「平均的であること」は楽しい

少し古い記事になるが、米国の新興メディア「クォーツ」に、ファンドマネージャーのブルック・アレンさんという人が「平均的であるということ」とい う素敵な文章を書いていた。スーパースターの大金持ちになるのではなく、かといって下の方に転落するのでもなく、この世界でどうやって平均的でそこそこ幸 せな人生を生きていけばいいのか?というテーマだ。

いちばん大切なことは、平均的であることをハッピーに考えようという心持ちだ、とアレンさんは書いている。大成功しなければと、強迫的に思わない方がいいということ。

そもそも21世紀の先進国の平均的な生活を送ることができているということ自体が、歴史的に見れば実に幸せなことだという自覚は必要だ。私たちは 清潔で居心地の良い家に住み、毎日ふんだんに食べるものがあるのが当たり前だと思っているが、この生活は200年前の宮廷よりも実はレベルが高いというこ とを忘れてはならない。昔は冷蔵庫もコンビニも電子レンジも洗濯機もなかった。

それなのに「成功しなければ」という強迫観念に私たちは突き動かされている。ウェブを見れば、書店を歩けば、「こうすればあなたは変わる」「成功 するためには」といった自己啓発のコンテンツがあふれている。そういうものについていけないと自分を卑下することは、私たちの人生を惨めにしてしまうだけ だし、そういう考え方はやめたほうがいいよ、とアレンさんは書いている。

アメリカでも日本でも、自己啓発本にはこんなメッセージがあふれかえっている。「あなたの人生が改善されないのは、自分の責任だ。もっとポジティブになって自分を高めなければならない」

平均的なことの結果が平和である

しかし私たちはたいていの場合、平均的でしかない。財産も人並み、ユーモアも人並み、マネジメント能力も人並み、文章力も人並み、仕事を見つける能力も人並み。しかしそれの何が悪いのだろう?

「人並み」というのは、両極端ではない中間領域にいる平均的な私たち、という意味でもある。右翼でも左翼でもない、普通の良識的な人たち。両側にい る「極端主義者」は互いのことを敵視して戦っているが、でも中央にいる60~80%ぐらいの平均的な人たちは、敵に勝利することよりも、平和のような平均 的な結果を求めているのだ。

世界からランダムに2つの国を抜き出してその関係を調べれば、友好的という結果になることが多い。なぜならそういう2つの国は互いのことを特に気 にしてないから。敵対している国が、憎悪から脱却して互いを愛するようになるのはたいへんむずかしい。いったんこじれた関係はなかなかもとには戻らない。 愛憎はつねに表裏一体なのだ。だからアレンさんの訴えるのは、スローガンは「戦争より愛を」ではなく、「戦争より無関心を」であるべきだということ。

攻撃的になるよりは気楽なのがよい

「正義の反対は悪ではなく、また別の正義なのだ」という有名な言い回しがある。正義を声高に叫べば叫ぶほど、その正義に反対する「別の正義の人たち」が台 頭してくるから、衝突は激しくなるばかりで、決して問題は解決しない。正義を叫んでも、平和は絶対にやってこないのだ。だから平均的な人たちは正義を叫ぶ のではなく、正義を叫んでる人たちに相対せず、正義に関与しない。そのかわりに、皆で穏やかに現実的な落としどころについて話し合えばいい。

正義の人はそんな時でも駆け寄ってきて、「オマエラはこの緊急時にそんな悠長なことをしていていいのか!立ち上がれ!」と叫ぶかもしれない。でもまあ、議論の車座を解く必要は無い。静かにスルーすれば良いのだ。

アレンさんは、こんなジョークを紹介している。「世界平和とハムサンドイッチ。どっちを取るべきか?」。答は「ハムサンドイッチ」。なぜなら世界平和より良いものは「ない」。そしてハムサンドイッチは食べ物が「ない」よりいいから。なるほどね。

私たちは生活も能力も、そして思想も「平均的」に生きていくのが気楽で良い。自己啓発本を読んで「このままじゃダメだ!もっと自分を高めなけれ ば」と焦るのではなく、社会正義に目ざめて「正義が実現されていない!」と義憤に駆られて他者を攻撃するのでもなく、自分が平均であることをを認識し、他 の人たちと同じようであることを感じ、そこでゆるいつながりを実現していけばいいのではないかと思う。

平均的に生きていくことは、平和に暮らしていくこと。

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