に衝撃的でした。
私には福島に住んでいる友人がいます。彼女は10分間もの間ずっと地震の揺れを経験したようです。彼女は「みんな頑張ってと言います、でもそれが難しい」と言いました。私たちは人間なのです。彼女はまだショックを受けています。彼女には仕事がありません。多くの人が現在まだ仕事がない状況です。「私たちは大丈夫」と言う一方で、仕事がない状況では前に進むのは難しいものです。
米国でもローレンスで同じような状況がありました。「くずれる!どこかへ全員避難せよ」って。でもどこに行けばよいのでしょう?彼らは貧しいのです。福島と仙台エリアではおそらく人々は充分に早くこの状況から抜け出すことができないのではないでしょうか?
これは大変な悲劇です。でも皆前に進もうとしています。言いたいのは「日本を忘れないで」ということです。80年代90年代、世界が危機にあるとき日本はいつもそれを救ってきたのを覚えています。今は日本の危機です。世界中で本当に多くのひどいことが起きてきました。でも皆前進しようと頑張っているのだから、彼らのことを忘れないで愛を送りましょう。もし、大変な地域に友達がいれば、連絡をとりつづけましょう。自分が彼らのためにいるということをわかってもらえるでしょう。
私は(昨年震災の際に、日本に)残りました。なぜなら音楽は人を気分転換させてくれるからです。70分から80分間でしょうか、皆で集まって一緒に歌う。音楽は癒しだと思います。もしかすると、お客さんは少しだけ辛いことを忘れて、気が楽になるかもしれません。現実に戻ったときそんなに辛くないと少しでも思えるかもしれません。音楽は私を助けてくれたので、それを皆さんにも伝えているだけかもしれません。
でも、皆さんに思い出してほしいのは、状況はほんとにひどかったということです。私の国まで大きな塊のように津波が襲ってきたくらいだったので、皆、何が起こっているのか、どんなひどいレベルなのか理解していたと思います。
私は大統領選に立候補するわけでもありませんし(笑)ただのロックンローラーです。いつもロックが世界を救うと信じてきました。いまだに、それが私の起源であり、どのように成長してきたかということでもあります。ライブエイドの精神とともに音楽が私たちに与えてくれたこと、ビートルズが教えてくれたこと、ジョンとヨーコが教えてくれたこと。これを伝えていくべきだし、友だちのことを忘れてはいけません。友人に電話をしたり家に呼んだり、一緒にいるってことは大切だと思います。
(オブザーバーの湯川さんに)何か言いたいことある?彼女は日本ではロックンロール音楽のグーグル(翻訳してくれるという意味と思われる)です。彼女は日本でずっと付き添ってくれました。
湯川:私は基本的にオブザーバーですが、シンディが今回の来日でどこを訪問したのか説明したいと思います。
彼女は宮城県でいくつかの場所を訪れたのですが、小学校にも訪問しました。そこの小学校は犠牲者は少なかったのですが、子供たちは3階まで避難しないといけませんでした。そこで3日間を過ごさざるを得ず、そこの学校は屋上でSOSの文字を書いて救助を求めたということで有名になりました。
また、津波の被害にあった楽器店も訪問しました。そのお店の一台のピアノが「ピア子」として有名になりました。そのピアノを「ピア子」と名付けたのです。昨日、被害を受けたピアノを修理して、現地の学校に寄付したいということも話しておりました。
彼女は西光寺というお寺も訪問しました。
シンディ:仏教のお寺です。ダライ・ラマもそのお寺を訪問しました。「荒廃している場所」に実際に行ってみると、本当に荒廃しているということを心から感じるのです。心が引き裂かれるような気持ちです。お寺の中に入ると、台の上に袋があって、一部はほんとにこんなに小さくて。。誰も名乗りでない袋もあって。。それらは誰かが名乗りでてくれるのを待っている遺骨袋なのです。あるお坊さんが「あの男を知っているよ、息子と同い年くらいだったなぁ」と私に言ったのです。。
悲劇というものは皆の心をうつものですが、これはとんでもないレベルでした。これが街全体に広がっていたのです。街全体にです。
ある学校を訪れました。そこでは子供たちを最上階にあげられ、親たちは下の階でした。彼らは津波で流され、殺されてしまったのです。それはただただ強烈でした。
小さいピアノ屋さんにも行きました。おじいちゃんおばあちゃんがやっている小さいお店です。そこでおじいさんは、津波の被害にあったピアノを、一ピース、一ピース修理したのです。日本の有名な歌手の方がそのピアノを購入したそうです。私はそこで小さいピアニカを買っただけですが。。
大事なのは被災地の復興のためには、このように訪れてくれる人々が必要なのです。製紙工場が街で再開しました。それは素晴らしいことなのです。なぜなら、人々がまた働き始めることができるからです。
地面が海水面に対して(相対的に)以前よりさらに低くなったという事実にどう対処するかはわかりませんが。。埋め立てを行い、地面を高くしないといけません。私がその状況で生きていかないといけないとすれば、精神的に本当にきついだろうと想像します。
私の考えはあのピアノを購入して、学校に寄付することでした。そうすることで楽器店の方も働き続けることができ、子供たちも音楽とともに成長できます。
レイコ(湯川さん)にサクラの木をもっていくことも提案しました。サクラは春に満開になり成長していきます。サクラの木は子供たちとともに成長し、毎年春に満開のサクラを見ることができます。いろんな土壌の洗浄、流されてしまった建物、まだそこにある車やゴミなどの瓦礫の山のことなど、辛い現実を少しでも和らげてくれるかもしれません。
それが私達が先週の月曜に行った所です。地図で言うと北の方の被害を受けたエリアです。
お坊さんには驚きました。皮肉なことに、お墓がひっくり返るような状況の中、水はお寺の階段のところでとまっていたのです。もしかしたら残された人々が行く必要があるからお寺は被害から免れたのかもしれません。人はお寺を訪れてお坊さんと話す必要があるし、お坊さんも施しを与えるのです。なので、お寺も寄付を得ています。
それらが訪れた3つの場所です。それと、子供は子供です。子供は小さくてほんとに素晴らしい。わんぱくな子供も。人生は続いていきますが、子供にとっては辛さは一層のものです。だから子供のことも忘れないようにしましょう。
人々が働き続けられるように、現地にいって何か買いましょう。どこかで買わなければいけないのだから被害を受けたエリアから買いましょう、お店は開いているのです。復興のためにお金が動きつづけるようにしましょう。
福島出身の友人と話していたのですが、彼女は涙を目に浮かべていました。彼女はまだ仕事がありません。私と会って嬉しそうなのですが、地震について語るとき、まだ感傷的なのです。その後で、クルミ入りのお餅を私にくれたのです。個人的にはアイスクリームのお餅をまだ探しているのですが(笑)友人はそのとき「汚染されてないからね」と言ったのです!私はなんてことだと思いました。
誰も東北に行ってないていうことなのかなと思いました。ただ紙に書いてあることを読んで、壁にその紙の地図を貼って、暗い円を描いて、、そこにいる人たちを孤立させてはいけないですし、切り落としてもいけません。住んでいる地域によっては放射能の問題を経験した方もいるかもしれません。だからって、その人たちと握手したりハグすることでその影響を受けるなんて私は思いません。人々を無視したり孤立させることはしないでください。
ここに多くの日本人の方がいらっしゃるようなので言いますが、自分たち自身(であるはずの被災地域の方々)を締め出すのはやめましょう。ブルース・スプリングスティーンの歌で「We take care of our own(自分たちの面倒は自分たちでみる)」という曲がありましたが、日本人はまさにその歌のようであるはずだと思います。だから、そうすることを恐れないでください。
復興のために唯一あり得る方法は、その地域の人々を社会に受け入れることなのです。社会に受け入れることがきっと正解です。社会から排除するということは、いずれ立ち行かなくなるでしょう。今、政治家みたいに聞こえましたかね、ごめんなさい。
木々はいいんですよね。地球について研究している科学者たちがいます。地球上の様々な問題に立ち向かう方法があるかもしれません。私たちは皆それを必要としています。というのも、私の国が北極に2つ船を石油の採掘のため派遣していましたが、水上で流出してしまえば大惨事です。石油は過去の産物です。原子力について皆必死に利用しようとしていますが、上手くいかなければ、グリーンエネルギーに向かわなければいけないかもしれません。日本には優れた研究者たちが多くいます。もっと世界中の皆で力をあわせる必要があるかもしれませんね。
この惑星は伸び縮みしたり、動いたりしています。その中で生きていかなければならないのです。地球は何もしない、私たちは地球をコントロールできるんだと思い込んで生きていくことはできないのです。なぜなら、私たちは地球の動きをコントロールできないからで、地球が私たちをコントロールするからで、それを切り抜けないといけないのです。今後このような心の痛む事態を避けるためには、そうするしかないのです。
個人レベルでできることとして、被災した東北地方の県産のものを買いましょう。悪影響なんてないのです。いずれにしてもどこかで買わざるを得ないのだから。仙台から買いましょう、どっちにしてもお金は使ってしまうのですから、東北のどこかから買いましょう。
以上です。
※以下湯川さんからの補足
シンディが訪問した都市は石巻といいます。訪問した小学校は石巻市立大街道小学校です。351人の生徒がいます。また、楽器店の名前はサルコヤ楽器店という名前です。
質疑応答セッションでは、シンディさんが日本政府の情報開示の姿勢に疑問を呈する場面もあった。
台湾の記者: 震災発生以来、海外からのミュージシャンやアーティストの来日が減っているようですが、そういった原発事故に関連した海外からの懸念を緩和するために日本または、日本政府は何をすべきでしょうか?
シンディ:私は日本人ではないので、その立場で何かコメントをするとすれば、日本政府は何が真の問題なのかということについて明確にすべきです。そして、人々がいったい何が起こっているか知ることができるようにすべきだと思います。何も知らない状態では、人々は恐怖を感じ、力を失います。情報はパワーなのです。

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